第28話 元勇者の実力

 言葉を失う、という経験はそうそうあるものではないが、リーシャは今まさにそれを実感していた。


 ――あれは、一体なんですか‥‥。


 リーシャが目を見開いて見つめるのは、炎の軍勢の中できらめく銀と翡翠の輝きである。


 言わずもがな、いきなり単身で軍の中央に突っ込んだ勇輔だ。


 目の前で繰り広げられる信じられない光景に半ば思考停止しながらも、舞に少しの乱れも生まれないのは鍛錬の賜物たまものだろう。


 しかし、『聖域』を維持する時は舞に没頭しろ、と教えられたリーシャであっても、今は流石に無理だった。


 そもそもの始まりは、勇輔と二人で魔族を探している時に感じた魔力だった。


 漏れ出すような不自然な魔力の発現は、結界系の魔術を行使するリーシャには、即座に隠蔽の結界が壊れたのだと察せられた。


 その直後、リーシャは勇輔に抱えられて宙を飛んでいた。


 そして、数分とかからずリーシャと勇輔の二人は地球の魔術師と魔族の戦いの現場へと到着していた。


 正直な話をすると、リーシャはその時恐怖と絶望に震えた。


 何故ならそこには、視界全てを埋め尽くす赤の軍勢が待ち構えていたのだから。


 ――勝てない、勝てるわけがない。


 戦争に参加したことのないリーシャにとって、その光景は心折れるには十分すぎた。


 これが魔族の本気。人間の一国を相手に戦える、英雄の力なのだと。


 だがその直後、リーシャは魔族に感じていた恐怖を全て忘れることになる。


 それは、地面に倒れる一人の少女へと手を伸ばす、騎士が理由だった。


「‥‥ユースケさん」


 リーシャは呟き、そこで言葉を止めた。いや、続かなかった。


 心臓を鷲掴みにされたような重圧に、言葉が出なくなったのだ。


 無言の勇輔の背から溢れ出るのは――怒り。


 自分に向けられたわけでもないのに、勇輔の怒りは魔族への恐怖すら掻き消した。


 それに気づいているのかいないのか、魔族は饒舌に話し続け、




「『沈黙せよ黙れ』」




 勇輔の一言に、音が消えた。


 魔術を発動したようには思えなかった。ただ話しただけ。それだけで、声に込められた魔力が現象として強制力をもったのだ。あり得ない力業である。


 あまりの驚愕に固まっていると、突然勇輔に名前を呼ばれ、思わずおかしな返事をしてしまった。そして、告げられた言葉。


「『後ろを任せる』」


 リーシャはこの時、返事が出来ただけ自分を褒めたい気分だった。


 たしかに勇輔が強いことは分かっていた。けれど、リーシャは自分の見積もりが甘かったことを思い知らされた。勇輔はこの軍勢を前にして、少しも退く様子はない。つまり、それだけ自らの力に自信があるのだ。


