第29話 因果は廻り、縁は結ばれる

 魔力の狂騒きょうそうが鎮まり、『聖域』の金色だけが淡く夜を照らす中、黒い外套に身を包んだ男が静かに降りてくる。


 全ての部下を失った英雄、ジルザック・ルイード。白髪の魔族は憤怒ふんぬに顔を歪め、義眼を暴れさせて俺を睨み付ける。


 久々に使った『嵐剣』は想像以上に鈍っていたが、なんとか赤の軍勢を殲滅せんめつするまでに至った。そして赤の軍勢にほとんどの魔力を注ぎ込んだルイードは、もはや裸も同然。


 にも関わらず、今のルイードを敗軍の将とは言い難いだろう。


 身体の各所から血が滲み、魔力も枯れ果てる寸前だが、ルイードの戦意は折れるどころか、より強く燃え上がっていた。


 ルイードは俺をにらんだまま、憎々し気に口を開いた。


「‥‥思い出したぞ。白銀の鎧に、翡翠の魔力」

「『‥‥』」

「魔王様が倒れて以来、いくら探しても見つからなかった貴様が、まさかこんなところにいたとはな‥‥」


 どうやら、俺の正体に気付いたらしいな。


 ルイードは俺たちと出会わなかった魔族だ。神魔大戦には参加していても、勇者とまみえることなく、大きな戦果を上げられなかった埋没の英雄。


 しかし、そんなルイードも宿敵の特徴を知らなかったわけではないらしい。


「何故貴様がこんなところにいる――勇者!」

「『沈黙せよ黙れ

「っ‥‥!」


 ガチン! と音を立ててルイードの口が閉ざされた。


 俺が勇者であることに気付いたところで何が変わるわけでもないが、舞い続けるリーシャにはそれを知られたくなかった。


 明確な理由があるわけじゃない。ただ純粋に、俺が勇者だとかなにも知らないまま山本勇輔に助けを求めた彼女には、俺のまま接したい。それだけだ。


 ちらりとリーシャに視線を向けると、距離があったおかげか、幸い彼女には届いていないようだった。

 視線を戻せば、黙り込んでいたルイードが俯いて肩を震わせ始めていた。


 なんだ?


「くく、くっはははははははははははははははあははははははははっははははははははははははははははははっははははは!」


 ルイードが、空を見上げて大声で笑う。


 ポツポツと、元々の天気かあるいはルイードの魔術によって生まれた火災雲によるものか、その身体に雨粒が落ち始める。


 それでもルイードは笑いを止めない。


「『なにがおかしい』」


 問うと、義眼がギョロリとこちらを向き、笑いを止めたルイードが言った。


「なにがおかしいかだと? 我らが王を殺した貴様を、こうして殺せる機会に恵まれたのだ。これこそが神の采配。笑わずにはいられまい」

「『俺を殺せると?』」


 もはやルイードの魔力は雀の涙程だ。俺でなくても、魔術師なら負けることはない。


 けど、それはルイードもよく分かっているはずだ。それを知っていて、この態度。


 こいつ、何か持っているのか? この状況をひっくり返せるくらいの、ジョーカーを。


「たしかに、私の力だけでは貴様を殺すことは不可能だろうな。それは今こうして戦って確信した。貴様は決して卑劣な技をもって魔王様を討ったわけではないと。そして、私には魔王様を超えるだけの力はない」


