第306話 現実ってそんなもん

 閑静な住宅街に突如として建てられた、平屋の一軒家。


 山本家。


 ついこの間ここに越してきたばかりの一家は、少しばかり特別だ。


 何せ男女比一対五。年齢も皆若く、明らかに日本人でない少女が過半数を占める。


 はた目から見れば、ただれた生活をしていることが予想される山本一家だが、実際には規則正しい生活を送っていた。


 山本一家の生活を支えるのは、母親的ポジションを獲得してしまったゴスロリ縦巻きロール、カナミである。


 本名はカナミ・レントーア・シス・ファドルというファドル皇国のれっきとした皇女だが、その家事能力は城仕えのメイドにさえ匹敵する。


 彼女は日の出よりも早く起きると、家の掃除と全員分の朝ごはんの用意をする。


 三食のリズムをコントロールする彼女によって、山本家の秩序は保たれているさえと言っていい。


 では他の住人は何もしていないのかといえば、そういうわけでもない。


 例えばリーシャ。


 リーシャはカナミと同じかそれよりも早く目覚める。そうして最低限の身支度を整え、髪を三つ編みに結ぶと、床に座って静かに祈りを始める。


 彼女が祈り始めれば、そこはもはや教会だ。


 最近は祈りが終わると、着替えて勇輔とのランニングだ。そうでない日はちゃんとカナミのお手伝いもしており、何もせず動画ばかり見ているわけではないのである。


 次に伊澄月子いすみつきこ


 勇輔の元恋人であり、現在は対魔官として山本家に住んでいる。


 月子は早朝に起きると、手早く朝の支度を済ませて、朝食の時間までは訓練室にこもって鍛錬たんれんだ。


 伊澄天涯いすみてんがいから渡された知恵の輪を外し、それから槍を振るう。


 すでに知恵の輪は片手でもスムーズに外せるほどになっていた。


 しかしまだ足りない。シャーラは戦いながらでも外せるようになれと言った。当然、片手がふさがるような状態ではまともに戦えない。


 今は手を使わないで外す訓練中だ。 


 そうして汗を流したら、シャワーを浴びて朝食だ。


 カナミを筆頭にこの三人は規則正しい生活を送っている。


 一応家主である山本勇輔も、一般的な男子大学生に比べればきちんとした生活を送っていた。一人であればいざ知らず、カナミやリーシャが家事をしてくれて、月子が鍛錬をしている中惰眠をむさぼれるほど、心臓が強くはなかった。


 そういうわけで山本家の大多数はきちんとした生活をしているわけだが、働きアリの法則というべきか、例外も存在する。


 四英雄が一人、元冥神の花嫁、シャーラだ。


 氷像の如き無機質な美貌びぼうに、神の花嫁として永い時を過ごした高貴な立ち振る舞いは、浮世離れという言葉がよく似合う。


 しかしながら、彼女の本質はミステリアスな美少女ではない。


「‥‥シャーラ」


 家に帰ってきた勇輔は、リビングに入るなり目を伏せて言った。


「おかえり」

「ただいま――じゃないよ。なんだその恰好は」


 ソファに寝そべり、頭だけを上下さかさまでこちらに向けたシャーラからは、元神の花嫁としての自覚は一切見られない。


 だらけているだけならまだいいのだが、服装が問題だった。勇輔もよく見たわけじゃないが、上はキャミソールだけで、ソファの向こうには真っ白な生足が見えていた。短パンを履いていてほしいが、下手すれば下着だけという可能性も十分にあった。


