第374話 新世界の主

     ◇   ◇   ◇




「やあ、起きたかね」


 目を覚ますと俺は座ったまま魔術を発動して抜剣ばっけんした。


 ザンッ‼ と剣を下から上段へと跳ね上げ、目の前のテーブルごと相手を叩き斬らんとした。


 剣は止まることなく切っ先を上に向け、真っ二つになった机が魔力に当てられて粉々に砕ける。


 しかし、そこまでだった。


「元気だのう。老骨相手だ、もう少しいたわらんかね」


 俺の目の前で座る老人は、何事もなかったかのようにそこにいた。


 距離を見誤ったわけじゃない。


 俺と老人の間には机一つ分の間しかなかった。確実に斬れる間合いとタイミングだった。


 座ったままで、どうやって避けたんだ?


「まったく、あまり部屋で暴れないで欲しいのだがね」


 老人はそう言うと、軽く指を振った。


 すると粉々になったはずの机が巻き戻し再生のように元に戻る。ベルティナさんのような時間再生ではなく、普通の修復だ。


 だとしても魔力操作が精密すぎる。


 この距離で、まったく魔力の気配を感じなかった。


 なんなんだ、この男は。


「‥‥」


 握った剣を再度振り下ろそうとして、止めた。


 このまま斬りかかったところで、斬れるイメージが湧かない。


 こんなことはほとんど記憶にない。本気の師匠と向き合った時以来だ。


 俺は剣を消して老人を見た。


「ようやく話を聞く気になったかね」


 改めて見た男は、深いしわが刻まれているものの、全身から活力がみなぎっていた。


 荒波に削られたいわおのような顔からは、並々ならぬ経験を積んできたことがうかがえる。


 しかし真に驚くべきは、その内に秘められた魔力と魂だ。


 ――。


 ――――。


 ―――――――。


 その男を見た瞬間に、頭の中で爆発が起きた。真っ白な光の中で、これまで見てきたいくつもの光景が浮かんでは消えていく。 


 自然と心の中で声が漏れた。


 ぁあ。


 そうか。


 そういうことだったのか。


 点と点がつながって一つの絵が描かれる感覚。


 何故なぜ新世界トライオーダーが異世界の神魔大戦を認識し、干渉できるのか。


 魔族の魔将ロードである流転セラティエ新世界トライオーダーに所属しているのか。


 魔術の発達していない地球で、導書グリモワールのような魔術師が存在するのか。


 全ての答えは単純だった。


 それを為せる者が、トップにいたからだ。


 老人が静かに言った。


「月子から写真でも見せられたかね。驚くのも無理はあるまい。儂の名は伊澄天涯いすみてんがい。儂が、新世界トライオーダーの主だ」


 声が頭の表面を滑る。


 ――は。なるほどな。


 それでか。


 月子を見た時から感じていたんだ。あれだけ精緻な魔力操作をできる人間は、アステリスでもエリスしか見たことがない。


 そう、人間では。


「さて勇輔くん、ここに呼んだのは――」




「茶番はよせ」




 俺は伊澄天涯と名乗った男の言葉をさえぎった。


 腹の底から湧き上がるこれは、どういう感情なのか、自分でも分からなかった。


 喜びではない。怒りでもない。高揚でもないだろう。


 良くも悪くもこれはまさしく、感動・・である。


「お前が俺を間違えないように、俺もお前を間違えない」


 当たり前の話だ。


 何十年生きて耄碌もうろくしようと、記憶を失おうと、俺はお前を見た瞬間に、全て思い出す。


 きっとそれは、お前もそうだろう。


 なあ。







「ユリアス・ローデスト」







 その名を口にした時、天涯てんがいは笑った。


 そして顔をうつむかせ、再び俺を見た時、そこにいたのは頑強な老人ではなかった。


 幻想のような玉虫色の髪を揺らす、女性にさえ見紛う端正な顔立ち。肌も身体も二十代にしか見えないのに、ほんの少し顔を傾けるだけで、古い樹木にも似た落ち着きを見せる。


 夢を見ている。


 ずっと昔に同じことを思った。


 俺は今、現実に居ながら夢を目の前にしている。


