第65話 裁定

 朝何となしにテレビをつけたところ、デカデカと『夜中に大量の失神者、原因不明』『ビル上部と路面が崩壊、隕石落下か』という文字が目に入ってきて眠気が吹き飛んだ。


 どうやら昨晩、全く同じ時間に数人の人が失神して倒れるという事件と、ビルの上部が何らかの理由で崩壊する事件が起きたそうだ。


 怖いなあ。世の中何が起こるか分からないもんだ。


 それはそうと俺の携帯の着信履歴が加賀見さんで埋まってるのはどういった理由なんだろうか。


 ちゃんと昨晩の顛末てんまつは電話で連絡したはずだ。後始末も頼んだけど、『魔術師にだってできないことがあるんだからね⁉ そこんとこ本当に分かってんの⁉』という言葉を最後にそっと通話を切ったのがいけなかったんだろうか。


 本当に申し訳ないので今度会うときは美味しい手土産を用意していこうと思います。


 遠い目をしながらアナウンサーの硬い声を聞いてると、後ろから声をかけられた。


「おはようございます、何を見ていらっしゃるのですか?」

「おはよう。なんでもないよ」


 俺は慌ててテレビを消した。振り向けば、そこにはエプロン姿の豪奢な少女。


「そうでございますか、そろそろ朝食ができますわ」

「ああ、ありがとう。めっちゃおなか減った」


 とてつもない新妻感を醸し出しつつ皿を並べるのは、正真正銘の皇女、カナミだ。ちなみに先ほどニュースで流れていた映像のほとんどは彼女によるものである。不可抗力とはいえ、あまり率先して聞かせるようなものでもない。


「リーシャは起きなさそうか?」

「まだぐっすりですわ。昨晩魔力を使いすぎたのが影響しているのでございましょう」

「そっか、聖域使うのに神経使っただろうしなあ」


 普段なら寝坊助聖女め、と一言零すところだが今日ばかりは自重しよう。彼女のお陰で被害があの程度で済んでいるのだから。


 そんなことを思いながら筋肉痛の身体を伸ばしていると、そんな俺をカナミがじっと見つめてきた。何かしら、そんなに見られると恥ずかしいんだけど。


「ユースケ様こそ何故そんなにピンピンしていられるのでございますか? 昨日は全身傷だらけでしたのに」

「え、寝たら治った」

「そうでございますか‥‥」


 どうしてか呆れた目で見つめられる。なんだよ。


 まあそうは言っても全快には程遠い。もう二日も寝れば完全回復するだろうから、暫くはゆっくりしたいもんだ。


 そんなことを思いつつカナミの作ってくれた朝食を食べようとしたら、インターホンが鳴った。


 なんだ? まだ来客が来るには朝早い時間だけど。‥‥もしかして加賀見さん? 怒りに燃える加賀見さんが突撃しに来たの⁉ 


「私がでましょうか?」

「いや俺が行くよ」


 一瞬居留守を決め込もうかとも思ったが、あとでバレたら何を言われるか分かったものではないので仕方なく玄関に向かう。


 そして覚悟を決めてドアノブに手をかけた。


 ええい、先手必勝!


「すいません加賀見さん! この度は誠に申しわ、け‥‥」


 あれえ?


 ドアを開けた先にいたのは加賀見さんではなかった。


 白いスキニーのデニムに黒のシャツを見事に着こなした八頭身美女。


 え、どちら様? こんな大人っぽい美人さんの知り合いはいない。


 一瞬本気で誰か分からなかったが、そのアップに纏められた銀髪を見て思い至った。そんな髪色で我が家に来る人は一人しかいない。


「えーと、イリアルさんでしたっけ?」


 昨夜カナミから教えてもらった名前を口にすると、美女は小さく頷いた。


 間違いない。鎧や槍こそ持っていないが、この人は翼の守護者だ。


 にしてもこうして近くで見ると驚きの美女さだな。アイスブルーの切れ長な瞳とか、松田なら見られるだけで昇天しそうな迫力がある。


「あなたは‥‥」


 イリアルさんが訝し気な目で俺を見る。

そうだった、彼女からすれば俺は魔術師でもないのにリーシャと一緒にいる変人だ。


「山本勇輔です。わけあってリーシャたちと一緒にいるんですけど、どうしました?」


 聞くとイリアルさんは目を細めた。昨日は一緒に妹さんを救出するところまでは一緒に行ったが、その後は本人の意向で別れたのだ。彼女からすればついさっきまで殺し合った相手がいるのだから、その気持ちも分からないでもない。


