第27話 両雄、相まみえる

 俺は夜の街を歩いていた時、強大な魔力の発現に気付いた。その瞬間、反射的に魔術を発動し、傍らにいたリーシャの身体を抱えると、そのまま夜の空へと跳びあがった。


 考えが甘かったと言わざるを得ない。


 魔族はリーシャを探しているのだから、夜に魔力を発しながら歩いていれば、向うから接触してくるだろうと思っていた。


 想定外だったのは、地球の魔術師たちも同じ考えに至り、どんな運命の悪戯か、魔族はそちらに至ったということ。そしてもう一つの誤算は、地球の魔術師たちが施した結界が想像以上に高い隠蔽率を誇るものだったということだ。


 結果的に、気付くのが大幅に遅れた。


「‥‥」


 意識を失った月子を静かに見下ろしていた俺は、一度しゃがみ込むと、出来うる限り優しくその黒髪を撫でた。鎧越しに感じる、懐かしいサラサラとした感触。


 彼女の手には、気を失って尚離さない槍が握られていた。ただの大学生ならば、絶対に持たない物。


 ――まったく、自分の馬鹿さ加減が嫌になるな。


 月子が魔術師だと、どうして気付けなかったんだろうか。


 俺は、実のところ月子が魔力を多く持っていることは知っていた。


 ただ月子の魔力操作は相当巧みだったらしく、精々第六感の優れた一般人くらいのイメージだったのだ。実際、魔力の多い人間自体は結構いる。それでもアステリスの人間と比べれば大したことのないもので、そもそも魔術師でなければ魔力があっても大した差はない。


 だから、勝手に月子もそういった内の一人だと思っていた。


 少し考えれば、普段の何気ない仕草からでも分かっただろう。そうでなくても、地球に魔術師が居ると知った時点で、その可能性に行きつくべきだったのだ。


 だが、俺は露と考えなかった。


 フラれたことばかり嘆いて、月子が何を背負って、何を思っているのかなんて考えもしなかったのだ。


 もしかしたら、実際は魔術師であったこととか、なんの関係もなく、俺と別れたのかもしれない。こんな後悔なんて、今更なんの意味もないのかもしれない。


 ただ、そうであったとしても。


「‥‥ユースケさん」


 一緒に連れてきたリーシャが、傍らで声をかけてきた。


「‥‥」


 俺は無言で立ち上がり、周囲を見回す。辺りはさながら地獄の釜をひっくり返したかのような有り様だった。


 どれ程の激戦がここで繰り広げられたのか、想像するのは難しくない。俺が遅れなければ、あるいはこんなことにはならなかったかもしれない。


 ――いや、馬鹿な自分を悔やむのは後にしよう。


 今すべきことは、たった一つだ。


 俺は、空からこちらを見下ろす魔族を見据えた。白髪に、片目に埋め込まれた義眼が俺の正体を探るようにギョロギョロと蠢く。明らかに人とは異なる道を歩む姿。


 ただ何より、その身から溢れる濃密な魔力には嫌という程覚えがある。


 まさかこの世界に帰ってきて、再び相まみえることになるとは思わなかった。周囲の空間全てを支配下に置き、己の色に染め上げる莫大な魔力。


 ――これが、魔族だ。


 しかも神魔大戦にまで選ばれるということは、その実力は考えるまでもない。


 その魔族が鷹揚な態度で口を開いた。


「‥‥ああシシー、ようやく見つけたぞ。――『鍵』だ」


 誰に語り掛けているかも分からないが、魔族の視線はリーシャに向けられている。確認する必要もないが、これであいつがリーシャを狙っている魔族だというのは確定だ。


「っ‥‥」


 魔族に見つめられたリーシャが、視線から逃れるように身じろぎする。たとえ聖女としての魔術が使えるリーシャであっても、目前の魔族を相手にして勝つ方法はない。


 俺は魔族の視線を遮るようにリーシャの前に立った。


 魔族の義眼と片目が、俺を射抜く。


「‥‥そうか、貴様が我が従僕を殺した守護者か。だが、そこの鍵の守護者は別の人族であったはずだが。まあ、なんであれさしたる問題ではないか」


 我が従僕。それは十中八九俺が倒してきた火犬と大鬼のことだろう。あの精緻な魔術でさえ、この魔族にとっては容易い技だったことは、目の前の軍勢を見れば分かる。


 魔族はそこで表情を歪めた。


「貴様が戦った従僕はたかが雑兵に過ぎん。消えたところで痛手にもならぬ。――だが、不愉快だ。我の与り知らぬところで我が従僕を殺し、あまつさえその傲岸不遜な態度。よもや、あれらを屠った程度で我が前に立つ資格があるなど思い上がるつもりか?」


 ‥‥不愉快?


