第217話 呪と棘
二人がネストに案内されたのは、森の中に建てられた木造の小屋だった。
「こんなところに家ね。都合のいいものがあったもんだな」
「いや、これは俺が建てた‥‥建てました」
「マジで言ってんのかよ」
「マジ? 建てたのは本当、ですが」
「その慣れない敬語やめろ。鳥肌が立つ」
「分かり‥‥分かった」
どうやらネストは言葉数が多いタイプではないらしく、会話は途切れ途切れだ。セバスはニコニコと笑みを浮かべるだけで、黙って後ろを歩いてくる。
「入ってくれ」
ネストが小屋を開けると、中は清潔感あふれる内装だった。ネストは自分で建てたと言っていたが、狩人の彼が暮らすだけならば必要のない可愛らしい小物や、雑貨が置かれている。
同居人に配慮をして作られたのが一目で分かる。
そしてその相手は、ベッドに横たわっていた。
「こいつか」
「ああ。俺が守っている『鍵』、ベルティナだ」
ベルティナと呼ばれた少女は、まるで死んでいるように眠っていた。赤の入り混じった金髪に、そばかす混じりの愛らしい顔をしている。起きていれば、ひまわりのように笑う少女だっただろう。
メヴィアはその頬に手を当て、呟いた。
「‥‥呪いか」
「ああ、二人目の魔族と戦った時、死の間際に掛けられたんだ。それ以来、目を覚まさない」
ベルティナは一見すると、外傷もなくただ眠っているだけのように見える。
しかしその肉体は呪いによって
このまま放置していれば、そう時間をかけず死にいたるだろう。
「ギリギリだったな」
メヴィアはそう言うと、魔術を発動する。金色の光がベルティナを包み、淡くほのめいた。
血色が良くなり、頬にも朱が差した。
ネストが思わずといった様子で身を乗り出し、ベルティナの顔を覗き込んだ。
「よかった、ベルティナは‥‥」
「だがはっきり言うぞ。私じゃこれは解呪できない」
振り向いたメヴィアがそう言い切ると、ネストは目を見開いた。
「私の魔術の本質は、肉体の治癒だ。怪我や病気ならいくらでも治せるが、魂に刻まれた呪いばかりはどうにもならねえ」
「魂に刻まれた‥‥呪い」
「ああ。雑魚な呪いなら私の魔力に当てられて勝手に消えるが、相当強力な魔族だったみたいだな。心に巣食う
メヴィアの魔術は、肉体を正常な状態に回帰させる。病魔や毒を必要のないものとして消すことも可能だ。
しかし彼女の魔術も万能ではない。トラウマや心が壊れた人間は治せないのだ。
この呪いは肉体ではなく、心を捕らえている。衰弱は、それによって起こる副作用でしかない。
ネストは視線を落とし、拳を握った。
「では、ベルティナはもう」
「話は最後まで聞けよ。‥‥ちっ、一から説明してやる。セバス、準備しろ」
「仰せのままに」
そこからの動きは速かった。セバスは人の家の台所で勝手知ったるとばかりにお茶の準備をした。
メヴィアは家主よりも先に椅子に腰掛け、ネストに目で「座れ」と
そうしてセバスが淹れたお茶に口をつけ、話し始めた。
「今回の神魔大戦は『鍵』の争奪戦だ。それは知っているな」
「ああ」
「『鍵』はある共通点を持って呼ばれている。それが何か分かるか?」
「いや、分からないし、考えたこともなかった」
まあ狩人ならそうだろう、とメヴィアは頷いた。あるいは教会に近しい人間でなければ気付かないかもしれない。
「共通点は単純だ。教会が定めている聖女としての条件を満たしている人間が、『鍵』に選ばれる」
「聖女の条件?」
「そこについては聞かない方がいいぞ。お前もアステリスに戻ってから教会に狙われたくはないだろ」
「‥‥」
ネストは口を
狩人の自分でも聖女という人間の尊さは知っている。それを教会がどれ程大切にしているかも。
聖女の条件を知る人間が教会の外部にいることは、許されないのだろう。
恐らくそのほとんどを知っているメヴィアは話を続けた。
「詳しいところは省くが、今回戦いに参加している『鍵』は、私が把握しているかぎり六人。予想が正しければ、その中に、呪いを解ける人間がいるはずだ。まあそのレベルにまで育っているかは分からないが、少なくともこの地球じゃ、そいつ以外に可能性がある奴はいないな」
