第9話 現代魔術

 綾香とフレイムの間にあった距離は、精々二十メートル程度だ。彼女の足なら、一秒もいらない。


「全く、これだから人族というものは度し難い。シシーもそう思うだろ?」


 フレイムは呟きながら、軽く腕を持ち上げながら魔術を組み上げた。


 それはまるで自然な流れだった。気負いなく、呼吸をするように、腕をあげる動作の最中に魔術が組み上がる。


 それも、決して簡単な魔術ではない。


 プロの綾香から見ても、尋常ではない魔力が意思を持つように滑らかに流動した。並の魔術師であれば、行使するのに相当な集中力を要するだろうそれを、フレイムは何気なく行ったのだ。


 そして、綾香がフレイムを自身の間合いに収めると同時、フレイムの外套が勢いよく暗闇の中をひらめいた。


 ゴウッ! と目を焼く光と共に、身体が燃え上がる錯覚を覚える程の熱が綾香を襲う。


(まったく、化け物じみた魔術ね!)


 フレイムと綾香の間に割り込むようにして現れたのは、炎の壁だ。


 目の前の男は『フレイム』と識別名がつけられることからも分かる通り、炎の魔術を使う魔術師だ。


 その火炎は鉄すらも容易く溶かし、魔術で作り上げた結界を紙のように打ち破る。


 綾香たちはこれまでその炎に対抗することも出来ず、蹴散らされてきた。


 だが、いくら魔術によって作り出されたものであっても、炎は炎。 


 対処のしようがないわけではない。


 フレイムの魔術に合わせて、闇夜に紛れて待機していた対魔特戦部の人員たちが待機状態にあった魔術を完成させた。


 ――『雨格子あまごうしノ結界』。


 濁流が、フレイムを飲み込んだ。


 金生水。金は水を生む、五行相生ごぎょうそうしょうの基礎的な思想に則った魔術。だが、現代の魔術は決して骨董品染みた技法だけで行われるものではないのだ。神秘性を損なわないようにしながら、現代科学の粋を組み込む技術こそ現代魔術師の真骨頂。


 無から有を生み出すよりも、有るものを使った方が効率は圧倒的にいい。それは魔術も例外ではない。そもそも魔術はオカルトとしての側面とは別に、自然科学に基づいた見解から生まれた物も多い。それは元素をバラして組み替える錬金術しかり、火を焚いて行う雨降らしの儀式しかり、五行思想しかり。


 今日の高い湿度、降水確率、そして消火栓からあらかじめプールしておいた多量の水。本来過去の魔術師たちが期を待たなければならなかった事象を、意図的に作り上げることで魔術の効果を何倍にも引き上げる。


 結果、フレイムの生み出した炎を上から叩き潰すようにして、滝の如き勢いで雨粒が落ちてきた。それは守るためではない、対象を封じ込めるための結界。


「――む?」


 炎に熱せられた雨の体積が何倍にも膨れ上がり、水蒸気爆発が起こるが、それすらも『雨格子ノ結界』がフレイムにだけ衝撃が向くよう抑え込む。


「はぁああああああ!!」


 そこへ、綾香が突っ込んだ。


 手首に巻くのは、特殊な加工をした琥珀を繋ぎ合わせたブレスレットだ。


 宝石の一種である琥珀は、他の宝石とはその本質が大きく異なる。そもそも宝石は古よりその人を惹きつける魅力、希少性、存在の強固さから魔術の素材として多く使われるが、現代でもそれは変わらない。


 だが、琥珀はその中でも特殊な立ち位置にある。元々他の宝石とは違い、樹液が長い年月をかけて固まった化石が琥珀となるため、完全に石である宝石とは出自からしてまるで違う。


 つまり琥珀は本来、生命から生まれたものだ。


 故に美しい無機物としての神秘性の他に、琥珀は生命そのものに干渉する力を強く秘めている。


 そして綾香が使う魔術は、様々な波長を生み出し、操る波動の魔術。


 どれだけ化け物じみた魔術を使おうが、魔術の結界で身体を守っていようが、身体を強化していようが、それを行っているのは人間だ。


 身体の約七割を水分が占める人間は、波動の衝撃に弱い。それだけでなく、魔術すらも外部から干渉する魔力の波動によって崩れるのだ。


 琥珀は、その波動の魔術をより生命に対して効果的になるように、強化する。


 綾香は琥珀のブレスレットに魔力を込め、『雨格子ノ結界』へと波動の魔術を叩き込んだ。


 ほぼ水中に近い『雨格子ノ結界』は、波動を大気に打つよりも遥かに効率よく伝えてくれる。しかも結界を維持する対魔特戦部の人間はその波動が一方からでなく、乱反射するように結界を調整した。


