第18話 触らぬ神に祟りなしとはこういうこと
対魔特戦部に与えられた施設。そう言うとまるで特別な建物の様に聞こえるが、見た目はなんてことのない事務所のようなものだ。
内側は確かに色々と弄ってはいるが、少なくとも外見上にその特異性は見えてこない。
東京都の都心から大分離れた場所にあるここは当然本部などではなく、支部の一つなわけだが、その一室で加賀見綾香は机に突っ伏していた。
トレードマークのポニーテールも力なく流れ、普段の快活な様子からは一転、死人のような有り様だ。
昨日の報告書とかを適当に切り上げて飲んだ酒が残っている、というわけではない。その報告書のことがバレて大目玉を喰らったから、というわけでもない。では怪我。それも痛むには痛むが、治癒師が数人がかりで治してくれたので、日常生活に支障のないレベルだ。
ならば何故綾香がこんな状態になっているのか。
それは単純な話だった。
「フレイム‥‥リーシャ‥‥白銀‥‥」
突っ伏したまま、綾香はボソボソと昨夜手に入れた情報を呟く。
「鍵‥‥聖女神教会‥‥」
それから暫く綾香は考えを纏めるように頭の中の情報を口に出して整理し続け、
「だぁーーー! わっからん!」
思いっきり頭を抱えて叫んだ。
ちなみに同じ部屋で仕事をしている同僚たちは、我関せずの様子で自分の仕事をしている。
こういった職種なので、同僚が壊れるのは稀によくあることだったりするのだ。
綾香はそんな薄情な同僚を横目に、大分ぬるくなったコーヒーを飲むと、額に手を当てた。
(冷静になりなさい、綾香。情報は少ないけど、間違いなくあのリーシャって子と銀色の騎士はフレイムとなんらかの関係がある)
腕と脚を組み、目を閉じて昨日のことを思い出す。
フレイムを倒すために綿密に立てた策は完全に決まり、綾香の波動、それに加えて月子の金雷槍を叩き込んだ。その威力は人どころか災害級の怪異すら消し飛ばせるはずだった。
しかし、それをフレイムは無傷で凌ぎ切ってみせた。しかも余裕綽々で、こちらの生殺与奪など大した問題でもないと言わんばかりに置き土産を残して去っていったのだ。
残された炎の大鬼は、今思い出すだけでも震える程に強大な存在だった。
そこに突如として現れた、女神聖教会の聖女なるものを自称する少女、リーシャ。
彼女もまた綾香の常識とは桁外れの魔術を行使する魔術師だった。
だが、そんなリーシャの協力をもってしても、綾香の魔術は大鬼には届かなかった。
そのままどうすることも出来ずに殺されるしかないかと思われたその瞬間、それは閃光のように現れたのだ。
白銀の鎧に、左肩に揺れる朱のマント。兜の隙間から覗く瞳は翡翠の光を灯し、何も言わず綾香たちを見下ろした。
騎士は異次元な強さだった。
もはや綾香の中にあの強さを形容できる言葉はない。恐らく綾香の知る最強の魔術師、第一位階の魔術師に匹敵、下手をすればそれ以上の強さすら持っているかもしれない。
想像の埒外の化け物だ。
二太刀。騎士が大鬼を殺すのに振ったのはそれだけだった。
それだけで、綾香が死を覚悟した大鬼は跡形もなく消し飛んだのだ。
今思い返しても、あの技は
まず綾香の目では最初の切り上げが見えなかった。気付いた時には殴り掛かっていた炎の拳が腕ごと両断され、その時初めて綾香は切り上げを理解したのだ。
そして、振り下ろされる一閃。
綾香たちどころか街の一角を赤に染め上げられる程の熱量を、騎士はその一振りで消し飛ばした。
あれは魔術だったのかどうかさえ定かではない。
ただあの騎士が、決して敵対してはいけない存在だということは間違いなかった。
「ただでさえ、フレイムだけでも頭が痛いってのに‥‥」
綾香は眉間に皺を寄せて呟いた。
綾香が悩んでいる問題は、主に三つ。