 だからこそリーシャは言われた通り『聖域』を強化し、そして、そこで更なる驚愕に見舞われる。


 勇輔はリーシャが舞い始めると同時に空へと跳びあがり、そこで数体の従僕を切り裂くと、そのまま軍の中央に陣取っていた巨大な竜を一突きの元に吹き飛ばしたのだ。


 リーシャも噂には聞いたことがある、あの竜は恐らく天災に数えられる魔物、呑竜どんりゅうかたどったものだったはずだ。一度狙われれば、街を捨てることさえもあるという。


 それを、一撃。


 呑竜を跡形もなく消し飛ばした勇輔は、悠然とした動きで周囲を睥睨へいげいすると、よく通る声で言った。


「『かかってこいかかってこい』」


 と。


 圧倒的に不利な状況にも関わらず、まるで自分自身こそが上位者であるかと言わんばかりの立ち振る舞いに、当然ルイードは赤の軍勢を動かすことで応えた。


 呑竜が消え去り、その余波で多数の従僕が吹き飛んだとはいえ、全体で見ればそれは軍勢の一割に満たない。


 依然としてルイードの軍勢は健在だった。


 一体一体が、強力な魔物かそれに匹敵するだけの力をもった戦士たち。それが燃える身体と揺るがぬ動きで四方八方から襲い掛かってくるのである。


 いくら強くとも、個人の力では抗えない圧倒的な物量。無謀にも軍の中央に躍り出た勇輔の命は、リーシャの目から見ても風前の灯火ともしびであった。


 そう、次の瞬間の光景を見るまでは。


 斬ッ!! と銀の閃光が赤の中を駆け抜けた。


 それが勇輔の振るった剣閃だとリーシャが気付いた時、勇輔へと殺到していたはずの従僕たちが形を失って爆散する。


 その時、既に勇輔はそこにいなかった。


 翡翠ひすいの尾を引きながら、勇輔は時に走り、時に跳び、従僕すら足場にして縦横無尽に軍勢の中を疾駆する。


 吠える人狼の飛び掛かりを掻い潜りながら首を切り落とし、大剣を振りかぶった戦士の腹に拳を叩き込んで吹き飛ばす。


 右手に握られたバスタードソードは、獰猛な弧を描いて獲物へと跳びかかり、一閃で複数の従僕を断ち切った。


 止まらない。


 『聖域』のおかげで余計なことを考える必要がなくなった勇輔は、徐々に徐々にアステリスに居た頃の勇者へと近づいていく。


 前蹴りが蜥蜴人リザードマンの盾を弾き、続く回し蹴りに蜥蜴人の巨体が折れ曲がる。そこで脚を止めた勇輔へと数多の従僕が襲い掛るが、その襲撃は空を切った。


 たとえ蹴りであっても、止まったように見えても、決して勇輔の動きは止まっていないのだ。一挙手一投足いっきょしゅいっとうそく、全てが大きな流れの中にある。


 固まった従僕の外へと出た勇輔は、横薙ぎの一閃でそれらを切り飛ばした。見渡す限り全てが敵であるからこそ、まるで水を得た魚のように、勇輔の動きは自由だった。


 しかしルイードも黙ってそれを見ているはずもない。


 ルイードの魔力が流れ込み、二体の従僕が勇輔に向けて動き始めた。


「なっ‥‥!?」


 それを見た時、舞を続けながらリーシャは思わず声を上げた。


 赤の軍勢の中でも、一際目立つ巨体。呑竜程ではないにしても、ただ居るだけで絶望を覚える威容。


 巨人だ。それも戦士として鍛え上げられた鋼の肉体を持つ巨人の従僕である。魔物ではなく、神の加護から外れた魔族でも人族でもない、稀有けうな亜人の種族。


 どちらの陣営にも属さないが、それでも尚種族として存続できているのは、純粋にそれだけ強力だからだ。


 その二体の巨人が、火炎を噴き出して走り、拳を振りかぶる。


 同時に何体もの従僕が、決して逃さんとばかりに勇輔へと食らい付いた。


 振り下ろされる拳打は、もはや隕石に等しい。それが、両側から二発。


「ユースケさん!!」


 リーシャは届くかも分からないまま、叫んだ。


 そして白銀の騎士へと、寸分違わず二つの拳が叩き込まれた。


 閃光が弾け、爆音と衝撃がリーシャの全身を打った。


(これが神をも恐れさせた巨人族の力‥‥! ユースケさん‥‥!)


 光に焼かれた目が、徐々に回復してくる。


 『聖域』はまだギリギリのところで継続できているが、勇輔の安否までは分からない。


 だが、それでもリーシャは舞を止めなかった。はじめから、勇輔に何があっても『聖域』を維持するように言われていたのだ。


 それこそが、最も彼の助けになると信じているから、リーシャは決して舞を止めない。


 ようやくリーシャの視力が完全に戻った時、その目に飛び込んできたのは、彼女の想像を絶する光景だった。


 確かに巨人の拳打は勇輔に直撃していた。そういう意味で、ルイードの指揮は完璧なものだっただろう。


 けれどルイードもリーシャも、見誤っていた。勇者として戦ってきた勇輔の力が、どれ程のものなのかを。


「‥‥嘘」


 リーシャは無意識の内に呟いていた。


 左右から叩き込まれた巨人の拳。勇輔はそれを左の掌と、逆手さかてに持った右の剣と受け止めていたのだ。


 明らかに巨人は力を込めているにも関わらず、勇輔は大地の奥深くに根を張ったかのように動じない。


 鎧の各所から翡翠を漏らしながら、勇輔は静かに言った。


「『力比べが望みか?』」


 挑発されたことを理解したのか、巨人が炎の口を裂けんばかりに開いて咆哮を上げた。


 ――ウォォオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアア!!!


