第112話 影の守衛

 立っていたのは人のようでありながら人ならざる何かだった。


 夕日を浴びているにも関わらず、その光を全て吸収するような黒。頭のてっぺんから爪先までが黒で覆われた姿だったのだ。


 シルエットから、鎧を着た男だというのは分かるが、それ以外は全く把握できない。


 しかし一つだけ分かることがある。その身に纏う濃密で禍々しい魔力は人族ではあり得ない。

 つまり、魔族。


 カナミは一瞬にして戦闘服であるゴシックドレスに着替え、両手に銀色の回転式六連拳銃リボルバー、『フェルガー』を握った。


 カナミの臨戦態勢を見ても、影は身じろぎ一つしない。


 それでも守護者と鍵の前に姿を晒したのだから、その目的は明白だ。


 よりにもよって今このタイミングで。


 無意識の内にそう思ったことに対して、カナミは歯噛みした。軟弱な心を叱咤しったし、己を奮い立たせるように言葉を叩きつける。


「私の名はカナミ・レントーア・シス・ファドル。戦士としての戦いが所望ならば名乗りなさい」


 すると、影は肩を揺らして笑い声を上げた。


『高潔よなあ。見たところどこぞのたっとき血筋か? 生憎俺はあんたに釣り合うような名も、戦争を綺麗に飾り立てる誇りも持ち合わせちゃいないのさ』


 下から嘲るような口調に、カナミは眉一つ動かさずフェルガーを向ける。声はそんな様子に頓着することもなく続けた。


『それでもあえて名乗るのだとしたら、『守衛アモン』。あるいはフィフィ。どちらで呼んでもらってもいいぜ』


 その名前に聞き覚えがないのは当然だった。カナミは神魔大戦最盛期には戦場に出ていない。知っている魔族はそれこそ災厄クラスの魔族だけだ。


 問題なのはそこではない。守衛アモンは称号を言わなかった。


 勇輔が戦った『アサス』しかり、タリムの『セナイ』しかり、そして『ガレオ』しかり。魔術師としてある種の到達点へと至った証、それが称号だ。持っていて名乗らないことはあり得ない。


 それだけ魔族において称号というのは非常に重い意味を持つ。

 この神魔大戦においてそれを持たないというのは、いっそ不気味でさえあった。


「リーシャ、聖域を張りなさい」

「分かりました!」


 勇輔がいなくとも、いやいないからこそか、リーシャは意気込んで答える。


 彼女はすぐさま祈りに入り、周囲を黄金のベールが覆っていく。あらゆる攻撃を防ぐ難攻不落の魔術、『聖域』だ。

 少なくとも周りに大きな魔力反応はない。相手はたった一人だ、リーシャの聖域があれば横槍も防げる。 


 どういう意図で仕掛けてきたのかは分からないが、飛び込んできたのであればここで潰す。

 カナミは高らかに足音を鳴らし、引き金に掛けた指に力を込めた。


『あー、こりゃなんだ。そっちのガキもそれなりに使えるってわけ。こいつは予想外じゃねーの』


 守衛アモンは自分ごと周囲を閉じる黄金の光を眺めながら、悠長に呟く。言葉とは裏腹にその態度からは余裕が感じられた。


 どういう魔術を使うのかは分からないが、この距離と状況は圧倒的にカナミに有利だ。


「‥‥」


 フェルガーが咆哮と共に弾丸を放った。六発の『旋剣弾ソーディアン』は大気を切り裂いて守衛アモンへ殺到した。


 最も速く威力も高い『旋剣弾ソーディアン』は奇襲に適した魔弾だ。並の相手ならばこれで決着がつく、あるいはそうでなくても体勢を崩すくらいは可能だと踏んでいたが、そう容易くはなかった。


 守衛アモンが両手を振ると同時、パズルのピースが組み上がるようにして手の中に形が出来上がっていく。現れたのは、盾とメイス。その色は変わらず光を飲み込む黒だ。


 彼は腰を落とし、軽薄な口調とは想像もつかない程堅牢な受けで旋剣弾ソーディアンを捌いた。


 その時既にカナミは次の動きに移っている。

 銃口を後ろに向け、『業風弾グレム』を放つ。暴風の弾丸はその反動でカナミを前へ吹き飛ばした。


 銃を使う人間が距離を捨てるという暴挙。だからこそ相手の意表を突ける。

 カナミは突撃しながら身体を捻って体勢を入れ替え、凄まじい勢いの飛び蹴りを叩き込んだ。


 鮮やかに舞うフリルから突き出された蹴撃は盾で受けられたが、そこまでは想定内。

 ゴッ‼ と骨の髄まで響く衝撃。魔弾によって加速した突撃は流石に堪えたらしく、黒い身体が微かに揺らいだ。


 カナミは更に盾を蹴り飛ばしながら後ろに跳び、守りの崩れた守衛アモンへ空中から魔弾を浴びせかけた。


 小さな隙を大きくこじ開けるのは、『重爆弾ブラスト』の連射。紅い魔弾は体勢を整える暇も与えず着弾し、膨大な光と熱へ変わる。爆炎が聖域を揺らし、衝撃波がカナミすらも叩く。


