第64話 星降りの夜明け

 俺は嵐拳ミカティアを発動した瞬間、余計なことを考えるのはやめた。


 ただ目の前にあるものを殴り、進む。


 タリムの拳を押し返し、更に一歩踏み込んで体を殴りつけた。


 再生しようが関係ない、再生したところから叩き潰す。


 さらに踏み込み、殴る。タリムが抵抗しようとするがそれを許さず拳を叩き込んだ。


 いずれ聖域の壁にぶち当たり、タリムの身体が聖域に押し付けられるがそれでもやることは変わらない。


 聖域が軋み、罅が入っても構わず殴り続けた。


 リーシャなら応えてくれる。


 それを信じてタリムを叩き潰すことにだけ集中する。


 魔力が全身を駆け巡り、翡翠の光が俺を中心に渦を巻いた。


 タリムに宣言した五秒間、一切止まることなく嵐拳は暴虐の限りを尽くし吹き荒れた。



「『終わりだ』」



 そして最後の一発。嵐の勢いを引いた拳に押しとどめ、一瞬の静止。荒れ狂う力は内側から腕を引き裂かんばかりに暴れるが、全てを力技で制御する。溜めた力を全て解放し、叩き込むのは破城の拳。


 翡翠の魔力が波紋のように広がり、パァアン! とうねる大気を弾き飛ばした。聖域がなければ周囲の建物が軒並み砕け散っていただろう。それ程の威力。


 魔術を解きゆっくりと拳を下した時、そこにタリムはいなくなっていた。


 いや、正確には今までのタリムは、だ。


 俺の目の前には灰色の小さな人形が落ちていた。それもきちんとした造形のものじゃない、土塊を子供がこねて人型にしたような泥人形だ。生物であることを示すように目と口の部分に黒い穴が小さく空いていた。


「『セナイのタリム、それがお前の本当の姿か』」

「ひっ」


 泥人形となったタリムは俺から逃げ出そうと走り出すが、掌サイズになってしまった状態では無理がある。


 というか逃がすはずがない。


 泥人形の首根っこを捕まえてひょいと持ち上げる。タリムは空中でバタバタと手足をもがかせるが無駄な抵抗だった。


「『なるほど、土人形ゴーレムだったわけか』

「わ、私はただの土人形ではない! 自身の魂と核を融合、定着させた全く新しい形の魔動生命体なのです!」

「『だからなんだ』」

「ひぃっ!」


 聞いただけでタリムは頭を抱えて空中で蹲ってしまった。魔力も僅かだが、何より既に心が折れている。俺の嵐拳を超えられないと理解した、だから混生万化が発動しない。


 それにしても核と魂の融合化か。確かにゴーレムは一般的に核と呼ばれる心臓部を中心に作るものだが、どうやらその核を全く別のやり方で定着させていたらしい。


 そりゃ死なんわけだ。


 ただ今のこいつに戦う力は残っていない。魔力がないというのもそうだけど、既にこいつは心が折れている。もう勝てないと自分で認めてしまった以上、二度と俺を相手に混生万化を発動することはできないはずだ。


 魔術を強化するのが感情の励起であれば、逆もまたしかり。


「ユースケさぁああん!」


 そんなことを考えていたら、ドンッ! と横から軽い衝撃が走った。見るとそこには金色の頭が鎧にこすりつけられていた。


 その程度では鎧はビクともしないけど、中の俺は今、軽く小突かれだけでも全身がめっちゃ痛い。


 しかしそこは男のプライドがある。痛みなどおくびにも出さずリーシャの頭に手を置いた。


「『リーシャ、ありがとう。お陰で助かった』」


 俺の嵐拳を受けても聖域は最後まで壊れなかった。だから俺も最後まで本気で打つことができた。


「私、私ユースケさんが死んじゃうんじゃないかって!」


 言いながらグズグズと鼻を鳴らすリーシャ。彼女からすれば無抵抗で殴られ続ける俺を見るのは相当な苦痛だったんだろう。 


 それでも最後まで自分の役割に徹したのは本当に凄い。


「『俺は死なない。君との約束が残ってる』」

「ゆーずけざぁん」


 リーシャは涙でグシャグシャになった顔でこちらを見上げた。本当ならハンカチでも差し出すところだけど、生憎鎧姿ではそれもできない。俺にできるのは指先で涙を拭うことだけだった。