昏睡しているベルティナの魔術は恐らく違う。解呪の力が使えれば、彼女自身がここまで侵されることはないはずだ。
メヴィアはあえて言わなかったが、一人は既に魔族の手に落ちている。
もしも彼女がその魔術の使い手であれば、別の方法を考える必要があった。
ネストは言葉を噛み締めるようにうなずいた。
「分かった。では、俺はその人を探したいと思う」
「安心しろ。いる場所は見当がついてる」
「本当か、どこにいる?」
今にも立ち上がろうとするネストに、メヴィアは
「落ち着け。場所は日本だ。ほとんどの鍵がそこに集まっている。これからの戦いは、そこが中心になるだろうな」
「日本、日本だな」
メヴィアはふぅと煙を吐いた。ベルティナを救うために、戦いのために日本には行かなければならない。
同時に彼女はずっと考えていることがあった。
「気持ち悪いな」
「‥‥どういうことだ?」
「まるで誰かの手に踊らされているみたいだろ。私たちが一か所に集まるなんて」
しかもそこはただの国ではない。勇者
メヴィアはこの神魔大戦が始まってから、小さな疑問の棘が抜けないままだった。
「俺は、そう感じたことはないが。どんな動物も、最後には群れの中に戻ろうとするものだ」
「そうだな。それは間違っちゃいない。だがそれは弱いからだ。単独じゃ生き残れないから、群れを作る」
ネストは目を細めた。
「それは当然だろう。人族は魔族よりも弱い。俺がベルティナを守ってこられたのは、戦わなかったからだ。罠で追い込み、不意打ちで狩った」
「それができる時点で卑下するほどじゃない。十分に誇っていい強さだが、お前は自分が英雄だと思うか?」
「まさか」
メヴィアの問いにネストは即答した。彼は自分の力をきちんと把握している。だからこそ魔族を狩り、ベルティナを守ってくることができた。
「四英雄に
「そうか。――だがお前が守護者として選ばれた」
メヴィアは煙管を指で回しながら頬杖を突いた。それはネストと話していながら、自分に問いかけているかのようだった。
「人族の中には、まだ単独で魔族を相手取れる連中がいる。それは魔族側も同様だ。
神魔大戦を勇者と共に駆け抜けたメヴィアの言葉には、とてつもない重みがあった。
そんな彼女だからこそ、この戦いに感じる違和感。
「この第二次神魔大戦は、アンバランスだ。『鍵』に対して守護者の選定が雑すぎる。お前を前にこんなことを言うのは心苦しいが、はっきり言えば、
「事実なのだから、気を遣う必要はない。それは、強い戦士を初めから呼ぶことができなかったのではないか」
「世界が持つ抵抗力ってやつか」
それもなくはないのだろう。事実、『鍵』が一人消えたことによって、ラルカンのように強力な魔族も参入してきている。
だが違和感は消えない。
これまでの神魔大戦と比べて、あまりに異質な条件、ちぐはぐな選定。異世界を舞台にした理由。
何よりも、『不正とされた勇者の存在』。
よくも、
メヴィアは煮えくり返る怒りを抑えるように、煙を吸った。
怒りと同時に、冷静な頭がおかしいと告げる。もしもそれが許されざる行いだとすれば、戦時中に何らかの裁定が行われるはずだ。勇輔がアステリスに呼ばれてから四年、十分すぎる時間があったのだから。
『鍵』となったメヴィアたちは、戦争が始まる前に戦いの条件を伝えられた。それを告げたのは、二対の翼をもつ鳥だった。
少なくともメヴィアはそこに、生物を超越した気配を感じた。
それこそ祈りの中で触れる女神と同じ気配を。
だからこそ彼女はこれまで違和感を飲み込み戦ってきたが、時間が経つ程に棘は深く食い込んでいく。
その不可解な感覚は、聖女たる彼女にある疑念を抱かせた。
「この戦い――」
呟きは煙に巻かれ、誰に届くこともなく消えていく。
たとえ分からないことがあったとしても、彼女たちは進む以外にないのだ。
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