第295話 身を焦がす

 地面を転がっている間、走馬灯そうまとうのようにノワとの思い出が頭を流れた。


 そうだ。


 いつまでも騙していることはできず、ノワは俺が本物の勇者だと気づいてしまった。いや、最初からそう名乗っていたんだから、騙してはいなかったと思うけど、そんなことは些細な問題だろう。


 一週間、俺とノワは共に過ごした。


 普通の人から見たら、一週間なんて大した時間でもないのかもしれない。


 けれど俺たちにとってその時間は、濃密なものだった。


 ノワは好奇心旺盛で、見たことのない人族の文化に悪態を吐きながらも、俺の提案を断ることはなかった。


 そして俺も、夢を見てしまった。


 魔族を見た瞬間には、『斬らなければいけない』、と剣を握る日々。そんな考えに染まりつつある自分から、変われるのではないかと。


 しかし夢はめるものだ。


『あなたが‥‥勇者‥‥? 本物の‥‥?』


 ノワからの問いかけに、嘘を吐くことはできなかった。否定も肯定もしない俺を見て、彼女は真の力を解き放った。


 つけていた指輪は粉々に砕け散り、桜色の髪が蛇のようにうねる。


 そして、小さかった身体は妙齢の女性のものへと成長した。


 そこにいたのは既に俺の知るノワではない。


 『夢想の魔将パラノイズ・ロード』――ノワール・トアレだった。


「いってぇ‥‥」


 口からダラダラと垂れる血をぬぐいながら、俺は立ち上がった。


 頭がどこかに飛んでいったかと思った。


 頑丈な身体で助かった。まだまだこの程度では倒れられない。


 再び、両腕を広げてノワを見る。


「まだまだだ」


「言われなくても」


 すぐ目の前にノワがいた。


 抱きしめるように首に腕を絡められ、腹に衝撃。


「ぉぐっ――⁉︎」


 腹に膝蹴りって、殺意高すぎるだろ。


 折れ曲がったところに、横から蹴りが襲い掛かる。


 ゴッ‼︎ と世界が何度も回転し、俺はボールのように地面を跳ねた。


 痛いなんてものじゃない。転がっている間に、何度も意識が途切れては、覚醒するのを繰り返す。


「私の気が済むよりも先に、死にますよ」

「‥‥その時はその時だ。俺はまだ立てるぞ」

「ええ、当然です」


 ノワはそう言うと、腕を振った。


 そこから放たれるのは桜色の炎。


「ぅお⁉︎」


 炎が周囲を取り囲み、熱波が肌をあぶる。息をするだけで、肺が焼けて痛い。


 炎の向こう側で、ノワの声が聞こえた。


「魔術を使いなさい、ユースケ。あの時をやり直しましょう。結局、私たちはあの時選択を間違えてしまったんです」

「‥‥」


 そうなんだろうか。


 俺はあの時、真の力を解放したノワに対して剣を取った。魔将ロードを相手に、見逃すということはできなかった。


 魔族は殺さなければならない。


 頭の中でささやかれる言葉に従って剣を振り上げ──。


「違う」


 振り下ろすことができなかった。


 一週間隣で見続けた彼女は、俺が戦うべき魔族ではなかった。頭が割れるような頭痛を無視して、俺はそう決めたんだ。


 あれが間違いだったなんて、認めない。


 確かに俺はノワを本当の意味で受け入れることはできなかった。勇者という立場と、戦いの過去が、それを許さなかった。


 それは俺の罪だ。愚かだった。


「俺はやっぱり君とは戦えない」


 炎がより激しさを増し、髪や服が発火して燃える。


「ふざけないでください! またあなたはそうやって、はぐらかすのですか! 私など、真剣に相手をする価値もないと⁉︎」

「違う!」


 そんな風には思っていない。


「真剣だよ。──真剣に、俺は何もしない」

「っ──! それならば一人、自己満足の中で果てなさい‼︎」


 ノワは拳を振り上げた。そこに、濃密な魔力が込められる。


 『比翼トナリ』、『心重オモリ』、『嫉妬イカリ』の全てが込められた一撃だ。


 魔将ロードの本気の攻撃。魔術を発動していても、耐えられるか分からない。


 どうするのかと、腹の中で獣が吠える。これは俺があの世界で見ないふりをして、捨ててきたものだ。一つ一つ、拾い上げて、前に進まなければならない。


 業火ごうかを握り、ノワが叫んだ。


「戦え! 勇者白銀シロガネ‼︎」


「俺は山本勇輔だ‼︎ 君とは戦わない‼︎」


「──‼︎」


 ノワが、地を蹴った。


 瞬きする間にノワが目の前に来る。炎に照らされたその顔は、怒っているような泣きそうなような顔をしていた。


 その顔を見た一秒よりもはるかに短い時間。


 俺は彼女がノワール・トアレであることを改めて確信した。




「『身焦がしの朱槍ミス・エボル』‼︎」




 音も痛みも、衝撃も感じなかった。灼熱が桜色を飲み込み、全てを白に染め上げる。


 ノワの顔が見えなくなる時、俺は意識を失った。

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