「‥‥何をイチャイチャしているのでございますか?」


 うお! びっくりした。


 振り向くとそこには真っ白な女性に肩を貸すカナミがいた。どうやら上手いこと翼の守護者も無力化したらしい。


 当の守護者の方は驚きの目で俺の手の中のタリムを見つめていた。


 こいつにも聞きたいことは山ほどあるが、まずは言うべきことを言う相手がいる。


「『カナミ、ありがとう。助かった』」


 本当に、今回はカナミに救われた。カナミが分体を撃ち抜いてくれなければ、最悪俺が場所を聞いて攻撃するなんていうことにもなりかねなかった。


 だがそれを聞いたカナミは夜でも分かる程に頬を赤く染め、ワタワタと手を振る。


「そ、そんな! とんでもありませんですわ! 私がしたことなんてとてもとても」

「『謙遜しなくていい、本当に助かった』」


 ボッ! と煙が出るのではないかという程にカナミの顔が熱くなる。こいつ勇者を神格化しすぎだと思う。


 顔を俯かせてから暫く、何とか声を出せるようになったカナミが咳ばらいをした。


「ユースケ様こそ、流石のお手並みでございますわ。本当に誰一人犠牲を出さず倒してしまわれるなんて」

「『リーシャのお陰だ』」

「確かにリーシャの力もありましょうが、やはり打ち倒すことができたのはユースケ様の御力あってこそでございましょう。そして――」


 濃紺の瞳が俺の指先でぶら下がっているタリムを見た。


「それが魔族ですわね。どうされますかユースケ様?」

「『‥‥』」


 その問いは即ち、今ここで殺してしまうか。あるいは情報を引き出してから殺すかということだろう。


 こいつは自分のために誰かの命を弄ぶ屑だ。今ここで殺すべきだ。


 そんなことは俺自身がよく分かっている。


 だがルイードは殺さず、こいつは殺すというのはあまりにも身勝手。殺していい魔族とそうでない魔族を俺一人が判断するなんて、それこそ神か何かと自惚れているのではないかとさえ思えてくる。


 お前の言葉は本当に呪いだよ、ユリアス。


 どんなに考えても、殺すべきだという結論に集結する。今更俺の気持ちなんて考慮に入れるべきじゃない。


「ひっ、た、頼みます殺さないでくださいぃ!」


 タリムが喚くが、俺は小さな身体を掴んだ。


 このまま握り潰せばほとんど魔力のないタリムは死ぬ。


「‥‥」


 すぐ隣でリーシャが身を固くするのが分かった。


 手に力を込めようとしたその瞬間、白い手が俺の指に触れた。


 顔を上げれば、カナミが落ち着き払った目で俺を見つめていた。濃紺の瞳が何もかもを見透かすように俺を真っすぐ射抜く。


「『カナミ‥‥』」

「差し出がましい言葉をお許しくださいませ。やはり殺すのは後にしましょう。まだ聞きたいことがたくさんありますわ」

「『だが』」

「こうしておけば、悪さもできませんわ」


 言うが早いか、カナミはスカートを持ち上げた。


 肉付きのいい脚が一瞬に露わになり、心臓が跳ねた。


 それも刹那の間、カナミはスカートの下から取り出した物をガチャガチャと組み合わせると、俺の手からタリムを引き取ってその中に放り込んだ。


「な、なんですかこれは⁉」


 転がり、身体を起こしたタリムが叫ぶ。


 カナミがタリムを放り込んだのは一見すると小さな鳥籠のようなものだった。


 こんな隙間こいつなら簡単に抜け出せそうだけどな。


 そんな心配を汲み取ったのかカナミは鳥籠を揺らして言う。


「これは魔物を閉じ込めるための結界ですわ。隙間にも結界が展開されていますし、何より魔力吸収の魔術が組み込まれていますの」

「な、なんてことを小娘‥‥」

「言っておきますが、少しでも脱走の素振りを見せればどうなるか分かりますわね」


 魔力吸収が効いているのかぐったりとした様子で座り込む泥人形に、カナミは冷たい目を向けた。

 それだけでタリムは沈黙する。


 こいつもここまで弱体化した状態では、回復する魔力もたかが知れているだろう、それなら逃げられることもないか。


 カナミがゆっくりと頭を下げた。


「勝手な判断、申し訳ありませんでした」

「『いやいい、ありがとう』」


 きっと彼女は気付いたんだろう。俺が逡巡していることに。  

 だから守護者としてはあるまじきことに、こういったやり方を選んでくれた。


 それが嬉しいと同時に申し訳なくも思ってしまう。


 いつかあの時の言葉にも決着をつけなければいけない時が来る。


 彼女たちの信頼を裏切らないために、今はただ俺にできることを一つ一つ積み重ねていこう。


 夜闇は静けさを取り戻し、戦いがあったことなど忘れたかのように普段と変わらない夜風が流れ込む。


 俺たちは倒れる人々が明日からもいつも通りの日常を過ごすために、加賀見さんに連絡を入れた。この人たちも一人一人が誰かにとって大切な人のはずだから、俺たちにできることを最後までやろう。


 そうしてセナイを中心に巻き起こった災禍は夜明けと共に終結した。

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