第294話 贖罪

     ◇    ◇   ◇




「『久しぶりだな』」

「‥‥」


 陽向の顔をしたノワは、うつむいていた。


 見覚えのある桜色の髪に、濃密な魔力。


 遠くからでも一瞬で分かった。


 『夢想の魔将パラノイズ・ロード』――ノワール・トアレの魔力だと。


 しかしおかしいところもある。


 同時に微かに感じた気配。


 それは後輩である陽向紫のものだった。



 こうして目の前に立って分かった。


 何があったのかは分からないが、陽向の身体にノワの魂が入っている。ノワの身体は、シキンによって殺されたんだろう。


 それにしても一つの身体に、二つの魂が入っているなんて、聞いたことがない。魔術師にとって、魂と肉体の関係は非常に重要だ。双方が双方に影響を与えるからだ。


「『まだそこに、陽向はいるのか?』」


 最悪の場合、ノワによって陽向の人格が消されてしまいかねない。


 返事は別の所から来た。


「おいおい! いきなりやってくれるじゃないすか!」


 振り向くと、右腕を斬り落とした男が切断面を押さえて叫んでいた。


 魔族じゃない。櫛名の気配も感じるし、新世界トライオーダーの一人か。


 こいつはこいつで珍しい。右腕に何か別のものを飼っている。だから斬り落としたんだが。


「斬り離せば、それで終わりだとでも?」


 男の方からは、脅威となる魔力を感じない。


 代わりに、地面に落ちた黒い腕。そこからはまだ禍々しい魔力が放たれていた。


 宿主を失っても動き続けるのか。


「そいつは俺の肉体にあることで、制御されている。そこから解放されたら、どうなるか――」


 言葉は最後まで続けられなかった。


 黒い腕から触手が伸び、男の身体を貫いたのだ。


 そしてカメレオンがそうするように、男の身体を引っ張ると、飲み込んでしまう。


 ――なに?


 そこに現れたのは、黒い人影だった。


 まるで影がそのまま立ち上がったかのような、違和感。


 人族でも、魔族でもない魔力の気配だ。


 影の中で、いくつもの目が開き、俺を見た。何かを見透かすように、ギョロギョロとうごめき、止まる。


 直後、その背中から翼のように無数の触手が広がった。


 なるほど、触れたら面倒くさそうな相手だ。


 俺は右手の剣を構え、螺旋の魔力を流す。


 新世界トライオーダー。シキン以外にも、こういう化物がまだまだ存在しているんだろう。


 だが悪いな。


「『今、お前の相手をしている暇はない』」


 殺到する触手の豪雨に対し、無造作に踏み込む。




「『ミカ――』」





 剣が、暴れる。


 翡翠ひすいの剣閃が目に見える全てに無数の斬撃を叩き込み、その上から更に斬る。


 斬っても動くというのなら、動かなくなるまで斬るだけだ。




「『ティア‼』」




 嵐が、全てをさらった。


 黒い魔力の一粒すら残さず、影は消えていた。


 なんだこいつ。もう死んでいたとは思うけど、奇妙な手応えだった。


 しかしその違和感を探っている暇はなかった。


 声と共に、それは来た。




久しぶり・・・・・?」




 重圧。


 肉体ではなく、魂そのものが潰れそうな重さが全身にかかってくる。

 

 『我が真銘』を発動していてなお、きしむ。


 誰の魔術かなんて、考える必要もない。


 魂だけになっても、ここまでの威力を出すのかよ。


陽向はいる・・・・・?」


 後ろから聞こえてくる声は、質量をもっているかのように、突き刺さってくる。


 とりあえず、ファーストコンタクトは完全に間違えたらしい。


「『ノワ――』」


 振り返った瞬間、更なる重圧が叩きつけられた。


 ぐっ⁉


 立っていられず、地面に片膝を着く。周囲が陥没し、ひび割れが起きた。


 ノワが、恐ろしい目で俺を見下ろしていた。


「私に伝えるべき言葉は、本当にそれですか?」

「『‥‥』」


 いや、分かっている。


 そうじゃない、そうじゃないよな。確かに何を言うべきか迷った挙句あげく、間違えた。


「『生きてたんだな』」


 ゴッ‼ とさらに重さが増した。


 違ったらしい。魔力の出力を上げて、なんとか対抗する。


 思い出せ、最後のノワの言葉を。俺たちがどのように出会い、そして別れたのかを。


『ユースケ、ノワ、ずっと待ってるよ』


 そうだ。


 結局俺たちの関係は、破綻はたんした。


 勇者と魔将ロードだから。人間と魔族だから。


 理由なんていくらだって思い浮かぶけれど、根本的な原因はそこじゃない。


 俺が、受け入れることができなかったんだ。


 だから、魔王を倒せば何もかも解決するって、そんな曖昧な理想に投げてしまった。


 ノワとの約束を果たさないまま、俺は地球に帰還した。


「『すまなかった』」


 君に嘘を吐いて。


 置いて帰ってしまって。


「――!」


 ゴウッ‼ と炎が俺を巻いて燃えた。


 身動きの取れないまま、鎧が焼けていく。


「私はっ――‼」


 魔将ロードの魔術だ。我が真銘を発動していても、全ては防ぎきれない。


 いや違うな。


 そんなもの障害にならないくらい、ノワの想いが強いのだ。


「私は、ずっと待ってました‼ あなたが来るのを‼ 魔族の裏切り者として――、誰もいない城で、たった一人――‼」


 炎がノワの言葉に呼応して、激しく燃え上がる。



 彼女の怒りを示すように、熱く、染みる。


「どうして――」


 俺の脳裏に、一人で窓の外を見る少女が映った。


 遠い人族の国の方を、誰も来るはずがない道を、ずっと。




「どうしてノワを、置いて行ったの‥‥?」




 その言葉を聞いた瞬間、俺は改めて自分の馬鹿さ加減を痛感した。


 ノワは涙をぬぐい、冷たい声で言った。


「私には、何が正しいのかもう分かりません。あの日、あなたを殺せなかった私は、魔王様ではなくあなたに恋をしてしまった。けれど、それは正しかったのでしょうか。私にはもう分からないのです。ここであなたを殺し、私の命と共に、せめてものつぐないとすべきなのではないでしょうか」

「『‥‥』」


 俺は黙ってノワの話を聞いていた。


 どうしてノワがシキンに簡単に殺されてしまったのか、ようやく分かった。彼女の魔術、『愛せよ乙女メルヘンマイン』は強力な魔術だが、精神状況がもろに出る。


 迷いがあったから、全力を出せなかったのだろう。


 俺は俺を好きだと言ってくれた女の子を置き去りにした挙句、死に追いやったわけだ。


 彼女の怒りはもっともだ。


 なら、やることは簡単だろう。


「‥‥どういうつもりですか」


 心重オモリが解かれる。


 俺は軽くなった体を起こし、ノワを見た。


「どういうつもりかと聞いているんです!」


 凄まじい魔力の圧。正面に立っているだけで、気を失いそうになる。


 けれど、この程度で倒れるわけにはいかない。彼女の怒りと悲しみは、こんなものではないのだから。


 俺は何もさえぎるものがなくなった声で、言った。


「俺は君に謝ることしかできない。それだけのことをした。だからせめて――」


 『我が真銘』を解除し、正真正銘の生身。山本勇輔となった俺は両腕を広げた。


「ノワの気が済むまで、好きにしてくれ」


 刹那。


「ッ――‼」


 真正面からノワに殴り飛ばされた。

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