 イリアルさんは何かを言おうとして口を開き、そして閉じるを数回繰り返す。


 ‥‥お腹減ったんだが?


「姉さん、何をしているのですか」


 何だかやけに甲高い声が聞こえた。


 女性にしても高い、というよりも幼い感じの声だ。


 視線を下にやや下に向けると、イリアルさんの後ろからひょっこりと一人の少女が顔を出していた。


 イリアルさんに似た真白の髪とアイスブルーの瞳をした少女だ。違うのは髪の長さと目の感じ。髪は首にかかる程度の短さで、目はくりくりとしていて大きい。


 可愛いな、小動物感があって、見ていると非常に癒される。


 しかし少女はズイと前に出ると、見た目とは裏腹に快活に喋り出した。


「私は女神聖教会で修霊女をしているユネアと申します。昨晩は姉共々大変なご恩を受けたと聞き、せめて御礼をと思い伺わせていただきました」

「あ、どうも。山本勇輔です」

「よろしくお願いしますユースケ様。申し訳ありませんが、カナミ様方はご在宅でいらっしゃいますでしょうか?」


 昨日顔を見ていたのでこの子の正体はすぐに分かった。


 イリアルさんの妹であり『鍵』としての役割を担う少女。

それにしても修霊女だったのか、リーシャといい、『鍵』になるのは女神聖教と所縁ある人間って決まってるのかね。


「ああ、いるよ。どうぞ入ってください」


 後半の言葉は未だに固まっているイリアルさんにも向けて言った。




 そんなこんなで我が家の狭いお部屋に四人が座る。実に四分の三が異世界人という、もはやここがアステリスなのではと思ってしまうファンタジー密度だ。ちなみにユネアさんの実質上司にあたる聖女様は浴室に毛布ごと移動させ、スヤスヤしている。


 起きてこられても座る場所がないので、もう暫くスヤスヤしていただきたい。


 座ったイリアルさんが不思議そうな顔で部屋の中を見回していた。異世界人の部屋が気になるのかしら。


「どうかしました?」

「いえ、なんでもありません」

「そうですか?」


 なんで敬語なんだろう、この人。もっとふてぶてしい感じだった気がするんだけど。気のせいだったか。


「それで、こんな朝早くから何の話ですの?」


 心なしかカナミの声には棘が感じられた。折角作った朝ごはんが冷めてしまうからかもしれない。


 ただ彼女たちも神魔大戦の参加者。情報の交換は大事だし仕方ないな。


 そんなことを思っていたら、突然イリアルさんとユネアさんは思いもよらない行動に出た。


 二人共々、深々と頭を下げたのだ。額が床に

 そのままの体勢でイリアルさんが話し始める。


「今回の一件、ユネアを助けていただきありがとうございました。私のしたことは決して許されることではありませんが、どうかユネア――妹だけは見逃していただけないでしょうか。全て私の独断、この子は何も知らなかったんです」

「姉さん!」


 重く硬い声に、ユネアさんが顔を上げた。


「申し訳ありません! 私が隙を見せたばかりに姉はあんなことを‥‥! 罰は私もお受けします。この身はどう使っていただいても構いません、ですから姉の命だけは!」

「‥‥」


 そうか、二人が言いに来たのはそれか。


 人類を裏切り魔族に与した罪は重い、本来なら考えるまでもなく連座で処刑だろう。しかもここには皇族のカナミもいる。彼女の前で罪を軽んじて済ませることはできない。最も巨大な責務を生まれた瞬間から背負っているカナミが、それを投げ打つことを許すはずがない。