 今お前は不愉快だと言ったのか?


 多くの人が満身創痍で倒れ、街並みは無残に焼け落ち、月子を傷つけたお前が、俺に不愉快と――――――。


「無名の英雄にもなれぬ戦士風情が、我が『赤の軍勢』と剣を交えるというのであれば、それ相応の格を」




「『沈黙せよ黙れ』」




 静寂という名の重圧が、周囲の全てを押し潰した。


 話していた魔族の言葉は続くことなく空白を紡ぎ、火の粉の爆ぜる音さえも息を潜める。


 『我が真銘』を発動している間、つまり鎧に包まれている時、俺の言葉はなんであれ魔力を孕む。


 つまり、言葉の一つ一つが簡易的な魔術として発動するのだ。


 だから俺は『我が真銘』を使用している間、不用意に声を出さないようにしている。魔術抵抗の低い人が近くにいた場合、巻き込まれてしまうからだ。


 だが、今は別だ。


 リーシャの『聖域』の魔術によって他の人たちは守られている。


 もはや、躊躇う理由はない。


 ――不愉快だと?


 勘違いするなよ魔族。腹立たしいのも、燃えるような怒りを押し込めているのも、お前じゃない。


 荒々しく波打つ感情に揺られ、鎧から翡翠の光が陽炎のように立ち上った。


「『名を述べよ』」


 沈黙の魔術から逃れるように義眼を忙しなく蠢かせながら、それでも魔族は自らの魔力で俺の魔術をレジストする。


 その上で、憤怒に塗れながら口を開いた。


「‥‥何者だ、貴様」


「『名乗れ何度も言わせるな』」


 今度は、意図的に魔力を言葉に込めた。より強い拘束力が、炎の壁を貫いて魔族を捉える。


「っ‥‥! 我が名はジルザック・ルイード。ルイード家八十七代目当主にして、『アサス』の称号を持つ者である。‥‥貴様も名乗れ、『鍵』の守護者!」


 ジルザック・ルイード‥‥。聞いたことのない名前だが、『アサス』の称号には覚えがある。


 魔族の古代言語から作られた称号とは、魔族に取って特別な意味を持つ。


 称号は特定の魔術の象徴となるものであり、それを継承するということはつまり、その系統の魔術において頂点に立つという証明である。


 『アサス』は、たしか炎熱系殲滅魔術だったはずだ。


 過去に戦った『アサス』の称号持ちは、膨大な魔力による純粋な力業だったが、どうやら代替わりしたらしい。


 まあ、なんだっていい。名乗られた以上、俺が名乗らない道理はない。


「『我が真銘』」

「‥‥なんだと?」


 ルイードが眉をひそめた。


 単純に、聞き取れなかったんだろう。俺は今、間違いなく山本勇輔と名乗った。しかし『我が真銘』による偽装の魔術によって、名前そのものが隠匿されたのだ。


 『我が真銘』の偽装能力は恐ろしく高い。俺の名を一度で聞き取った者は、長い戦いの中でもたった数名だ。


 ――さて、正直そんなことはどうでもいいのだ。今こうして名乗りを上げたのは、この怒りに少しの曇りも持たせたくなかったからに過ぎない。


「『リーシャ』」


「ふぁ、はい!?」


 隣で魔術を維持していたリーシャが、どうしてか驚いた声を上げる。


 大丈夫だろうか、これからもリーシャには『聖域』をなんとしても維持してもらわなければならない。


 なぜなら、


「『後ろを任せる』」


「う、承りました!」


 今の俺は少しばかり、加減が効かなそうだ。


 リーシャは一歩俺から離れると、呼吸を整え、魔力を練る。その瞬間、リーシャの纏う空気が変わった。どこまでも冷たく、静謐に。


 直後、リーシャは緩やかな動きで静かに動き始めた。たおやかな動きでありながら、指先まで芯の通った姿勢。


 ゆったりとした動きは、流れるようにして次第に激しさを増していく。腕がしなり、髪が輝きを残して宙を泳いだ。