 巨人の全身が膨れ上がり、炎が熱量を増す。『聖域』がきしみ、大気が鳴動する程の力が拳へと込められていく。


 しかし、それでも白銀の騎士は揺らがない。


「『もう終わりか。なら、今度はこちらの番だな』」


 そして今度は、勇輔の鎧から膨大な魔力が溢れ出した。翡翠の光が火花となって関節から散り、巨人の拳を受け止めた左手が炎の中に食い込む。


 その後に繰り広げられた展開は、目を疑うものであった。


 ――ウォォオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアア!!


 勇輔の左手に掴まれた巨人の巨体が、浮いた。


 正確には、勇輔が巨人の身体をハンマーのように振りぬいたのだ。


 ドンッ!! と巨大な武器と化した巨人がもう一方の巨人へと衝突し、そのまま炎の塊となって従僕を蹴散らしていく。


 勇輔が手を離した時、数百の従僕が形無き火となって散っていった。


「チッ!」


 それを認識したルイードの動きは迅速だった。


 上空に待機していた従僕たちが、動きの止まった勇輔に向かってブレスや投擲を放つ。


 近接戦闘を主体とする勇輔に対しては、間違いなく有効的。ルイードの判断はたしかに間違っていないが、


「『嘗め過ぎだ』」


 勇輔は左手に魔力を込めると、即座に翡翠の光が掌へと生まれる。それは、即座に鋭い形を取る。


 ルイードの魔術が生物としての特性を与えるものだとすれば、勇輔が行った魔術は武装としての特性を魔力に与えるものだ。


「『投槍ジャベリン』」


 空を切り裂いて、翡翠の槍が放たれた。


 槍は空中で分散し、さながら散弾のような弾幕で機動力の高い大鷲やカリュルーネを撃ち落とす。


 勇輔はその結果を確認することもなく、新たに左手に翡翠の剣を創造すると、残っている軍勢へ躍りかかった。


 軍の大部分を消失し、ルイードの指揮も完全とは言えない状態になった今、不変であったはずの攻守は完全に逆転していた。


 銀と翡翠の剣閃が重なり合い、その度に従僕が火の粉となって散っていく。


 確実に終結の時は近づいていた。


「‥‥あ」


 呆然としていたリーシャは、勇輔の動きの変化に気付き、声を漏らした。


 従僕を吹っ飛ばして短い余裕を手に入れた勇輔が、魔力を練り始める。


 勇輔を中心に、世界が悲鳴をあげるのが分かった。魔力は世界を改変する不条理の力。魔術とは魔力に意味を持たせることで現象を作り出す背理の技術。膨大な魔力の集中に、世界の法則が歪んでいく。


「っ‥‥!」


 リーシャの舞が、速度を上げた。


 決して品を失わないように、けれど今までよりも速く苛烈かれつに。回り、払い、崩れ、止まり、伸び上がる。勢いを増した魔力が濁流のように流れ、『聖域』を強化していった。


 勇輔の魔術が完成するのは、それとほぼ同時だった。


 白銀の両腕に翡翠の魔力が雷のようにからみつき、朱のマントが激しくはためく。


 当然、その異変にはルイードも気付いていた。


 だが、止められない。


 生半可な攻撃では勇輔から吹き荒れる魔力そのものが防壁として弾いてしまう。それを貫ける程の従僕は既に勇輔に吹っ飛ばされていて急には動かせない。


 これが数え切れない程に魔族と相対し続けた勇者の作る、戦いの流れ。


 そして、ついに込められた魔力は銀と翡翠、二振りの剣へと伝わった。




嵐剣ミカティア




 まばゆい斬撃の群れが、夜を覆い尽くした。


 一閃一閃がまさしく必殺の威力をもった剣撃が、颶風ぐふうとなって吹き荒れる。


 大盾を構えた戦士は盾ごと斬り伏せられ、武器で迎撃しようとした竜騎士は一瞬のうちに切り刻まれた。激しく燃え盛っていたはずの劫火ごうかは、蝋燭の火のように儚く消えていった。


 『嵐剣ミカティア』とは、ただ刹那の間に、千、万、億の斬撃を振るう、言ってしまえばそれだけの魔術だ。


 しかしその威力はまさしく凄絶。


 剣の嵐が止んだ時、そこに赤の軍勢があったことを示すのは、道に舞い落ちる火の粉だけだった。

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