 仕方ない、か。


「カナミ、俺は一回出るな」


 そう言ってカナミを見ると、彼女は小さく頷いた。


 俺は三人を置いて家を出た。朝日が目に眩しく、昨日の疲れが身体に沈殿しているのが否応なしに感じられた。


 人死にのかかった戦場でミスは許されない。意図的な裏切りとなれば尚更だ。


 イリアルさんたちにも同情できる余地はたくさんある。


 俺は戦闘ばっかりでこういった事後処理はほぼ人任せだったから、その辺のバランス感覚は疎い。


「‥‥」


 あいつならどうするかな。


 王族に生まれて戦場を経験し、俺たちが苦手だった交渉や事後処理を引き受けてくれていた彼女だったら、こんな時なんと言うんだろう。


 俺は昔の記憶を引っ張りだしながら、ため息を吐いた。




     ◇   ◇   ◇




 部屋の空気は重く澱んでいた。


 朝食の湯気も薄くなり、重い空気はイリアルたちに圧し掛かる。


 彼女たちはまさしく処刑台に膝をついた受刑者だ。

 頭を下げるイリアルの耳に、カチリと硬い金属音が聞こえた。


「まっ、待ってください!」

「止めなさいユネア!」


 思わず声を上げた妹を制止する。


 今自分の頭に何が向けられているのか彼女にはよく分かっていた。


 銃口を白い頭に向けたフェルガーの引き金に、細い指がかかっていた。ほんの少しでも何かのきっかけがあれば指が動く、そんな緊張感の中彼女は言った。


「昨晩言いましたわね、利敵行為は死あるのみ、と。その考えは今でも変わっておりませんわ。昨晩あなたを撃たなかったのは、そう思わなかった方がいるからです。もしその方の許しがあれば、この私直々にその頭を吹き飛ばしてさしあげましょう」

「‥‥その方とは」


 昨晩にも聞いたその言葉に、イリアルは思わず問い返した。カナミの所作は戦闘の最中であってもその高い気品が感じられる。神殿に稀に礼拝に来る貴族と似ている。しかし戦場でさえそれを保ち続けるのがどれ程困難なものか。


