第241話 和風キメラ
曇天がそのまま落ちて来たかのような重圧。
板に食い込む鋭い爪は短剣ほどはあるだろう。全長は大型バスと並んでも遜色ない。四足の肉体に、顔は鬼面を被っているかのような赤ら顔。尾は蛇と来れば、さほどその手の話に詳しくない俺でも知っている。
猿の顔に狸の胴体、手足は虎で尾は蛇。時に雷獣とも称される、日本古来から伝わる怪異。
「『
鎧を纏った俺が呟くと、後ろで隠れていた四辻が答えた。
「そう、みたいだね。確かにメジャーな怪異だけど、どうしてこんなところに」
「『さしずめ、番犬といったところか』」
鵺は肯定するように、猿の顔に笑みを浮かべてヒョロヒョロロロ、と鳴いた。
うわ、気持ち悪。
肌を舐められるような生理的な気持ち悪さが全身から染みてくる。まさしく気味の悪い相手だ。
どういう意図でこいつが俺の前に現れたのかは分からないが、友好的な存在ということはなさそうだ。まさかペットってことはないだろう。だとしたら趣味を疑うね。
まだ目的のシキンには会えていないが、ここは敵地だ。邪魔をするなら、斬って進む。
俺が剣を構え直すと、鵺はそれを感じ取ったかのように後ろに跳んだ。
逃げるのか?
「『っ!』」
それを追おうとした脚を、慌てて止める。
一切視線を外していないのに、鵺が消えたのだ。
隠れたという次元ではない、完全に俺の知覚から消失した。姿も気配も、全てが雲散霧消する。
また上に戻ったか。
そう思い顔を上げた瞬間、横から凄まじい衝撃が叩きつけられた。
「『な――』」
ゴッ! と尋常ではない重さの一撃が半身に衝突し、その場から吹き飛ばされる。
いってぇ! というか四辻を残したままだ。
即座に受け身を取り、体勢を立て直す。顔を上げた先には、今まさに四辻へ巨大な口を近づけようとする鵺の姿があった。
完全に虚を突かれた。どういう理屈で消えたのかは知らんが、今度はそんな暇は与えない。
撃鉄を振り下ろすように踏み込み、腰へと溜めた力を解放する。引き絞られた腕は一閃の弾丸となって鵺へと放たれた。
『
浅い。
今ので完全に首を飛ばすつもりだったが、寸前で避けやがった。なんて反射神経してやがる。
―――ヒョロロロロロ。
逃がさない。
苛烈なる雷光は暗雲を払い、月を露わにする。
俺は更に鵺へと距離を詰め、連続して
刹那、上空から数多の雷が降り注ぎ、
やってくれる。下からでも落とせるのか。
白く染まった視界の中で、鳴り響く破裂音。四辻の前に立って飛び散る火花を剣で払う。
光が薄闇の中に沈んだ時、案の
気配と姿を消す
なんだろうな。
「『四辻、伏せろ』」
右斜め後方。
四辻を狙って現れた鵺の一撃に対し、振り向きざまに剣を振るう。爪ごと前足の半分を切り飛ばすと、鵺は悲鳴を上げて再び姿を消した。
「うわぁ! びっくりした!」
「『気を付けろ。想像以上の隠形だ。俺なら姿を現した瞬間を捉えれるが、気を抜くと不意打ちされる』」
「いやいや、気付かないよ普通」
鵺も実体化しなければ攻撃はできないんだろう。その瞬間にカウンターを入れれば負けることはなさそうだ。
しかし問題はそこではない。さっきから戦っていて気になることがある。
「『四辻、
俺もアステリスから地球に戻ってきて以来、日本の様々な怪異、妖怪に絡まれてきた。餓鬼は拳一発で黙らせ、口裂け女は悲鳴上げるまで追いかけまわし、ターボババアはかけっこで勝利した。
そんな俺から見て、この鵺は
昔からいる怪異はこんなものなのか?