 理性があり得ないと叫んでいるのに、そのずっと奥の本能が、あってもおかしくないと納得している。


 そういう存在なんだ、こいつは。


 彼は白樺しらかばの枝を思わせる指で顎をおさえ、目を細めた。




「どうして分かったんだい?」




 その声を聞くだけで、俺は確信が真実になるのを感じた。


 どういう理屈で、何があったのかは分からない。


 しかしここにいる伊澄天涯と名乗る男の正体がユリアス・ローデストなのは確かだった。


 先の神魔大戦において、俺が殺した魔王。


 魔族を統べる最強の魔族。


 それがこのユリアス・ローデストだった。


『君と私はよく似ている。最も遠い位置にいるからこそ、鏡合わせのように、私たちは似てしまうのだろうね。――そうは思わないかい、ユースケ』


 戦いの中で告げられた言葉。


 脳に焼き付いて忘れられないそれが、じくじくと熱を持つ。


 まったく、お前の言う通りだよ。だから分かったんだ。


「逆に聞くが、お前は俺を見間違えるのか」

「まさか。間違えるわけがない」


 ユリアスは嫌になるほど絵になる笑みを浮かべた。


 一挙手一投足、一秒一秒を重ねる度に、俺の中のユリアスと目の前の存在が重なり、デティールが際立っていく。


 いろいろと聞きたいことがある。


 しかし何よりも今聞いておくべきことがあった。


「他のみんなはどうした?」


 空気が冷え込み、鋼のように硬くなる。


 意識が抜身の刀身となって、震えるのが分かった。


 ユリアスは強い。


 魔将ロード導書グリモワールサイン



 強い魔術師とは何人も戦ってきたが、こいつはそれらと別次元に存在している。


 俺は『勇者』でなければ、ユリアスを倒すどころか、傷一つ負わせられなかっただろう。


 俺が意識を失っている間に、あの場の全員が殺されていたとしても、驚きはない。


「全員生きているよ」


 ユリアスは安心させるように言った。


 そうか。


 よかった、無事だったか――。


 俺は安堵に漏れそうになる息を噛み殺す。


 ユリアスは嘘を吐かない。


 その必要がないからだ。


 交渉する必要も、騙す必要もない。その口は真実だけを述べる。


 何故ならば、それだけの力があるからだ。


 そのユリアスが生きているというのであれば、とりあえず全員命はあるはずだ。


「君が意識を失っていたのもほんの数秒だ。他の仲間たちは、私の優秀な導書グリモワールが歓迎しているよ」

「何のために」

「君と二人で話がしたかった。聞きたいことは多いだろう?」


 そう言い、ユリアスが机を軽く指で叩くと、テーブルの上に温かな湯気を立てる紅茶とお茶菓子が現れた。


 ははは。ふざけやがって。どうやったんだよ、今の。


 俺がすべきことは、ユリアスの首に剣を振るい、落とすことだ。


 せっかく相手のトップが向こうから現れてくれたのだ。これ以上の好機はない。


 しかし、動けない。


 ただ座っているだけだというのに、全身を数多の巨腕に握りしめられているかのような、あるいは深海に沈められているかのような圧迫感。


 もし今斬りかかったとして、首が落ちるのはどちらか。


「‥‥」


 乾いた喉が小さく音を鳴らす。


 この空間に取り込まれる寸前、俺たちの魔術は何らかの力に干渉され、消し飛ばされた。


 過去のユリアスにはそんな力はなかったはずだが、彼が行ったのであれば驚きはない。


 長年戦い続け、信頼を置く俺の直感が告げている。


 今ではない。


 今何の策もなく戦ったところで、絶対に勝ち目はないと。


「ふぅ――」


 息を吐き、闘志を全身にみなぎらせる。


 身体がこの空間に順応していく。絶好の機会であると同時に、俺が倒されれば戦況は一気に悪くなる。


 時が来る。


 俺が剣を振るう瞬間を、待つ。


「ああ。聞かせてもらおうか。お前の目的を」


 あの時交わしたのは魔術と剣だった。今から交わすのは、言葉だ。


 俺とユリアスは、長い時を超えて、実現するはずのなかった茶会を始めた。

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