 そこで、ルイードは自らの義眼に左手を当て、指でそのまま掴んだ。


「なればこそ、神の采配だと言うのだ。こうして今、宿敵と相まみえる機会を得たのだから」


「『‥‥』」


 言い終わると同時、ルイードは指に力を込め、義眼を引き抜いた。


 枠に嵌められた巨大な目がルイードの指に収まる。


 あれは‥‥ただの観察系の魔道具じゃないのか。


 ルイード自身の技量が凄まじく、わざわざ道具に頼る必要性が薄い。だからこそ、今の今まで目の代わりでしかないと思っていた。


 ただ、なんだあの義眼は? どこか懐かしささえ感じる気配は――。


「さあシシー開けておくれ、神魔大戦の続きを始めるとしよう」


 その言葉がトリガーだった。


 ルイードの左手にあった義眼が、組み変わり、まるでパズルを解いていくようにして解け、その内に秘められた中身を曝け出す。


 収納の魔道具。それ自体はまるで珍しいものではないが、そこから出てきたものは、俺を驚愕させるのには十分すぎた。


 月の光を受けて幻想的な輝きを発する水晶の塊が、ルイードの左手に浮ぶ。


 まるで時の流れを拒絶するような静謐の水晶。だが、最も目を引くのはそれではない。


 水晶の中に秘められた、白い何か。淡い美しさを冒涜するように存在するそれこそが、ルイードの奥の手だ。


「『‥‥貴様、それは』」


「流石だな、一目見ただけでこれが誰のもの・・・・か気付くとは」


 誰のものか。


 ルイードはそう言った。なんなのかではなく、誰のものかと。


 それもそのはずだ、何故なら水晶の中に浮ぶ白は、紛れもなく誰かの左手だったのだから。


 では、それが誰の左手なのか。


 俺には分かる。いや、俺だからこそ、その左手の持ち主を見紛うはずがない。




『君と私はよく似ている。最も遠い位置にいるからこそ、鏡合わせのように、私たちは似てしまうのだろうね。――そうは思わないかい、ユースケ』




 脳裏に過ぎるのは、過去の欠片。砕かれた硝子ガラスの破片のように、断片的に映像が映っては消えていく。


 幾度となく殺し合い、決して相容れない運命の中で思いを叫び、それでも戦い続けた、俺に最も遠く最も近い宿敵。




 魔王――ユリアス・ローデスト。




 アステリスにおいて最強の称号を欲しいままにした男、俺が殺したはずの男の左手が、今、時を超えて俺の目前にあった。


「そう、これこそは我が敬愛する魔王様の遺骸いがい。死して尚せぬ魔力の器だ」


 何かの遺骸を魔術の媒体ばいたいにするというのは珍しい話ではない。魔物の素材を武器に利用する手法は、アステリスでは当たり前に行われていた。


 それが世界最強の魔術師のものとなれば、その力は想像することさえ難しい。


「見るがいい勇者。この力こそ我らが神に授けられた至高の光だ!」


 ルイードの魔力を呼び声に、水晶の中に閉じ込められた左手が呼応する。


 夜を照らす光が眩く輝き、外套をはためかせて魔力が溢れ出す。


 懐かしさと共に、身体が震えた。


 アステリスで刻まれた死の恐怖が魔力によって呼び起こされる。


 数年経った程度では忘れるはずもない。紛れもない、魔王の魔力。


「我が語るは最古の災厄。森羅万象を焼き尽くし、血を啜って死を笑う。つむがれる詩編に欠片かけらの慈悲もなく、暴虐こそが血肉を沸かす」


 ルイードの全身を、魔王の魔力が覆った。


 足元から立ち上った炎が渦を巻き、大気を焼き焦がす。同じ魔力から生まれた炎でも、これまでのルイードの炎とは、明らかに何かが違う。


「踏み出す一歩は大地を揺らし、息吹は川を干上がらせた。その名はあまねく恐怖と絶望の象徴なり」


 炎がルイードをさらい、天へと昇っていく。


 それはまるで意思を持つようにうねると、新たな形を象った。巨人を超える筋肉の鎧、呑竜よりも強靭きょうじんな牙、四本の腕にはビルすら両断しそうな大剣が握られている。




「顕現せよ――『赤の化身アスピタ・シルグエラ』」




 現れたのは、山羊の頭に竜の鱗、大樹よりも太い四本の腕を持つ怪物だった。


 勇者として数多の魔物と戦ってきた俺でも、見たことのない異形だ。だが、シルグエラという名と特徴的な姿には覚えがある。


 アステリスの神話に登場する、悪鬼羅刹あっきらせつの一体。命をもてあそび、残虐の限りをつくす伝説の魔物。


 生物の特徴を炎に与える魔術だとは分かっていたが、まさか神話にしか登場しない怪物を創りだすとはな‥‥。伝承、書物、遺物、土地に残された傷。そういった過去の残滓から、特質だけを抽出して再現してみせたのだとすれば、まさしく一流を超えた超越の技量。


 炎の化身となったルイードが、空気を震わせて言った。


「シルグエラ‥‥貴様も名は知っているだろう。数多の英雄、勇者さえもほふった一片の曇りもなき悪の災厄を」


「『これがお前の切り札か』」


「その通りだ。魔王様とシシーの力を借りねば成し得ぬ偉業だが、もはや勇者といえど負けることはない」


 そう言って、ルイードは笑う。


 リーシャの展開する『聖域』が、微かに揺らぐのが分かった。


 不安が術に現れたのもあるだろうが、純粋にこれだけの魔力の塊が暴れれば、『聖域』の維持も難しいはずだ。


 時間はかけられない。こいつが世に放たれれば、この街は一瞬にして火の海になるだろう。


 誰が相手でも関係ない。神でも悪魔でも、なんでももってこい。それが俺たちの安寧あんねいおびやかすというのであれば、


「『それがなんであれ、斬るだけだ』」


「やってみるがいい、貴様はここで我ら魔族の力に敗れる。それを我が王の供物としよう」


 戦いは、ルイードの一撃から始まった。

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