一つ目はフレイムが言っていた『鍵』という言葉と、リーシャの「巻き込んでしまった」という言葉。これらから、恐らくフレイムが狙っているのはリーシャということが分かるが、二人の存在がどれほど魔術世界の情報を漁っても出てこないのだ。
(多分リーシャとフレイムは『鍵』ってのを取り合ってる、って感じかしら。あるいはフレイムが奪おうとしているのか)
あれ程の魔術を使えるなら、探せば情報の一つや二つ簡単に見つかるだろうと思えば、その影すら見当たらないのは流石におかしい。秘匿されているのであれば、その痕跡が見つかりそうなものだが。今回の事件の全体像がまるで見えてこない、それが一つ目の問題。
二つ目の問題は、言わずもがな、あの銀騎士である。
リーシャを助けに入ったところと、彼女の騎士に対する態度を見るに、リーシャの知り合いか味方なのだろうが、それにしても得体が知れなさすぎる。
正体不明なのはフレイムもリーシャも同じだが、あの騎士に比べればまだ可愛げがある。
綾香を一瞥した翡翠の光。あの人を人とも思わない眼光を綾香は忘れられなかった。ほんの少し対応を間違えただけで、あの銀騎士は躊躇なく綾香たちを蹂躙するだろう。
今のところフレイムに敵対しているため、敵の敵は味方という形だが、なんの拍子に上層部が銀騎士の討伐を決定するかも分からない。
そうなれば終わりだ。
綾香にはあの騎士をどうにか出来るイメージが欠片も浮かばない。対峙して二秒でなます切りどころか、骨も残さず消されるだろう。
綾香は包み隠さず報告書にその旨を書いたが、上司は完全には信じていない。むしろ月子まで出張って倒せなかったフレイムの方が脅威だと思っているようだった。
銀騎士の脅威、それが二つ目の問題だ。
そして最後の問題。これはある意味今の綾香にとっては一番頭の痛い問題だった。
『なっ、この子をどうするつもり!』
「―――――!!」
綾香は自分の言動を思い出し、両手で頭を抱えた。思わず言ってしまったあの言葉。
あの銀騎士がリーシャを連れて行ってしまうと思い、綾香は反射的にそう叫んでリーシャを庇ったのだ。
銀騎士の無慈悲な存在感に、動転していたとしか言いようがない。
冷静になって考えてみれば、リーシャは抵抗しようとしていなかったし、明らかに顔見知りだった。
つまり、綾香はその場の感情に流されて、敵対してはならない存在に反抗的な態度を取ったのである。
あの場で斬り殺されなかったとはいえ、心象は悪いはずだ。
「ぁぁあああああああああ~~~~~~~~~~~~~」
最悪だ。
下手をすれば自分のあの行動のせいで、銀騎士が敵に回る可能性すらある。フレイムと同じ、対話が可能な相手には見えなかった。
つまり綾香は今、人生最大規模の失敗に悩み続けているのだ。
ちなみにこの間も同僚たちはやっぱり綾香を無視して仕事を続けている。そういう職場なのだ。
綾香は両手で頭を抱えたまま思考をフル回転させた。
(ああーー、どうしたら挽回出来るの!? つーかそもそも会おうと思って会えるの!? 機嫌、機嫌を取るっつったらなに! ゲイシャ? 駄目だ! 接待ってゲイシャ、ゴルフしか出てこない! 怨霊スポット巡りならいくらでも候補が出てくるのに!)
ずっと対魔官として生きてきた綾香には、残念なことに営業のスキルは一切ない。
過去、良い感じになった男の子を心霊スポットに連れて行って泣かれた苦い記憶が甦る。
あれは違うのだ、その時丁度オカルト系が流行っていて、男の子が行きたいというから、連れてってあげただけで、綾香が行きたかったわけじゃない。
(というか、あの騎士は何をすれば喜ぶのよ! そもそも男? 女? てか生きてるのよね、あれ!? 無生物とかじゃないわよね!)