 それは舞だった。


 リーシャの背後に白亜の壁と数多の信徒たちが祈りを捧げる姿さえをも幻視する。


 聖女が女神に捧げる神聖な舞は、長い年月によって研鑽された効率的な術式の構築方法である。

 リーシャの身体から、黄金の輝きが溢れ出した。金の粒子は既に構築されていた魔術を組み替え、作り直し、強化していく。


 『聖域』の魔術。


 勇者として戦ってきた俺から見ても、凄まじい魔力と練度。これが神に愛された聖女の本当の力であり、女神聖教会によってつちかわれてきた技術の真髄か。


 『聖域』の金は見える街並み全てを覆い尽くし、天にさえ蓋をする。


「『鍵』の魔術か。しかし、その程度のもので我が軍勢を押しとどめられると思うのであれば、滑稽だぞ」


 『聖域』に囚われて尚、魔族には些かの動揺も見られない。それ程までに自分の力に自信を持っているのだろう。


 事実、『聖域』は魔族の魔術に干渉して弱化させるわけではない。敵を討つ力もない、ただ守るだけの力。


 だが、その守護の力こそが、俺が最も欲しかったものだ。彼女になら、後ろを安心して任せられる。


 リーシャは自らの仕事を見事に果たした。


 おかげで準備は整ったのだ。いい加減、俺も動くことにしよう。


 その雰囲気を感じ取ったのだろう、ルイードと俺の視線が交錯し、自然とお互いの身体が動く。


 ルイードの腕が持ち上がり、魔力が鳴動するのと、俺が一歩を踏み出すのは同時のことだった。


「全てを灰に変えよ! 『赤の軍勢アスピタ・ヘイライン』!!」


 炎の大軍が、大気を飲み込んで流動した。


 それはさながら引いていた潮が持ち上がり、大波となって襲い掛かってくるようだ。一番槍を務めるのは、騎馬兵。


 ――上等だ。


 曲がりなりにも勇者として磨いてきた力、甘く見るなよ。


 地を踏み砕き、俺は炎の軍へと疾駆する。


 ゴッ! と見える景色が一瞬で背後に流れ、槍を構えた騎馬兵が目前へと迫った。


 即座に突き出される刺突を剣で打ち払い、そのまま騎馬の頭へと一歩で跳ぶ。


 悪いが、お前らの相手は後だ。


 翡翠の光を爆発させ、俺は騎馬の頭を吹き飛ばして跳躍する。


 夜空を一直線に切り裂き、俺はルイードと同じ高さまで昇りつめた。


「‥‥!!」

「‥‥」



 視線が交わったのは、刹那のこと。


 ルイードを囲っていた騎竜兵と魔物たちが一斉に迎撃に動き、俺は剣を振るってそれら全てを両断する。


 更に一歩踏み込めば、ルイードへと剣が届く。


 だが、それを許す程魔族の英雄は甘くなく、また、俺の狙いもルイードじゃない。


 推進力と重力の均衡によって与えられた浮遊は束の間、俺の身体は重力に従って落ちていく。


 その下にいる相手こそが、真の狙いだった。


 ――ギイィャァァアアアアアアアァァァアアァァァアアアアアアアアアアアアアア!!


 ビルすら丸呑みにするのではないかという程に巨大な顎を開いた、鰐のような姿の魔物。おそらく、アステリスにいた呑竜どんりゅうを象った魔術。


 ただひたすら大きく、硬く、千年近い一生を食うためだけに生きる本能の化身。


 こいつは生半可な魔術は通用しない。あらゆる物を喰らう悪食のために、物理、魔術問わず耐性が高いのだ。


 直接ルイードの魔術行使を見て分かったことだが、奴の魔術は炎に生物としての特性そのものを付与するものだ。


 だとすれば、この呑竜もまた異常な耐性を備えていると考えるのが自然だ。この巨体がその耐性を持って暴れれば、下手をすればリーシャの『聖域』にも響きかねない。


 だからこそ、まずはこいつを仕留める。


 ――ギイィャァァアアアアアアアァァァアアァァァアアアアアアアアアアアアアア!! 