 多方向から一転に集中された衝撃は対象に逃げる隙間を与えず、さらに様々なベクトルから連続で送り込まれる波動は対処を許さない。


 まさしく必殺の策。


 そこへ、更に駄目押しの一手が加えられんとする。


 それは綾香よりも後方で、綾香を超える魔力を錬成し、操る一人の女性によるものだ。


 伊澄月子は黒髪を夜に浮かし、彼女は身体の各所に取り付けられた、とある機構に魔力を流す。


 瞬間、カシャカシャン! と音を立てて月子の服の隙間から鈍く光る鉄片が飛びだした。それらはすぐさま組み合うと、一瞬のうちに月子の手の中にその本来の姿を現す。


 街灯の明かりを反射する鈍色の輝きの中、金のラインが混じった長槍。よく見れば、その柄や穂に精緻な魔術刻印が刻まれているのが分かるだろう。


 月子が身体に仕込む魔道具、『金雷槍きんらいそう』。


 新月の夜に生まれ、満月の夜に生贄にされた牡山羊の角を軸に、錬金術によって生み出された幻想金属を鍛造する、最高峰の武装。


 月子は金雷槍に魔力を込めた。金の火花が静かに、けれど力強く穂先で散る。


 古今東西、山羊は雷と非常に縁深い生き物である。


 雷は神の怒りであり、古代の人間にとっては神その物と言ってもいい。そこで山羊は生贄として用いられ、祭壇に掲げられた。


 ギリシア神話においてゼウスの育ての親たるアマルテイアは山羊の角をゼウスに捧げ、中国の少数民族の間では、生贄にされた山羊の頭は雷神の鉄床に使われると信じられている。


 また北欧神話で雷の神として名高いトールが乗る戦車を引くのは、タングリスニとタングニョーストという二頭の山羊だ。


 文化圏の違う場所においてさえ、その関係性が度々見られるのは、それだけ山羊という生物が大地に生きながら、岩山を駆け、その雄々しく伸びる角に雷を惹きつける何かがあったためだろう。


 月子もまた、生まれながらに雷の魔力に魅入られた人間だった。幼少の頃に落雷に打たれるも、その雷を無意識の内に魔力で親和することで無傷で生き残ったという驚天動地の過去を持つのだ。


 彼女は一歩前に踏み出しながら、魔力を操る。


 落雷の如く凄絶に、乙女として淑やかに、神を宿すように荘厳に。


 月子は魔術を構築し、金雷槍を構えた。金色が、夜を眩く染め上げる。


 そして、



「『天穿神槍てんせんしんそう』」



 呟くと同時、放った。


 ごうッ!! と金雷槍はまさしく雷そのものに変わる。闇を引き裂く雷鳴を迸らせながら、残光と衝撃を後に、槍は一直線に『雨格子ノ結界』へと飛翔する。


 衝突は、弾ける白い閃光と共に為された。


 アスファルトが走る雷光に砕かれ、フレイムを捕らえていた『雨格子ノ結界』がまるで霧雨の如く吹き飛ばされる。


「ッ――! 相変わらずえげつない威力してるわねえ!」


 既にフレイムから距離を取っていた綾香は、衝撃波に吹き飛ばされないようにしながら、言った。


 前回の戦いではフレイムが死なないように月子に威力を抑えてもらっていたし、ここまで完璧な段取りでもなかった。しかし今回は容赦のない一撃だ。


 魔術は才無き者のためにある、と綾香は聞いたことがあったが、月子の魔術を見る度に、そんなのは所詮詭弁だといつも思う。


 これこそが、神に愛された魔術師の奇跡だ。


 幼い頃こそ嫉妬もしたものだが、今ではそんな感情さえ浮かんでこない。


 むしろ肩を並べて戦うなら、誰よりも頼りになる幼馴染だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る