第375話 皇女と狩人

    ◇   ◇   ◇



 巨大な魔法陣に飲まれたカナミは、自分の身体が自由に動かせるようになった瞬間に、両手のフェルガーを構え、引き金に指をかけた。


「ま、待ってくれ‥‥!」


 そこにいたのは、革の上着にフードを被った少年、ネスト・アンガイズだった。


 彼は向けられた銃口に対して、両手を挙げて後ずさる。


 カナミはすぐに銃を下ろした。


「申し訳ございませんわ」

「いや、いい。それよりも、ベルティナを知らないか?」


 ネストに言われ、カナミは『シャイカの眼』で千里眼を発動した。


 二人がいる場所はどこかの森の中のようで、周囲には大きな樹が立ち並んでいる。


 さっきまでいた山の中ではない。植生も、木々の密度もまるで違う。


 空に浮かんだ魔法陣。


 あの魔術によって別の場所に飛ばされたのだろう。


 問題は、どれだけ千里眼を使っても他の仲間たちの姿が一切見えないことだ。


 当然、二人が守るべきリーシャとベルティナの姿もない。


「ベルティナは‥‥」

「ここにはおりませんわ。他の皆様方も、見えませんわね」

「そんな!」


 ネストが悲痛な声を上げる。


「俺は、また守れなかったのか‥‥?」


 あれほど身構えていたというのに、いともたやすく『鍵』を奪われた事実に、ネストは愕然とする。


 そんな彼を見て、カナミは毅然きぜんとした態度で言った。


「守護者たるもの、このようなことで動揺してどうするというのですか。敵が空間を自由に移動させられるのであれば、リーシャたちは別の場所に捕らえられていると考えるのが自然。『鍵』の魔術が必要なのであれば、命はあるはずですわ」

「ほ、本当か‥‥」

「ええ」


 カナミは頷いた。


『そんな確証が、どこにあるのですかねぇ』


 首元のチョーカーから、タリムの声がカナミにだけ聞こえるように発せられた。


 確証などあるはずがない。


 しかしこの状況では、そう思う他ないのだ。


 希望がなければ人間は動けない。カナミが今自分を奮い立たせていられるのも、勇輔や四英雄たちがいるという希望があるからだ。


「‥‥あれは?」


 カナミは千里眼を動かしている途中に、あるものを見つけた。


 それはコピーペーストのような樹々が立ち並ぶ中で、見るからに異質。樹が明らかに何らかの意図をもって捻じ曲げられ、アーチを描くような形を作っている。


 そう、それはまるで。


「扉――?」




しかり」




 声が聞こえた瞬間、カナミとネストは銃と弓を構えた。


 気付かなかった。


 千里眼を発動していたにもかかわらず、声が聞こえるまでその存在に気付けなかった。


 カナミにとっては見慣れた様相の、現代日本においては骨董品に数えられるような、甲冑を身に付けた男が立っていた。


 右手にはランスを、左手にはカイトシールドを携えている。


「奴は!」


 ネストが弓を構えたまま、声をわななかせた。


 甲冑はランスを立てるように構え、雄たけびを上げた。


「我輩は正義の導書グリモワール‼ ヴィンセント・ルガーである‼ 侵略者たちよ、我が正義を前に、正々堂々と立ち合わん‼」


 ゴッ! と樹々がたわむほどの衝撃がルガーから放たれた。


 構えた銃がビリビリと震える。


 ――来ましたわね、導書グリモワール


 当然話には聞いていた。誰が来るかまでは分からなかったが、出てきたのは、あのメヴィアとセバスが戦い、手も足も出せずに敗北した敵。


 この様子から察するに、他の仲間たちも分断され、同様に歓迎されていることだろう。


 カナミはルガーから放たれる圧を跳ね返すように一歩を踏み出すと、高らかに声を上げた。


わたくしはカナミ・レントーア・シス・ファドル‼ 『鍵』の守護を任されし者‼ ヴィンセント・ルガー、自らの城に引き込みながら正々堂々を名乗るとは片腹痛い‼」


 ルガーに負けず劣らずの発声。


 歴戦の戦士すら逃げ出す『『ガレオ』が座する戦場で、後方ながら責務を全うした少女だ。


 その胆力は尋常ではない。


 それに対し、ルガーは意外そうな声を出した。


「ほう。か弱き乙女かと思ったが、存外に胆は据わっているようだ。しかしながら笑止千万。おのれらがここにいるのは、おのれらの弱さが招いたことよ。戦場いくさばで策を卑劣と笑う者はおるまい」

おのが都合で漁夫の利を狙い、人民を拉致することが卑劣ではないと?」


 本来神魔大戦は人族と魔族の戦い。そこに割って入った新世界トライオーダーを非難する言葉を叩きつける。


 ルガーは動じることもなく答えた。


「無論。遥か先を見据えた大義の前に、卑怯卑劣などは些事に過ぎぬ。我が主の宿願を阻むおのれら侵略者を排除することこそ、我が正義である」

「‥‥正義に酔った自己陶酔者ですわね」


 カナミは対話で崩すことを諦めた。こういった手合いはいくら話したところで意味がない。


 こうなれば言葉ではなく弾丸を叩きつける他ない。


 カナミが引き金にかけた指に力を込めた時、意外にもそれを止めたのはルガーだった。


「待て侵略者よ。我輩もすぐにでもその頭に槍を突き立てたいところではあるが、此度こたびの戦は、伝えておかなければならぬことがある」

「なんですの?」


 ルガーが何かを指し示すように槍を背後へ向けた。


「察しの通り、『鍵』もおのれらの仲間たちも、まだ生きている。仲間たちはおのれらと同様に今戦いを始めようとしているだろう。この先に扉がある」


 カナミは、先ほど千里眼で見た樹のアーチを思い出した。


「あの扉の先では、我が主と勇者が相まみえているはずだ。そして更にその先に『鍵』たちが待っている」

「助けたければ、先に行けと?」

「あの扉は我輩たちが錠前の役割を果たしている。我輩を倒すことができれば、扉は開く仕組みだ。そんなことは、不可能だがな」


 カナミの目で見ても、この空間がどのような原理で成り立っているのかまったく分からない。


 勇輔とコウガルゥの魔術が消し飛ばされたことを踏まえても、カナミがどうこうできる魔術ではないだろう。


 となれば、他の仲間たちと合流する方法は、ルガーを倒すだけだ。


「ルールは把握しましたわ。では、その兜の下の脳天に、風穴を空けてさしあげましょう」

「やってみるがいい侵略者よ。我輩の正義は、どんな苦難を前にしても決して折れぬ」


 槍と銃が互いに向けられ、魔力が巡る。


 次の瞬間、両者の攻撃が一直線に直撃した。


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