四辻は即座に否定の言葉を口にした。
「そんなことないよ。確かに鵺は有名な怪異だけど、決して強力な怪異じゃない。固有の名を持つ個体がいるわけでもないし、伝承もそこまで多いわけじゃない。霊災としても
いきなり専門用語入れるのやめてくれ。なんだよ乙種って。まあそれはいいや。
やっぱりこんなに強いのはおかしいよな。どういう理屈なんだ。
「そもそも鵺の本質は、『未知への恐怖』。夜に隠れる正体の分からない物、その恐怖そのものが鵺なんだ。だから、本当なら姿を見られた時点で力は半減するはず、なんだけど‥‥」
「『あまりそうは見えないな』」
あれで半減していたとしたら、それはそれで問題だ。
まあそうだとしたら、あんな簡単に姿を現すはずもないだろう。
だとしたらこの鵺は、自然発生した怪異ではなさそうだ。この部屋のように見通しがきかない気配の奥に、魔術の匂いがする。
シキンが改造したのか、育てたのか。それとも全く別の魔術師が絡んでいるのか。だとしたら、やはり
そんなことを考えていたら、鵺が次の手を打ってきた。
周囲から響く、鵺の鳴き声。
声の位置から存在を特定することはできない。この部屋の全てから水が満ちるように声が響く。
なんだなんだ、気配を誤魔化すつもりか。
しかしそれは勘違いだったらしい。奇襲に備えて剣を構えようとした時、脚がふらついた。
視界が揺れ、胃から吐き気がこみあげてくる。
「ぅ‥‥あ、まずい。これ病魔の声だ」
「『病魔の声?』」
「さっきも言ったでしょ‥‥。鵺の正体は恐怖そのもの、奴らの声は気から病を引き起こすんだよ」
四辻は苦しそうな声で言った。
ああ、それで。『我が真銘』はその手の精神攻撃に対して耐性を持っているのだが、それを貫通してくるとか、割とふざけた威力だな。まあ、感覚的には悪酔いって感じだけど。
本当にどうなってるんだこいつ。
俺は循環式呼吸で体内の魔力密度を高め、鵺の声を弾き飛ばす。
まあいい。俺が今すべきことはこいつを見極めることではない。
話を聞く限りじゃ、闇に紛れる恐怖の正体こそが鵺。その正体が通常の怪異でなかったとしても、そのベースは鵺から大きく外れていないはずだ。
つまりだ。
「『全てが明るみに出たら、お前はどこに行く?』」
螺旋の翡翠を剣に纏わせ、俺は嵐を呼ぶ。逃げ切れると思うなよ。
『
薄闇を翡翠の斬撃が吹き飛ばした。
「うわぁあああああ!」
衝撃の余波に四辻が悲鳴を上げ、うずくまる。
ヒョロロロロオロ!
同時に隠れ場所を失った鵺が、悲鳴を上げながら床に転げ出た。やはり姿を隠す闇が晴れれば、隠形も効果を失うらしい。
そうなったら、もはや形無しだ。
さあ雷獣、これが本物の
鵺は即座に転身し、避けようとした。その判断速度と動きは舌を巻くほどだったが、分かっていればなんのことはない。
「『
光速の突きは
頭を失った鵺は死んだことさえ気づかず、その場から跳びのいて床を何度も転がった。
「な、ななななんて無茶苦茶な」
「『もう少し敵の正体を探りたかったが、今回の目標はシキンだからな。あまり時間をかけてもいられないだろう』」
本当にこの鵺は何だったのか。明らかにそこらの怪異とは格が違うが、シキンに会って聞いたら教えてくれるものかね。
とりあえずこれでここは通れるはずだ。気味が悪い部屋からはさっさと退出してしまおう。
そう思い、気付いた。
それは四辻も同様だったらしく、震えた声が聞こえた。
「あの、気のせいじゃなければ、まだ嫌な感じするんだけど」
「『‥‥奇遇だな』」
俺もそんな気がするよ。
嫌な予感に顔を上げると、鵺がいなくなったはずの天井には未だに雲が浮かんでいた。
おいおいどういうことだ。
なんだかとてつもなく嫌な予感がする。
それを裏付けるように、バリバリバリッ‼ と凄まじい放電音と共に雷撃が降り注いだ。
こういう嫌な予感ほどよく当たるもので。俺たちの目前には、何頭もの鵺たちが降り立った。
なんだこのクソゲー。
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