 シュレディンガーのパンツである。


 シャーラはキョトンとした顔をした。


「? 起きてから着替えてないだけ」

「ああ、この際全部着替えろとは言わないから、せめて上に何かしら羽織るとかあるだろ」

「別に必要ない」

「必要かどうかじゃなくて、着てくれてって話をしてるんですけど」


 季節は既に冬。普通なら家の中でもそんな薄着で生活していられないはずだが、シャーラは冥府を生きてきた人族だ。日本の冬など、お話にもならない。


 シャーラは少しだけ勇輔の言葉について考え、


「面倒くさい」


 という一言でぶった切った。


 これが山本家随一の問題児である。その堂々たるものぐさっぷりは、他の追随ついずいを許さない。


 勇輔はため息を吐きながらシャーラを無視して自室に戻ろうとした。今日は土御門晴凛つちみかどせいりんと定期連絡をする日だ。シャーラに構っていたら時間がなくなる。


 リーシャはどうしたらどうしたらと隣であわあわしていたので、先にシャワー浴びてこいとうながす。


 その時だった。


 もう一人の問題児が襲来したのは。


「あれ、先輩、リーシャちゃん。おかえりなさい」


 ひょっこりとキッチンから顔を出したのは、緩く内巻きにカールした茶髪に、エプロン姿が妙にマッチしている女性だった。


 それなりに時間がかかりそうなメイクはばっちり決まっており、猫みたいな大きな目がくりくりと勇輔たちを見ている。


「ああ、ただいま」

「ただいま戻りました」


 二人は陽向紫ひなたゆかりに向かって挨拶を返した。


「早めにシャワー浴びてくださいね。朝ごはんの用意もうできますから」


 エプロン姿でそう言う陽向は、なんというか新妻にいづまオーラがすごかった。


 カナミやリーシャも家事はしてくれるが、見た目の圧が強いので、一瞬漫画の世界に迷い込んだのかと錯覚してしまう。


 一方陽向は、いい意味で現実感がある。


 しかも勇輔はついこの間、陽向本人から愛の告白を受けたばかりだ。


 それはもう新妻感に拍車をかける。最大風速が強すぎて、「ただいま」の一言を絞り出すだけで、童貞の心臓は爆発寸前だ。


 ついこの間まで普通の女子大生だった陽向紫は、ひょんなことから神魔大戦に巻き込まれてしまい、今はこうして山本家の住人として暮らしている。


 一般人が異世界人と魔術師の巣窟そうくつに放り込まれたはずなのに、持ち前のコミュ力で既に溶け込んでいる。


 なんならシャーラよりもよっぽど適応していた。


 勇輔が今度こそ部屋に戻ろうとした時、陽向が「そういえば」と、


「今日は先輩の好きな出汁巻ですよ。今回は私が愛情たっぷりこめて焼きましたから、楽しみにしていてくださいね」


 ミサイルをぶっ放してきた。


「お、おおおう。た、楽しみだな」


 今までなら、「はいはい」と冗談として流せていた言葉も、告白を受けた後ではそうはいかない。


 直球ど真ん中の一撃は、勇輔の胸を貫いて爆発する。


 してやったりとにんまり笑う陽向を直視できず、勇輔は赤くなる顔を隠そうと下を向いた。


 問題なのは、これだ。


 陽向はあの日以降、勇輔に対しての好意を隠そうとしないどころか、周りに見せつけるように全力でぶつけてくる。


 勇輔が女慣れした百戦錬磨であれば問題なかったが、残念なことに下の剣はピカピカの新兵である。


 毎日の猛烈な攻撃ラブコールに平静を保つので精一杯だ。


 そして問題はまだあった。


「‥‥にやけてる」

「うお⁉」


 下を向いていた勇輔を、人形のような顔が下から覗き込んできた。月の光をかしたようなプラチナブロンドの髪、寝起きとは思えない輝きの紅玉の瞳。


 シャーラがいつの間にか勇輔の腕を抱き、こちらを見上げていた。


 密着しているおかげでシュレディンガーのパンツは未だに観測されていないが、腕に当たる柔らかい感触は、ダイレクトに伝わってくる。


 ――え、もしかしてこの人下着つけてない? 寝るときはフリーダムに解放しちゃう系? 助けてー! 助けてみんなー! 痴女に絡まれてます!


 勇輔は心の中で昔の仲間たち、主にエリスとメヴィアに助けを求めたが、ここには暴走娘を止めてくれる二人はいない。


「ねえ、にやけてる」


 別ににやけてようが何だろうがお前には関係なかろうと言ってやりたいところだが、リーサルウェポンを当てられている時点で、勇輔の敗北は決定していた。


 シャーラは一応勇輔の婚約者という立場なので、勇輔が悪いと言えば悪いのだが。


 これまでならリーシャやカナミ、月子にいたとしても、そこまで問題にはならなかった。


 月子の視線が怖いくらいで、勇輔が引っぺがせばそれで終わりだった。


 しかし、現在山本家には、もう一人問題児が住んでいる。




「ええ、にやけているでしょう。勇輔は私が好きなのだから、当たり前じゃないですか」




 彼女は勇輔の腕を反対から引っ張ってシャーラから離した。


 陽向の声で、陽向の顔で、彼女は笑う。


 その目と髪は満開の桜色に変わり、魔力が炎のように揺らめいた。


 既に彼女は、陽向ではなくなっていた。


 陽向紫がこの家に住むことになった理由。


 元『夢想の魔将パラノイズ・ロード』、ノワール・トアレだ。


 トアレは導書グリモワールのシキンによって殺害されたが、魂だけとなり陽向の身体に同化した。


 普段の生活における体の主導権は陽向が握っているが、こうして時々トアレが表に出てくる。


 そしてトアレが出てきた時は、ほぼ確実にトラブる。


 ああいうトラブるは漫画の世界だから笑って眺めていられるのであって、現実に起こった場合笑ってはいられない。


 その証拠に、シャーラが即座に勇輔の反対の腕を掴みなおし、噛みついた。


「離せ、メルヘン女」

「そっちが離してください。知ってました? 一回浮気した人は繰り返すそうですよ?」

「その言葉、そのまま返す」

「私は浮気じゃありません。純愛です」

「純愛の意味を調べ直した方がいい」

「おい、俺を挟んで喧嘩するのはやめろ」


 女子の舌戦って、なんで聞いているだけでこんなにメンタル削られるんだろう。勇輔はそんなことを考えながら、両方の腕を引き抜こうとする。


 しかし四英雄と魔将。


 その腕力は凄まじく、腕は万力に挟まれたように動かない。感触は柔らかいのに、硬いという矛盾の塊。


 もちろん、勇輔が全力で身体強化すれば振り切れなくはないが、結果家が壊れ、加賀見綾香に殺されるという未来が見える。


 しかもこの二人、危ないから離すとか、迷惑をかけないようにするとかいう選択肢がない。


 勝敗はサバンナの野獣なみにシンプル。先に離した方が負け、それだけだ。


 勇輔とて男の子。異世界に召喚された時は、こんな風に女の子に言い寄られることを夢見ていた。


 しかしいざその状況になってみると、最初に出てくる思いは一つ。


 ――面倒くせーなぁ‥‥。 


 ハーレム主人公ってすごかったんだなと、勇輔はしみじみ思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る