第26話 月下に降り立つ

 直後、赤の軍勢が動いた。


 それに呼応するように、月子も金雷槍の全ての制限を外すつもりで魔力を流す。


「月子!!」

「姫さん!!」


 綾香が浸千を振るい、月子の姿に心を奮い立たせた熟練の対魔官たちが再び魔道銃を構えた。


 激流の大蛇が上空の飛竜たちを打ち落とそうと波打ち、迫り来る軍勢に対し蒼の弾丸が放たれる。


 金雷が一直線に赤の軍勢へと風穴を空け、撒き散らされた雷が暴虐の限りを尽くした。


 だが、そこまで。


 絶対的な物量の前に、月子たちでは到底手が足りなかった。


 皮膚から、肺から身体を焼く熱気に呼吸する度に激痛が走る。既に魔道銃を握っていた男たちの手は焼けただれ、金雷に守られているはずの月子もまた身体の各所から赤色を滲ませていた。


 そして、遂に暴れ回っていた浸千が、巨大な鰐の顎に捕らえられた。水分が瞬時に爆散し、ただの鎖になった浸千が溶けた路上に投げ出される。


「くははははははっはははははははは! 見ているかねシシー! やはり戦いとはこうでなければ! 死力を尽くして抗いたまえ! 散り際の輝きこそが人族の最も美しい瞬間だ!」


 フレイムの声が、月子のボウっとした頭の中に響く。


 もはや炎が燃える音なのか、自分の魔術が放つ放電音なのかも定かではなかった。


 戦い始めてからどれ程の時間が経っただろうか。魔力も既に尽きかけの状態で、金雷槍から放たれる雷も衰えている。


 そして、遂にその瞬間は訪れた。


「あっ‥‥」


 ガクン、と月子の膝が折れ、視界が転がった。


 魔術の守りを貫いて、熱せられた地面の熱さが頬を焼く。


 無茶な魔術の連続行使、身体能力を超えた強引な動きに、限界が来たのだ。


 綾香や他の対魔官たちがどうなったのかも分からない。ただ分かるのは、


「‥‥」


 ぼやけた視界の中で、炎が迫ってくることだけ。

 そして、これが最期だと悟った時、月子の脳裏に宿ったのは、どうしてか楽しい思い出ばかりだった。


 初めて魔術が使えたあの日、綾香と遊んだ日々、難しい仕事を達成した朝。そして、不器用ながらに自分を楽しませようとしてくれた男の子と共に歩いた夜。


「‥‥勇輔」


 既に乾き切ったはずの身体なのに、目元から一滴、涙が零れ落ちる感覚がした。


 世界はどうしようもなく冷酷で、残酷で、非情だ。


 常に生き死にのかかった場所で戦い続ける月子は、そのことをよく知っている。どれだけ願ったって、どれだけ想ったって、目前に迫った死が消えることはない。


 しかしそれと同時に、月子はあることも知っていた。


 こういった極限状態において、ほんの少し、なんらかの要因で天秤が傾く時がある。


 それは小さな変化でも、徐々に徐々に、巨大な流れを生み出し状況を変える。


 そう例えば、本気になったフレイムの魔力によって月子たちが予め張っておいた結界に歪みが生じていたとか、無駄に思えた特攻によって、ほんの少しだけ、死ぬまでの時間が伸びたこととか。


 そういった小さな要因は、この時、間違いなく大きな変化となって訪れた。


「‥‥‥‥‥‥え」


 倒れたまま、月子は思わず声を漏らした。


 覚悟していたはずの熱さも、衝撃も、彼女には降って来ない。


 それどころか、フレイムの熱とは違う、柔らかな温かさが全身を包む感覚がした。


 意識せず、月子の顔が上を向く。


 そこには絶望の象徴たる赤い炎だけがあるはずだった。


 だが、今月子の目に映るのは、底抜けに美しい夜空と、そこに浮ぶ月。


 そしてその月の輝きにすら決して劣らない、妖精の如き美貌を持った少女と、翡翠の光を灯す銀色の騎士だった。


 その一瞬、月子は全てを忘れて銀騎士に見入っていた。


 月子の脳裏に、綾香の言っていた話が思い出される。炎の大鬼すら歯牙にもかけなかった正体不明の騎士。人を人とも思わないような無機質さを宿した、決して敵対してはいけない存在。


(‥‥あれ)


 けれど、どうしてか月子にはその騎士がそんな血も涙もない存在には思えなかった。


 ゆっくりと、銀騎士が月子を見下ろした。翡翠の光が、まるで何かを伝えるように揺れる。


 それが何を伝えようとしているのか、月子には分からなかったが、何故か全身を安堵が包み込む。途絶えゆく意識の中で、月子は無意識の内に、微笑みで銀騎士の視線に応えていた。


 きっと、もう大丈夫。


 そんな強い確信を抱いて。

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