 捨てられたイリアルでは想像もつかない高位の存在のはずだ。そんな彼女が敬意を込めて呼ぶ相手とは。


 しかしその問いは悪手だった。




「このれ者が」




 恐ろしく冷たい声がカナミの口から放たれた。今までのように一介の戦士としての気安さは消え失せ、皇族としての威厳と力を纏った声がイリアルを圧し潰す。


「この期に及んでそんなことすら分からぬ無知蒙昧むちもうまいさには呆れ果てる。斯様かように愚鈍な頭など必要なかろう。今ここでその首軽くしてやる」


 イリアルは自分が虎の尾を踏んだとのだと、その瞬間に理解した。


 それ程までに彼女にとって、「ある方」の存在とは大きいのだ。


 己の選択を悔やみながらもイリアルは顔を上げる。自分はどうなってもいい、せめてユネアの命だけでも、そのためにならどんなことでもしよう。


 顔を上げた先では銃を突きつけるカナミが見える。――そして全く気付かない間に別の存在が部屋に立っていた。


 窓の横、朝日を浴びて滑らかに輝く銀の鎧。


 目元からは炯々と翡翠の光が漏れ、イリアルたちを睥睨する。


 正体不明の銀騎士。イリアルが手も足も出なかった魔族を正面からねじ伏せた、紛れもない剛の者だ。


 確かに不思議には思っていた。いずこかの守護者か、だとすれば『鍵』はどこに行ったのか。


 唯一明白なのは、この中で最も強い存在は銀騎士だということだけ。


 知らず知らずの内にイリアルの細い頤を汗が伝った。


「『銃を下せ』」

「承知しました」


 カナミは反論することもなく即座に銃を下した。


 やはり、この銀騎士がカナミの言う「あの方」。イリアルの中にもその予想はあったが、彼、あるいは彼女がどういった存在なのか全く予想がつかなかった。


 銀騎士は魔力の籠った、腹の奥底に重く響く声で言った。


「『守護者、貴様は何故頭を下げている』」

「それは‥‥私が女神様を裏切」

「『裏切ってなどいない・・・・・・・・・』」


 イリアルの言葉を遮り銀騎士は断言した。


 ユネアが驚きに目を丸くし、イリアルもまた何も言えず銀騎士を見上げ続けた。面頰の奥に覗くのは翡翠の光のみ。揺らぐ炎のような光からは何の感情も読み取れなかった。


「『戦いにあるのは勝つか負けるか。カナミ、此度の戦での負けとはなんだ?』」

「はい、『鍵』を殺されることですわ」

「『であれば『鍵』を死なせないための動きは裏切りではない。結果的に誰も死ぬことなく最大の戦果を挙げられたのであれば、何を問題とする』」


 はじめイリアルは何を言われているのか分からなかった。ただ少し経てば銀騎士の言いたいことも分かってくる。


 最終的に勝つための行為であれば、それは裏切りではなかったと。


 確かにそういう考え方もあるのかもしれないが、イリアルはあの時間違いなくユネアと人族を天秤に掛けユネアを選んだ。神魔大戦に勝つためではなく、妹を死なせたくない一心だった。


 銀騎士はそんなこと百も承知だろう。束の間の安堵を銀騎士は即座に切り裂いた。


「『もし貴様たちの落ち度を責めるのであれば、それは弱さだ』」


 言葉が鋭い剣となって胸に突き刺さった。真実は時に激烈な痛みを伴う。


「『何かを守りたいのであれば弱さは罪だ。他の誰でもない、自分自身を永遠に裁き続けることになる』」

「‥‥はい。この御恩、お言葉は決して忘れません」

「『どんな理由であれ、次俺たちの前に立ち塞がれば斬る』」


 言葉の意味が分かったのか、ユネアの顔がパアッと明るくなり、再び頭を下げた。


「――ありがとうございます!」


 妹の明るい声。イリアルは今一度銀騎士の言葉を深く胸に刻み込んだ。


 今回は運がよかっただけだ。強い人間が助けに入ってくれた、その人物が人格者であった。


 二つの奇跡が重ならなければ、イリアルもユネアもこの場にはいなかっただろう。


 強くならなければならない。一刻も早く。


 二度とこの笑顔を曇らせないために。




     ◇   ◇   ◇




「――ありがとうございます!」


 歓喜の声が部屋の中に響いた。


 名も告げず、見せつけた暴力によって立場を明確にし、俺はここに立っていた。


 ユネアさんの純真無垢な笑顔に心が痛む。俺は礼を言われるようなことはしてない。ただの損得勘定で、より自分たちに有益な判断を下しただけだ。


 カナミに目をやると、彼女は小さく頷いた。


 そうだよな、今ここでイリアルを殺すのは得策じゃない。替えが効く戦争ならともかく、今回の神魔大戦では守護者一人の価値は重いのだ。


 だからこの結果は初めから決まっていた。あとはそこまでどうもっていくか。今回はカナミが悪役を買ってくれたから、俺が諫める立場に回った、それだけだ。


 本音と建て前を使い分けた茶番。


 弱いことが罪だなんてよく言えたもんだ。イリアルさんなんかよりもよっぽど、俺の方が重い罪を背負っている。


 言いながら、自分の言葉が深く胸を抉るのが分かった。俺が弱かったせいで、この手から零れ落ちた命は数えきれない。


 それでも、この場では言わなきゃいけない。イリアルさんを今失うわけにはいかないのだ。

満点とは言えなくても、なんとか赤点を免れるくらいの選択じゃないだろうか。エリスが見ていれば厳しい言葉が飛んできそうだけれど。


「『‥‥』」


 窓の外を見れば空は嫌になるほど青く澄んでいた。


 戦闘でもこんなに疲れることはない、今は一刻も早く鎧を脱いで、ゆっくりと朝食を食べたかった。

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