 全ての弾丸を撃ち尽くしたフェルガーをリロードしながらカナミは着地した。


 夕日よりも赤い陽炎が世界を染め上げ、アスファルトに飛び散った火が転がった。

 手応えはあった。衝撃は内臓を潰し、炎は確実に命までをも焼き焦がす。


 そのはずだった。


『キハハ! やってくれる!』


 そんな道理を嘲笑うように、守衛アモンは炎を突き破ってカナミへと駆けた。


 ほぼ直撃にも関わらず、然程応えている様子はない。煤か破片かも分からない黒をまき散らしながら前進する。


 押しとどめる魔弾は全て盾で弾かれた。間合いに入ると同時、メイスが唸りを上げて襲い掛かってくる。虚のない実直な軌道。そう判断すると同時、カナミは身体を横に倒しながら回避した。菫の髪を逆巻きに、風圧が頬を殴りつける。


 攻撃はそれだけに終わらない。避けたところを盾がしたたかにぶつかってきた。

 ゴッ! とカナミの華奢な体が冗談みたいに吹き飛んだ。


 音だけでも骨を砕くと分かる一撃。守衛アモンは畳みかけるために更に踏み込む。

 直後、その体が地面から跳ね起きた槌に殴り飛ばされた。


『オグゥッ⁉』


 今度は守衛アモンが地面を跳ねる番だった。踏み込みの勢いをそのまま正面から返されたせいで、まるでスーパーボールのような勢いで飛んでいく。


 地面から現れたのは、土塊を固めて出来た鉄槌。踏んだ相手を殴りつける罠型の魔道具だ。


 その時既にカナミは体勢を整えていた。元々盾の攻撃を受けたのも釣り・・。予め足元に魔道具を設置し、そこに突進を誘ったのだ。


 弾倉が続けざまに回転し、追撃の魔弾が守衛アモンを襲った。炎と回転剣が容赦なく黒い身体を削っていく。


 重爆弾ブラストで揺さぶり、旋剣弾ソーディアンが急所を穿つ。


 こうなれば勝利は決定的だ。後は相手の始動を止めながら弾を叩き込み続ければいい。


 正直意外ではあった。この罠は見破られるの前提。守衛アモンの動きに躊躇いが生まれれば、間合いの広いカナミに有利。しかし守衛アモンはそれをまともに踏んだ。


 動き自体はそれなりのものだが、戦闘経験が少ない。だからカナミの見え透いたブラフにも容易く引っかかる。


『めんっ、どくせえええなあ!』


 そこで守衛アモンは驚きの行動に出た。


 防御を捨てて強引に前に進もうとしたのだ。当然魔弾はそれを許さない。踏み込んだ膝が即座に爆破され、大きく開いた胴体が薙ぎ払われる。


 その最中、カナミは今度こそ驚愕に目を見開いた。


 魔弾を受けた守衛アモンの上体が腰を境に回転したのだ。まるで玩具のようにシュールな動き。


 だがそこから放たれる一撃は冗談では済まされない。腕がしなり、遠心力が存分に乗せられたメイスが飛んできた。


 ―ー投擲⁉


 掠っただけでも頭が弾け飛ぶ威力なのは自明。カナミは即座に横に避けた。


 ドンッ! と鈍い音が響き渡る。

 それはメイスが聖域にぶつかる音ではない、守衛アモンが脚を砕かんばかりの力で地を踏みぬいた音だ。


 爆発的な速度でカナミの目前に迫った守衛アモンはメイスの代わりに拳を振り上げる。

 反射的に魔弾での迎撃を試みようとするが、カナミの背筋にぞくりと怖気が走った。


 特別速いわけでもない殴打を、姿勢が崩れるのも厭わず全力で回避する。


 そのすぐ横を拳が突き抜けた。一拍遅れて訪れたのは、もはや爆発だった。

 聖域ごと辺り一帯が軋んだ。


「っ⁉」


 聖域の張られた塀と拳がぶつかったのだろうが、その威力が尋常ではない。


 足元がぐらつき、後ろで弾けた衝撃波が身体を叩く。


 先ほどまでの攻撃とは明らかに別格の威力。受けていればそれごと叩き潰されていただろう。

 しかし刹那の判断はカナミに勝利を呼び込んだ。守衛アモンは強力な攻撃の反動か、次に繋げられず硬直している。


 銃口を横腹に押し当て、魔弾の連射を撃ち込む。

 ドドドドドッ! 重低音が激しく鳴り響き、黒い身体が真横に吹っ飛んだ。

 

 ここで畳みかける。


 カナミは引き金を引きながら、回転機関銃『アルファニール』に換装しようとゴシックドレスに魔力を流した。


 しかしその動きは中途半端なところで止まった。


 カナミが止まったのは、守衛アモンのせいではない。


「カナミさん、聖域が‥‥!」


 そうリーシャが後ろから叫んだ言葉のせいでもなかった。


 言葉が耳に届く時、カナミは既に異変に気付いていた。


「これは――」


 天蓋のように空から建造物まで全てを覆っていた金のベールが、消えている。


 つまりリーシャの聖域が解除されたということだ。彼女がカナミの指示なく魔術を解くことはない、外的な要因によって聖域を破壊されたのだ。


 さっきの守衛アモンの一撃かとも疑ったが、あれで聖域は壊れていなかった。


 別の理由がある。


 勇輔とタリムの戦いですら形を保っていた聖域を維持できなくなるような何かが。

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