第219話 祭りの終わりと、はい?
◇ ◇ ◇
崇天祭の三日目は、大学史に残る悲劇となった。
多くの人がにぎわう文化祭の中、突如として百人以上が原因不明の昏睡状態に陥ったのだ。
幸いにもそれによる二次被害がほとんどなかったのは、近くに人がいたおかげだ。
どちらにせよ、大学内はパニック。笑顔と幸せに溢れるはずだった文化祭は、一瞬にして悲鳴
対魔特戦部の人間が多数警備に回っていたため、救急自体は迅速に行われたが、当然文化祭は中止。
それからしばらくの間、大学が封鎖されることになった。
その原因は、俺だ。
「‥‥」
対魔特戦部の三条支部。その一室で座ったまま、ぼんやりと考える。リーシャとカナミは、それぞれ部屋の中で魔道具の整備や読書をしていた。
俺があの大学に通っていたことで、多くの人間を巻き込む悲劇を起こした。そもそもコインの回収を諦めた時点で、こうなる可能性はあったのだ。
櫛名の魔術で昏睡状態になった人たちは、個人差はあれど皆目を覚ましつつあるらしい。
死者がいなかったことだけが、救いか。
あれから数日、俺たちは家に帰ることもなく対魔特戦部の三条支部に泊めさせてもらっていた。
本部の対魔官から裏切り者が出たという事実を加賀見さんは重く受け止め、自分が最も信頼できる場所にいてほしいと言われたのだ。
対魔特戦部は櫛名の行いを人為的霊災とし、その事後処理や背後関係の洗い出しで動き続けている。
何故アステリスの人族であるフィンと櫛名がつながっていたのか、俺には分からない。
加賀見さんたちが探った方が間違いないだろう。
そんなことを考えていたら、部屋の扉がノックされた。
「ごめんなさい、入るわよ」
「‥‥」
部屋に入ってきたのは、加賀見さんと月子、そしてシャーラの三人だった。
オスカーさんはごたごたに巻き込まれたとして本国に強制召還されたらしく、ここにはいない。
シャーラは櫛名の魔術の解明のために、日々研究に協力している。協力しているというか、本当はすごい面倒くさくて嫌なんだろうが、俺が頼んで行ってもらっている。
リーシャとカナミが俺の隣に座り、対面に加賀見さんたちが座った。
「ごめんなさい。いろいろとこっちも収拾がつかなくて、放置している状態になってしまって」
「それは大丈夫です。こちらこそ申し訳ありませんでした。俺たちのせいでこんなことになってしまって」
俺が頭を下げようとすると、加賀見さんは手でそれを制した。
「それは違うわ勇輔君。確かに神魔大戦は異世界の出来事かもしれない。けれど、それに関与した人間が現れた以上、これは対魔特戦部の問題でもあるわ。何より今回の霊災は完全に私たちの落ち度よ。あなたが気に病むことではないの。本当にごめんなさい」
「それでも根本的には、俺たちがいるせいで起きたことです」
加賀見さんは首を横に振った。
「被害者が事件の原因を自分に求めては駄目よ。責められるべきは罪を犯した人間。その責任を負うのは、当事者と組織だわ。あなたは人を守り、戦った。それが悪かったなんて、誰にも言わせないわよ」
「‥‥」
俺は何も言えなかった。
そんなことはないはずなのに、どうしてこの人はこんなにも肯定してくれるのだろうか。
加賀見さんは疲れているのであろう、目の上をぐにぐにとマッサージしながら、やさぐれた口調で言った。
「それよりも、私はもう一つの事実が聞きたいんだけど。なんですっけ、あなたの正体が、あれ、その‥‥」
「ああ、すいません。そもそもそこからですよね」
月子から聞いたんだな。ここまで来たら隠す意味はない。話すよりは見てもらった方が早いだろう。
俺は『我が真銘』を発動し、銀の鎧を纏った。未だに人の前で魔術を発動するのは緊張するが、加賀見さんにはずっとお世話になっている人だ。これ以上は騙せない。
加賀見さんは二秒ほどそれを見てから、ぶつぶつ呟き始める。
「あ、はーん、なるほど‥‥。なるほどね、なんで気付かなかったのかなー、考えてみればいろいろ腑に落ちるのにねー」
「『申し訳ない。この魔術そのものに隠蔽の効果があるためです』」
「あ、あー。そういう。そういうあれね、うん」
加賀見さんは何故か視線を合わすことなく、空返事を繰り返しながら頷いた。
いやまあ、驚きますよね。
俺の隣で「分かりますわ」とばかりにカナミが優しい笑顔をしているのも気になる。なんだよ。
しばらくストップしていた加賀見さんは、おもむろに手を上げた。
「ちょっとごめん、なんか重なって頭動かなくなってきた。一回クールダウンしてくるわ。リーシャちゃん、カナミさん、後シャーラさんも少し話があるから、来てもらっていい?」
「あ、はい分かりました」
「承知しましたわ」
リーシャとカナミが立ち上がる。
「私はここでいい」
「いいからいいから」
一人断ったシャーラを加賀見さんは強引に立たせて部屋を出ていった。気のせいか、ここ数日で扱いが手慣れてきてるな。普段から気難しい子を相手にしているんだろうか。
後には俺と月子だけが残される。
