第66話 日常へ
その後、イリアルさんとユネアさんは暫く街で休んでから、情報を手に入れるために街を出るということだった。
完全に別れるということではなく、何か分かったことがあればまた戻ってくるらしい。
守護者と鍵はなるべく固まっていた方がいいだろうし、この辺を拠点に動いてくれるなら助かる。
さて朝から予想外のお客さんが来てしまったが、それ以降は至って平穏な時間だった。
リーシャはイリアルさんたちが帰ってきた後に寝ぼけ眼をこすりながら起きてきた。「なんで私浴室で寝ていたのでしょう?」と首を傾げていたので、「君の寝坊は想像を超えていたんだ‥‥」と適当なことを言ったら、「そ、そうだったんですね、気をつけます」と納得していた。チョロい。
そんなこんなで大学に行く時間である。
戦いの翌日くらいは休みたいもんだが、今日は理由があって行かなきゃいけない。
「じゃあ、行ってくるよ」
「行ってきます」
「はい、気を付けていってらっしゃいませ」
俺とリーシャはカナミに見送られながら部屋を出た。
今日のリーシャの服装はライトグリーンのブラウスに黒のジャンパースカート。髪はいつものように三つ編みに結っていて、落ち着いていながらもどこか爽やかな服が良く似合っている。
まあこの子素材がいいから、基本何着てても似合うんだけどね。
一方俺は黒のジーンズに青の半袖シャツという、ザ・大学生な服装だ。あとは大学用のリュックを背負っているわけだが、そのリュックをリーシャはジーっと眺めていた。
正確にはリュックの横につるされた物をだ。
「気になるか?」
「はい、それなりに。動いたりはしないんですね」
「吸った魔力を使って拘束の魔術をかけてるらしいぞ」
ほえーっとリーシャは興味深げに見つめる。
俺のリュックに吊るされているのは二つ、一つはリーシャが手ずから作ってくれたお守りのヒューミル。
そしてもう一つ、昨日から付け始めた、小さな鳥籠のようなアクセサリーだ。
よく見ればその中に小さな人形が入っているのが分かる。
そう、昨晩俺が倒した
相変わらず魔力を吸われ続けているため、以前のように悪さはできない。
それでも何か起こった際のことを見越して俺が預かることになったわけだ。ほとんど俺の我が儘で生かしているようなものだから、それも当然。
こんな行動はただの自己満足に過ぎないと自分でも分かってる。
それでも何か意味を見出すことができる日がくるんじゃないか、そんな思いも少しだけあった。
そんなことを思っていたら、いつの間にかリーシャが鳥籠から俺の方に視線を移していた。
どこか嬉しそうな表情で俺の顔をマジマジと見ている。
「なんだよ」
「いえ、昨日ユースケさんが少し怖かったので、いつも通りでよかったなあと。‥‥あ、決して戦っている時が怖いとかじゃないんですけど!」
ワタワタと手を振りながら言うリーシャに、俺は何て返せばいいのか言葉に詰まった。
ルイードの時とは違う、怨讐染みた怒りに任せて発動した魔術。感情の励起は魔術にとって重要な要素だが、それに飲まれれば後に待っているのは己の命すらも燃やし尽くす業火だ。
俺は無言でリーシャの額にデコピンを入れた。
「いたっ! お、怒ったんですか⁉」
「怒ってないよ、今度から怖くならないように気を付けるわ」
「え、じゃあなんで私はおでこを叩かれたんですか? ユースケさん? ユースケさん!」
名前を呼ぶリーシャを後に歩き始める。
今リーシャの顔を見たくなかった。自分でさえ気付かなかったことを言い当てられて、顔が熱くなっているのが分かったから。
「ユースケさーん‼」
◇ ◇ ◇
さて何故俺たちが戦いの翌日にも関わらず大学に来たのかというと、一つは文芸部の部会があったからだ。
ちなみに一限の講義もあったような気がするが、確認してないので多分ないと思う。ないといいなあ。
そうしてやってきたのは文芸部御用達の空き教室。中に入ると、そこには既に結構な人数が集まっていた。
今日の部会はそれだけ大事なものなのだ。
だが今日の俺の目的は部会だけじゃなかった。
部屋の中を見回して目当ての人物を探す。どいつもこいつも大学デビューで髪を似たような色に染めおってからに。個性を出したいなら総司ばりに赤くしろ赤く。
うーん、いないな。文芸部とは思えないリア充オーラだからすぐ見つかるとばかり思ってたんだけど。
「先輩、なんでそんなところで突っ立ってるんですか?」
「あ、陽向さんおはようございます」
声を聞いた瞬間に俺は振り返った。
そこにはいつも通りの艶々茶髪にばっちりメイクをきめた陽向が立っていた。
見たところ外傷もなく、魔術的な痕跡も見当たらない。
「そういえば昨日私が貧血で倒れたときに医務室まで運んでくれたのって先ぱ――」
「陽向、なんか身体におかしいところとかないか?」
「へ? 特にありませんけど」
うーん、確かに健康体そのものに見える。タリムが言うには寄生体から呪言を用いて操っていたそうだから、催眠に近いものらしい。
だから魔術的な耐性の低い一般人にしか効かないし、後遺症も残らない。
それでも心配なものは心配だ。
「本当か? なんか記憶がおかしいとか体調が悪いとか」
