第162話 日本という国
羽田空港に到着したオスカーは、固まった体を伸ばしながら周囲を油断なく見回した。極東の島国、忌々しい魔女どもの手がここまで伸びているとは考えにくいが、染み付いた癖は取れなかった。
思い出すのは、霧深いあの夜。
シャーラと出会ったオスカーの運命は一変した。
異端だと騒ぐ英国国教会の連中、我らが主だと崇拝する魔術結社の異端者たち。どいつもこいつもシャーラの力と美貌に当てられ、我を失っていた。オスカー自身、初めてシャーラを見た時は神の使いと見まがえた。
それらの魔の手からシャーラを守りつつ、彼女が会いたがっている「ユースケ」とやらを探すのは骨が折れた。
オスカーがシャーラの願いを叶えるために奔走したのは、命を助けられたからという理由だけではなかった。オスカーが手伝わなくとも、シャーラは何とかしただろう。自分以外の誰かが必ず彼女に手を差し伸べたはずだ。
それがどうにも許せなかった。
故にオスカーは
そこに至るまでには想像を絶する苦労があったわけだが。
「‥‥これからどうするの?」
感慨深く日本の空気を感じていたら、澄んだ声が聞こえてきた。
隣を見れば、荷物の入ったキャリーケースを椅子代わりに座っているシャーラがこちらを見ていた。
服はオスカーが選んだブラウスにカーディガン、ロングスカート。ストールを頭に巻き、大きめのサングラスを着けている。
できる限り肌が露出しないように意識した服装だ。本当ならもっと不格好にさせたかったのだが、美術品を冒涜するような真似をオスカーはできなかった。
はっきり言って、シャーラは素の状態だと目立ちすぎる。光の当たり具合で銀と金を淡く移ろうプラチナブロンドの髪に、彫刻以上に整った顔立ち。芸能人のように名が知られているわけでもないのに、誰の眼も惹きつけてしまう魅力は、もはや奇跡か魔術の領域だ。
そろそろ見慣れてきたはずのオスカーでさえ、未だに正面から見られない。
足元に視線を落としつつ、この後の予定を思い出した。
「今回は幸いにも日本の対魔官が協力をしてくれるとのことですので、まずはそちらと合流する予定です」
「そう。いつ会えるの?」
「空港で落ち合う手はずなので、もう来ていると思いますが」
するとシャーラは不服そうに言った。
「そんな人間に興味ない。ユースケとはいつ会えるの?」
「‥‥そればかりは俺にも分かりません」
オスカーは顔をしかめて答えた。会った時からずっと聞かされている「ユースケ」。嘘か真かシャーラはその人に会うために別の世界から来たという。
これ程の人が会いたがるユースケ。日本人の名前には詳しくないが、響きからして男だろう。
探し人とはいえ、名前を聞く度にどんな奴なのかと苛立ちが募る。
「あのー」
もし凡庸な男であれば、この手で引導を渡しシャーラの目を覚まさせる必要があるだろう。
「もしもし」
そんなこと考えていたら、いつの間にか近くに人が来ていた。
「っ、申し訳ない。気づきませんでした」
「いやあ、大丈夫です。慣れてますので」
そう言って笑うのは背の低い中性的な人物だった。日本人の見た目は若く見えるというが、全く年齢が分からない。肩程までの黒い髪一つに括っており、線の細さも相まって女性にも見えるが、骨格は男性のそれだ。
「初めまして。僕は
「ああ、初めまして。俺はオスカー・クレイン」
「今日からしばらくの間、よろしくお願いいたします。日本語お上手ですね」
「今回は要請を受けていただき感謝する。日本語は来る前に少し勉強してな」
声まで中性的だな。
対魔官は祖国でいう
そんなオスカーの視線に気づいたのか、櫛名は苦笑いを浮かべた。
「見ての通り荒事は苦手なんです。その代わり、こういった案内とか事務作業とかは得意なので、任せてください」
オスカーは慌てて首を横に振った。
「不快にさせたのならすまない。私たちの仕事も戦いばかりではないからな、当然だ」
「大丈夫です。僕自身対魔官としての本業は中々できてないですからね」
「それで、そちらの方が‥‥」
「ああ、世話になるシャーラ・ヤマモトだ」
オスカーが紹介するが、当のシャーラは我関せずでキャリーケースに座っている。
興味がないという発言は、一切の嘘偽りなしだ。
「‥‥すまない。ああいうお方なんだ」
「いえ、大丈夫です。個性的なお方ですね」
本当にな。
「人探しですよね。既に数名あたりをつけていますので、まずはホテルに荷物を置いてから、話しましょうか」
「助かる」
そうしてオスカーたちは、櫛名の取ってくれていたホテルへと移動することになった。当然のようにシャーラは荷物を持とうとはしないので、全てオスカーが運び、櫛名はそれを何とも言えない目で見ていた。
タクシーに乗って三人はホテルを目指す。
窓の外を流れる東京の街並みは、科学技術の発展と共に古の神秘を忘れてしまったようだった。あらゆる修羅神仏、英雄を創作の中に閉じ込めるこの国は、信仰という言葉から最も縁遠い。
オスカーが居心地の悪さを感じる反面、シャーラは食い入るように街並みを見つめていた。邪魔なのかサングラスも外している。
「何か気になるものでもありましたか?」
「‥‥昔、ユースケが話してくれた街だから」
「そう、ですか」
窓の外を見るシャーラの目は、今までにないほど輝いていた。
シャーラは多くを語らない。口下手というのもあるが、会話の必要性をさほど感じていないのだろう。
だからオスカーはシャーラの過去をほとんど知らない。
自分はどこまで行っても案内人でしかないのか。今更だとは思いつつ、離別の時が近づいている事実から目を逸らすように、オスカーはまぶたを閉じた。
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