どうやら気を使わせてしまったらしい。
俺は魔術の発動を解き、改めて座り直した。
「‥‥」
「‥‥」
月子が感情の読めない目で俺を見つめていた。この部屋に入ってからずっと、その視線は外れていない。
そうだよな。あの日以降まともに話す機会もなかったし。
ここで言うべき言葉は一つだ。
「ごめん。俺もずっと月子に大切なことを隠してきた。俺は異世界で勇者をやっていた。家族にも、誰に言っても仕方ないって、それが正解だって言い聞かせてたんだ」
もしも付き合った時に伝えていたら、俺たちの関係はまた違ったものになっていたのかもしれない。
今更なんの意味もないのかもしれない。
それでも彼女が全てをさらけ出してくれたように、俺も伝えたいと、そう思った。
「それ」
顔の見えない月子の声が聞こえた。
「それを話したのは、地球では‥‥私だけ?」
ん? どういうことだ。
俺が元勇者だと知っている人は結構いるけど、純粋に地球の人って考えるとそうだな。
「加賀見さんに今話したのを除けば、月子だけ、だな」
「そう」
端的な返事に顔を上げると、何故かさっきまで俺を見ていた月子がそっぽを向いていた。
「それがどうかしたのか?」
「別に。ただどうして私にそれを話したのかと思って」
「それは――」
それは、どうしてだ? リーシャに存在を肯定してもらい、俺が俺を認められるようになった。それが切っ掛けなのは間違いない。
同時に自然と月子にも話さなければいけないと思っていた。
どうしてだろうか。数か月前なら、未練がましい思いだっただろうが、今はどうだ。
戦友として、友達として、元恋人として。
どれもうまくはまらない。
結局のところ行きつく先は、
「聞いてもらいたい、って思ったからかな」
そうなるんだろう。
俺は月子に話したかったし、聞いてもらいたかった。
『私は‥‥私は、もうあなたに傷ついてほしくないの。それが我が儘でも、結果的に勇輔と離れることになっても、それでも』
月子の言葉がよみがえる。
これが答えになるかは分からない。あるいは正解なんてないのかもしれなかった。
「俺は異世界でもここでも、戦うことを選んだ。それが俺のやるべきことだと思ったから。危険でも、間違いでも、俺は胸を張って生きていきたい」
こんな言葉で、君は納得しないだろう。俺のことを本気で心配してくれている人を、裏切りたくはなかった。それでも、俺は俺の道を進むために、何度でも剣を取る。
下がりそうになる視線を、なんとか前を向いたまま押しとどめた。沈黙が重くのしかかる。
「──分かったわ」
どれほど経っただろうか、月子は再び俺の方を向いた。
そこには数か月ぶりに見る、自然な彼女の笑顔があった。
強く殴られたような衝撃に、頭が揺れた。
そうだった。
その顔が見たくて何度空回りしただろう。緊張して、失敗して、その度に君は仕方ないとでも言うように、淡く口元をほころばせた。
「私もあなたの力になる。対魔官じゃない、伊澄月子として勇輔の支えになる」
それはあの時あったかもしれない未来だった。もう二度と、見ることのない景色。
ここに来るまでに、俺たちは長く遠回りをしたのかもしれない。
「ああ、頼む」
「ええ、覚悟をすることね。途中で投げ出すことは許さないわ」
俺たちは自然と手を前に出し、握り合った。
一度壊れてしまった関係は、元には戻らない。それでも壊れたことを認め、問い直せば、また新たなものを作り上げられる。
何が正解かなんて誰にも分からないのだから、俺たちは納得するまで、何度だって作り直すだろう。
それでいいと、そう思えた。
◇ ◇ ◇
バァン! と扉が開かれた。
「っ!」
月子は慌てた様子で俺から手を放し、机の下に引っ込める。
手にはまだ柔らかな感触が残っていた。
どうしたらいいんだ、これ。なんだかこっちまで恥ずかしくなってきた。
扉の方を二人で見ると、そこにはさっき出ていったはずの加賀見さんを筆頭に、リーシャたちが入ってきていた。
何?
「話は終わったわね⁉」
「え、ええ。はい。ありがとうございます」
「‥‥」
とことこと歩いてきたシャーラが俺の隣に座る。
いや止めなさい。加賀見さんが話そうとしているでしょ。しかも気のせいか、対面から視線を感じる気がする。おかしいな、文化祭の時も似たようなことがなかったか。
「と、とにかく今日は大事な話があってここに来たのよ」
それはまあ、いろいろと話さなければいけないことは多いだろう。とりあえず引っ付いてくるシャーラのことは諦め、加賀見さんの方を向いた。
「大事な話ですか?」
「ええ。私は積み重なる仕事の中でも、ちゃんとあなたたちのことを考えていたのよ」
「ありがとうございます」
加賀見さんが言うと、重みが違うな。
それで、結局何の話なんですか。
加賀見さんは存分に溜めると、ストレスと疲労を吐き出すように、ハイテンションで叫んだ。
「引っ越しをします‼」
‥‥はい?
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