「た、ただの貧血ですって。というか近いです、近いですから先輩!」
「そんなことどうでもいいからもう少し顔をよく見せろって。やっぱり少し顔赤くないか?」
「それは――って本当に近い!」
なんだか余計に赤くなってる気がするんだけど、やっぱりタリムの影響が残ってるんじゃないか? だとしたら今すぐ鳥籠で寝てるあいつを叩き起こして聞くんだが。
「おい、朝から何後輩襲ってんだ」
「うお!」
陽向に詰め寄っていたら襟首を誰かに掴まれて後ろに引っ張られた。
振り向くといつの間に来ていたのか、総司と松田が立っていた。
「いやこれは健康確認をだな」
「どう見たってお前のせいで健康が害されてるだろ。確かに貧血で倒れたって聞いたときは驚いたが。陽向大丈夫なのか?」
「はい、ご心配おかけしました」
「だとよ」
ぬう。
「それならいいんだけど。なんか不調があったらすぐ言えよ陽向」
「分かりましたってば」
陽向は何やら唇を尖らせてゴニョゴニョさせていたけど、生憎何を言っているのかさっぱり分からなかった。
とりあえず後遺症は残っていないようで一安心だ。
後ろでリーシャを口説こうとする松田をどつきながら、俺たちは席に座った。
そうして少し待つと高らかな足音を立てながら文芸部の会長――早坂朱里が入ってきた。
艶やかな黒い髪をなびかせながら教授以上に颯爽と教壇の前に立つと、何やら黒板に書き始めた。
何となしに教室の中を見ていると、あることに気付いた。今日のミーティングはほとんどのメンバーが参加しているが、一人だけいない。
月子が参加していなかった。
珍しいな、こういう集まり事は律儀だから必ず参加していたんだけど。
考えてみたら昨日の後始末も加賀見さんたちに押し付けちゃったし、月子がそちらに駆り出されていたとしても不思議じゃない。だとしたら悪いことしたなあ。
とはいえ謝罪も受け取ってはもらえないだろうし。
どうしたもんか。
そんなことを考えている間に、字を書き終わった会長がタァン! とチョークを打ち鳴らした。それチョーク割れるからダメって前に言われてたじゃん。
「さて、あと一週間で夏休みに入る。わざわざ言わずとも分かってはいるだろうが、夏休みに入るということは我ら文芸部一大イベント、文化祭が間近に迫っているということである」
いつも以上に熱の入った声。だがいかんせんこないだも似たような話を聞かされたばかりなのでメンバーたちの反応は今いちだ。
しかしそれでも我らが会長はめげないしょげない諦めない。
「既に文化祭に向けて制作に入っている者たちもいるだろう。そんな君たちに朗報だ」
そこで会長は溜を作り、堂々と言い放った。
「来る八月十日から三泊四日での伊豆合宿が正式に決定した‼」
瞬間、教室が湧きたった。
全員で歓声を上げ、会長を褒めたたえる。勿論俺と総司と松田もスタンディングオベーションだ。ノリについていけない一年生とリーシャが目をパチクリさせている。
「あの先輩これは‥‥」
「毎年の伝統でな、合宿が決まったら全力で喜ばなきゃいけないんだ」
「なんですかその意味分からない伝統」
「ちなみに去年からだ」
「それ伝統って言うんですかね」
去年これをやらなかった結果、合宿担当だった会長が拗ねに拗ねたんだよ。見た目によらずメンタル豆腐な人である。
そんな会長は歓声を受けて上機嫌な様子で続けた。
「ついては合宿担当の者たちよりしおりの配布があるので、全員きちんと受け取るように。言っておくがこれは遊びじゃないぞ、我ら文芸部の誇りと威信をかけた戦いなんだからな、そこのところ肝に銘じておくように。聞いてるか⁉」
申し訳ないけれどもうほとんどの人が会長の言葉なんて聞いてはいなかった。
しおりを見るのに夢中だ。
そして俺の隣でもしおりを受け取ったリーシャが目をキラキラさせて中身を読んでいた。
「ユースケさん、合宿って何ですか⁉」
「あーそうだよな、そこからか。みんなで泊まり込みで何かをするのを合宿って言うんだ」
「泊まり込み‥‥」
リーシャは周囲の面々を見回す。ここ最近で話ができる相手も増えてきただろう。
「この皆さんとですか⁉」
「そうだよ。全員が来れるかは分からないけど、ほとんど来るんじゃないか?」
「ふぁー」
何だか現実感の伴っていない声だな。
それも仕方ないか、教会で育てられたリーシャにしてみれば誰かと泊まり込みで出かけるなんて経験あるはずがない。
俺と旅を共にしていた聖女が特殊なだけで、ほとんどの聖女は教会の中でその一生を終える。
正直今回の合宿に参加できるかは微妙なところだ。
いつ魔族が攻めてくるか分からない状況で悠長に旅行をしていられるとも思えない。
それでもリーシャには何とか経験させてやりたかった。
夏が連れてくるのは輝かしい思い出か、あるいは全てを狂わせる嵐か。
安穏とした未来はあり得ないと知りながらも、せめてリーシャの思い出が増えていってほしい。あちらに戻ってからも、白い部屋の中で生きていけるように。
俺にできることは、きっとそれくらいだから。
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