第17話 元カノに会ったら誰だって気まずい。勇者だって気まずい

 それから暫くは陽向に先導されて構内を練り歩いた。一年長くいるはずの俺より陽向の方が構内に詳しいのはどういった理屈なんだろうか。不思議でならない。


 さて、見るものは大体見たし、そろそろ時間もいい頃合いだけど。


「先輩先輩」


「どうした?」


 俺を置いてリーシャと楽しそうに話していた陽向がこちらに話しかけてきた。


「先輩は確かこの後講義でしたよね?」


「ああ、よく知ってるな」


「女の子のネットワークを舐めちゃいけませんよ。私、次は空きコマなんで、よければリーシャちゃん、街も案内しましょうか? 女の子がよく使う店とか紹介出来ますし」


「あまり遠くまで行かないなら、そりゃ俺はありがたいが、いいのか?」


「どうせ先輩じゃその辺のお店は案内出来ないでしょう?」


「ごもっともなことで」


 俺も月子と付き合っていた時代はそういったお店に行かないわけでもなかったけど、男連れても行けないお店とかもあるんだろう。俺にはランジェリーショップ位しか思い浮かばんが。


 この近辺の街中なら、俺の足ですぐ駆けつけられるし、魔族も昨日の鬼を作り出すのに結構な魔力を使ったはずだ。


 昼間だし、多少なら平気か。


「おいリーシャ」


「はい、なんでしょうか?」


 俺はリーシャを呼びつけると、財布から諭吉さんを一枚取り出して渡す。


「何か必要な物があったら、陽向に聞いてこれで買え。ただし無駄遣いはするよな、そろそろ俺の生活費もピンチに近いから」


「は、はい。ありがとうございます。‥‥いいんでしょうか?」


「足りない物はたくさんあるだろうし、必要経費だよ」


「‥‥分かりました、ありがとうございます」


 リーシャは受け取った諭吉さんを大事そうにポケットにしまった。


 そうは言っても、本当に金が飛んでく‥‥。これ、領収書を女神宛てで切ってもらえば、後で補填されるんだろうか。


 俺が薄くなった財布をしまおうとすると、ツンツンと陽向が肘で俺を突いてきた。なに。


「あらあら、太っ腹じゃないですかー、先輩」


「しょうがねえだろ、足りないもんばっかなんだから‥‥。ああ、陽向はこれで何か好きなもんでも食べてくれ」


 俺は案内代として五千円札を取り出そうとし、もう財布に札がほとんど入ってなかったので、二千円だけ取り出して陽向に渡そうとする。しかし、彼女は首を横に振った。


「別にいりませんよ」


「そうは言ってもな、わざわざ案内してくれるわけだし」


「何言ってるんですか」


 ムスっと陽向は頬を膨らませる。


「陽向は友達と遊びに行くのにお金を取るような人間じゃありませんって」


「陽向、お前‥‥」


「ムフフー、可愛いと思ってしまいましたか? 可愛いと思ってしまいましたよね? 仕方ありませんよ、事実陽向は可愛いですから」


「いや、俺と遊ぶときは必ず奢らせるくせによく言えたな、と思った」


「ふんっ!」


 ゴッ! と陽向のローキックが俺のふくらはぎに炸裂する。だが如何いかんせん、女子大生の蹴り程度、なんの痛痒つうようも感じない。


 ふふん、この俺にダメージを負わせたいなら、もう少し筋力を鍛えるべきだな。全く、そんなことをしなくても、可愛くないわけがないだろうに。


「リーシャちゃん、そんな阿呆は放っておいて行くよ!」


「は、はい! ユースケさん、また後で!」


「おー、気を付けて行って来いよー」


 俺は遠くなっていく二人の背を見送ると、総司と松田の二人を説得する言葉を考えながら歩き始めた。


 陽向を味方につけた以上、後は消化試合。ただ松田がなぁ。あの変態は時として、どういった行動に出るかまるで分からない。


 リーシャを見た時に「クイーン」とか呟いていたし、変に暴走するようなら口ではなく拳を用いた交渉術をする必要がある。


 そういえば、昨日はリーシャを大学に溶け込ませる方法ばかり考えていて、昨日リーシャと一緒にいた女性について聞くのすっかり忘れてたな。


 あの人、結局どういった立場の人だったんだろうか。俺も一応地球で退魔士のような詐欺師のような人を知っているが、彼女はそれと比べる方が失礼な、魔力の扱いに長けた人間だった。


