第216話 破戒聖女の旅

     ◇   ◇   ◇




 カナダ東部の大森林。近くの田舎町から二時間ほど車を走らせ、そこから更に踏み込んだ森の深く。


 そこには森林には似つかわしくない二人の男女がいた。


「あー、面倒くせーなおい。本当にこんなところにいるのかよ」

「私の調べでは、間違いなく」

「これで違ったら殺すからな」

「お気の召すままに」


 パーカーにキャップを被った小柄な少女と、礼服を着た老年の男性だ。


 教会が誇ったり誇らなかったりする破戒聖女メヴィアと、その守護者セバスである。


 二人は最後の『鍵』を探し、こんな森の中にまで足を伸ばしていたのだ。


 メヴィアは綺麗な顔を不機嫌に歪め、疑問を口にした。


「確かに身を隠すだけならいいだろうが、こんな人のいないところじゃ、魔力は隠しようがないだろ」

「ええ、ですから戦闘になったのでしょう。おかげで情報を集めることができましたが」


 ぶつくさ言いながら、メヴィアは軽快に森の中を歩いていく。セバスはそれを追って静かに、けれど一定の距離からは決して離れず移動していた。


 メヴィアもこう見えて、勇輔たちと過酷な旅をした人間だ。


 この程度の山道は苦でもない。


 目的の場所を目指し、ひょいひょいと木の根を飛び越えて移動していた時だった。


 何かが音速を超えて飛来した。


 それは矢だ。鬱蒼としげる樹々の間を抜け、矢はメヴィアの頭を狙う。


「おや」


 メヴィアに到達するよりも早く、それを掴む手があった。彼女の後ろを歩いていたセバスだ。


 彼は瞬間移動もかくやという速度で移動し、飛んできた矢を悠々と掴んだのだ。


「あん? なんだそれ」

「矢のようですね。魔術が使われています」

「場所は?」

「申し訳ございません。相当遠距離から狙撃されたようです。飛んできた方向にいるとも限りません」

「使えねぇー」


 メヴィアは舌打ちし、右手を軽く地面につけた。


「ならメヴィア様が全方位あぶり出してやるよ」


 直後、彼女を中心に魔力の波が広がった。


 それは何かを傷つけることも、おびやかすこともなく静かに広がっていく。彼女の魔術は生命の治癒だ。命ある限り、メヴィアの探知を逃れることはできない。


「待て。お前たちの素性は把握できた」


 直後、上から声が降ってきた。


 セバスがメヴィアの前に立ち、彼女は地面から手を放して立ち上がる。


 そして上を見上げて言った。


「何だてめえ。顔も見せずに上から目線って舐めてんのか? さっさと降りてこい。でなきゃ蹴落とす」


 どのような状況であっても、メヴィアはひるまない。


 状況や相手の素性など関係なく、自分が納得しなければ決して退かないのが彼女だ。勇輔やコウガルゥをして、圧倒的バーサーカーと呼ばれる所以である。


 メヴィアの言葉が本気だと分かったのだろう。樹上にて枝葉に身を隠していた射手は、飛び降りてきた。


 降り立ったのは、黒いフードを目深に被った男だった。どういう方法か、矢を射てからここまでを一瞬で移動したらしい。


 体格はセバスと変わらないだろう。左手には弓を持ち、矢筒やづつを背負っている。


 彼は深々と頭を下げた。


「非礼を詫びさせてほしい、すまなかった。素性が分からず、試さざるを得なかった」

「矢を射かけて相手を判別するって、どういう頭してんだお前」


 勇輔たちが聞けば、「お前が言うなお前が」と言われそうな言葉をメヴィアは言った。男は手に持っている弓に視線を落とした。


「俺にとっては、最も間違いのないやり方だ」

「そうかよ。陰気な奴だな」


 男は何も言わなかった。


 過去に出会ってきた剣士たちも、剣を交わすことで相手を理解できるなどという妄言を真顔でのたまっていたので、それに近い何かだろうとメヴィアは自分を納得させた。


 とにかく、目当ての一人を見つけることができた。


「お前、守護者だな。私は『鍵』だ、こっちは召使い」

「セバスと申します」


 守護者ではなく召使いと紹介されたセバスは、それを否定することもなく頭を下げた。


「俺はネスト・アンガイズ。それ以外に名乗れるもののない、ただの狩人だ」

「ただの狩人が守護者に選ばれるかよ」

「事実だ。それよりも一つ聞かせてくれ、あなたは聖女メヴィア様で相違ないか?」


 メヴィアはキャップを押し上げた。黄金に櫛を通したような輝かしい金髪に、赤い瞳が男を見た。


「ああ。私がメヴィアだ。素性が分かったってのは、そういうことか」

「あれほど生命力に溢れた魔力。他にない」


 そこまで言うと、男は再び頭を下げた。しかし今度は片膝をつき、弓を置いてより深々と。


「女神聖教会が聖女に願いたてまつる。先程の非礼への贖罪もあわせ、この命を奉じる故に、卑しき身に深い慈悲を持ってお聞きいただきたい」

「‥‥なんだ」

「救ってほしい者がおります」


 普段は使わないのだろう、たどたどしい言葉遣いでネストは言った。


 守護者が命を投げ出してでも救ってほしい人間など、聞かなくても分かる。


 メヴィアはその場にしゃがみ込み、ネストの頭に手を置いて顔を上げさせた。


 フードに隠れて見えなかったその顔は、想像以上に若い。まだ青年と言っていい年齢だろう。褐色の目が、驚いた様子でメヴィアを見ていた。


「てめえの命なんざいるか。頭下げている隙があるなら、すぐに案内しろ。私は手が届く場所で死なれるのが、一番嫌いなんだよ」


 メヴィアは聖女だ。破戒と呼ばれようと、その本質は献身と救済である。


 そんな彼女の様子をセバスは後ろから微笑みを浮かべて見つめていた。

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