ぁあああ、と綾香は呻いた。
その後ろを同僚が通り過ぎていく。勿論、声をかけたりはしない。
触らぬ神に祟りなし、この部署に配属されている以上、そのことは嫌と言う程よく知っているのだ。
「二度と会えないっていうなら、それはそっちの方がいんだけど‥‥」
フレイムを倒そうとする以上、綾香たちとリーシャ、銀騎士が出くわす可能性は十分にある。
その時、フレイムを倒した後に銀騎士が敵対しないとは限らないのだ。
「はー、どうしよっかなー」
ぼやく綾香は、ふと聞こえて来る足音に扉の方を見た。
苛立たしさを隠そうともしない足音をぼんやりと聞いていると、けたたましい音と共に扉が開かれた。
「あれ、月子?」
「‥‥」
そこには、最近は呼んでも中々顔を出さない月子が立っていた。
その顔はあからさまに不機嫌ですと言わんばかりで、そのままツカツカと綾香のところまで歩いてくる。
「なになに、どしたのよ」
「‥‥」
机に頬をくっつけたまま月子を見上げる綾香に、月子は無言で手を差し出した。
「なに?」
「‥‥訓練場」
「はい?」
「‥‥訓練場使うから、申請書類出して」
「あー、はいはい」
綾香はゴソゴソと机の引き出しを漁ると、クリップボードに留められた紙を取り出した。
この支部には地下に魔術師用の訓練施設があるのだ。一応使う人はこの申請書類に名前を書く決まりなのだが、それを律儀に守っているのは月子くらいなものだ。
それにしても、なんたるふくれっ面。
昨日の夜は綾香が無事に帰ってきてくれたことを、涙ながらに抱きしめて喜んでくれたというのに、今じゃこの表情である。
妹のデレ期は短かったなあと思いながら、綾香は月子の名前が書かれた書類を受け取った。
「何怒ってんの?」
「‥‥別に、怒ってない」
「いや、どう見ても怒ってるじゃない」
その顔で怒ってないは無理があるだろうと、綾香はため息を吐きたい気分になった。
月子はそんな綾香に鼻を鳴らすと、そのまま足音高く訓練場に向かって行った。
「おいおい、姫さんなんかご機嫌斜めじゃないの」
「なんだっけ、確か彼氏と別れたんじゃなかったか?」
「聞いた話じゃ、姫さん自分から振ったんだろ? なんであんなイライラしてんだ?」
綾香の後で、いつの間に集まったのか、同僚たちが口々に出て行った月子について話し始めた。姫さんというのは、この支部での月子のあだ名である。
家柄、容姿、年齢と全てがここで仕事をしている人間から見れば、月子は姫そのものなのだ。
綾香は身体を起こして伸びをしつつ、扉の方を見た。
「さーね。どうせまたしょうもないことで怒ってんでしょ」
すると同僚の男たちは更に楽しそうに盛り上がる。
「あの姫さんを怒らせるってだけで大した男だ」
「本当本当、昔なら少しも顔に出さなかったのになー」
「怒っても、手が出ないだけ加賀見より大分マシだ」
「違いない」
そして声を揃えてアハハハハハ、と笑う男たち。
綾香はそんな連中をジロリと睨み付けた。
「あんたらさー、好き放題言ってくれてるけど、さっきまで悩んでる私のことガン無視してたの、忘れてないからね」
途端、「あー、忙し忙し」と白々しく言いながら同僚たちは解散する。年齢的にも、血筋的にも月子と綾香は変わらないはずだが、酷い格差である。
「はぁ‥‥まったく、うまくいかない時ってのは何してもうまくいかないもんよね」
綾香は恋に悩めるであろう妹分と、自分のしなければならない仕事を思って、深いため息を吐くのだった。
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