 山すら揺れるのではと思う咆哮と共に、呑竜は顎を開いて落ちて来る俺を待ち構えた。


 いいだろう、そんなに腹が減ってるっていうなら、喰わせてやるよ。


 怒りと高揚が混ざり合い、久しく感じていなかった熱が全身を包む。


 剣の切っ先を下に向け、俺は眼下の呑竜へと落ちていった。白銀の鎧から翡翠の光が揺らめき、夜空へと溶けていく。


 そして、開かれていた顎が閉じ、俺の身体は呑竜へと飲み込まれた。


 赤、赤、赤、赤。


 視界に映る全てが赤く、鎧を通してその膨大な熱量が身体を焼く。


 長い平和ボケのせいで、鈍っているのは剣の腕だけじゃなく魔術そのものもだ。いや、それ以上にルイードの魔術が凄まじい。


 決して油断していたつもりはなかったが、想像以上だ。呑竜の口腔奥深くへと剣を突き立てたところで、強大な抵抗力が剣を押し戻してくる。


 実際の呑竜、下手をすればそれを超えるだけの耐久性を、ルイードは魔術で再現しているのだ。


 その技量は認めなければならない。


 だが、


『ありがとうございます、ユースケさん』


 リーシャが、泣いていた。


 たった十六歳の女の子が世界の命運を背負わされた挙句、命を狙われている。そしてその運命からも、彼女は決して逃れられない。あんなに優しくて、素直で、純粋な少女がだ。


 同時に脳裏に思い浮かんだのは、地に倒れた月子の姿だった。


 同級生が勉強して、酒飲んで、友達とバカやってる間に、月子は戦っていた。理由なんて考えるまでもないだろ。無愛想で口数も少ない月子だけど、その心は高潔な程に優しいのだ。


 そんな彼女たちを、ルイードは傷つけた。殺意をもって、殺そうとした。


「『ッ‥‥!!』」


 ――もしも二人を失っていたら。


 そう思うだけで、噛みしめた奥歯が砕けそうになる。


 たとえこの思いが報われなくても、努力し続けた結果が望むものではなかったとしても。


 それでも誰かを助けたいと思うこの気持ちは本物だ。


 そして、その思いがあればなんだってやってみせる。これまでも、これからも。


 それが、


「『貫け』!!」

 勇者ってもんだろうがぁあああ!!


 身体を包む炎全てを貫く翡翠の閃光が、剣を通して迸る。


 ズンッ! と呑竜の中へと剣が沈む感覚がした。


 こうなれば、もはや止まらない。炎の肉を切り裂き、鎧を噛み砕こうとする顎を押し開き、剣を突き込む。


 銀の刀身が深紅の中を進み、遂にその切っ先が呑竜の命へと届くのが分かった。


 魔術によって与えられた仮初の命を剣が切り裂き、瞬間、剣に込められた魔力が爆発した。


 翡翠の光がスパークとなって散り、死ぬことで形を保てなくなった呑竜の膨大な熱が嵐の如く吹き荒れる。


 轟ッ!! と呑竜の亡骸は近くにいた赤の軍勢を吹き飛ばし、ルイードの制御から外れて暴虐を撒き散らした。


 その炎を受けて尚、黄金の輝きを維持する『聖域』は流石と言う他ない。


 地に着いた剣の切っ先を俺が持ち上げた時、呑竜の姿は完全に消え失せ、俺の周囲は丸ごと薙ぎ払われていた。


 全く、開戦の狼煙というには少し派手過ぎたが――。


 俺は剣を一振りし、八方全てを取り囲む軍勢を睨み付けた。


 勇者時代を彷彿とさせるような四面楚歌、こっちは錆びついた腕に、肩を並べていた仲間もいないときている。


 だが、未だ『聖域』を維持し続けるリーシャがいる。俺たちが来るまで戦い続けた月子たちがいる。守らなきゃいけない人たちがいる。


 なら、俺に敗北の道理はない。


 炎が支配する空間に、俺は楔を打ち込むようにして告げた。


「『かかってこいかかってこい』」


 返答は空を埋め尽くす炎。かくして火蓋は切って落とされ、第二次神魔大戦の一戦が幕を上げた。

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