 国の人間か、あるいは個人によるものか、そういった血筋があるのか。所属はどうあれ、地球の人間が神魔大戦に関わってきているというのは、非常に厄介だ。


 何が厄介って、まるで行動が読めない。


 味方になってくれるのなら心強いが、異分子としてリーシャ諸共排除しようとしてくるのであれば、もう俺に出来ることは逃げの一手だ。まさかなんの罪もない人間に剣は向けられない。


「‥‥考えても仕方ないか」


 今のところそういった気配はないし、そうなったらそうなったで諦めるしかない。案外土壇場でもどうにかなるもんだ。


 さて、そんな風に俺は色んなことを思案しながら次の講義の教室へと向かっていた。


 ここ二日間立て続けにイベントが起きていたせいもあってか、とにかく俺の頭の中はアステリスやら神魔大戦やら、リーシャのことやらで一杯だったのだ。


 だから、つい忘れていた。


 俺が昨日、死ぬような顔で学校に来ていた理由を。


 そして、それは忘れられている時にふと顔を出すのだ。油断した瞬間に、不意を突いて飛来する矢のように。





「‥‥勇輔?」





 ポツリと、小さな声が聞こえた。


 脳天から痺れるような衝撃が背中を駆け抜けて、俺は何も考えずに声の方向に振り返った。


 聞こえなかった振りをして、そのまま通り過ぎればよかったものを。


「月子‥‥」


 そこに居たのは、俺の好きな人だった。

別れを告げられて、それでも尚忘れられない人、伊澄月子が、しまったという顔をして立っていた。


 相変わらず小さな体で、肩まで伸ばされた髪はそこだけが夜空のようだった。何度も見てきて、ずっと見飽きることのない月子の瞳が、俺を見つめていた。


 何を、言っていいのか分からない。


 フラれた日から、ずっと考えていた。もう忘れるために言葉なんて交わさない方がいいのか、それとも友達に戻ってフレンドリーに接するのか。あるいは、諦めきれずにまた距離を詰めるのか。


 ほら、簡単だろ。いつもみたいに片手を上げて、「よお、昨日はなんで休んだんだ?」とでも言えばいい。


 精々一年付き合った人と、元の関係に戻っただけだ。


 結婚してたわけじゃない。アステリスから帰る時みたいに、酷い言葉を投げかけられたわけでもない。


 だから、それくらい簡単なはずなのに。


「‥‥」


 俺は何も言えず、月子の顔を見続けることも出来ずに、俯くことしか出来なかった。


 近くにいたはずの彼女に、もう今までみたいに接することが出来ないと理解した瞬間、身体が冗談のように固まったのだ。


 それから、どれくらいの間そうしていただろうか。


 俺が顔を上げると、そこにはもう月子はいなかった。


「‥‥はは」


 笑える。


 フラれた相手にまともに接することも出来ない俺を見て、月子はどう思っただろうか。


 これが勇者だ。どんな戦いの経験を積んだって、どれだけの血に汚れたって、いくら身体の痛みに慣れたって。


 誰かから捨てられる苦痛は、堪える。


「あ‥‥」


 そこで気付いた。俺は、そんな痛みを、リーシャに与えたのだ。微かな希望に縋ってきた彼女の手を、二度、払いのけた。


 情けないったらない。


 俺は講義の始まりを告げるチャイムが鳴るまでの間、そこで立ち尽くすのだった。

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