第296話 双方の想い
◇ ◇ ◇
ノワが我に返った時、勇輔は道の先で転がっていた。
至る所に火が残り、明かりが揺らいでいる。
勇輔は煙を上げながら、ピクリともせず倒れていた。
ノワの炎は怒りによって強くなる。
身体強化のおかげだろう、原型こそ保っているものの、腹部の傷口は炭化し、内臓の多くも重度の火傷に
たとえ英雄といえど、生きてはいられない。
「はぁ‥‥はぁ‥‥」
本当に、防がなかった。
勇輔が『我が真銘』を発動していれば、死ぬことはなかったはずだ。彼の魔術の強さは、ノワがよく知っている。
あの時もそうだった。
魔王のために勇輔を殺そうとしたノワを前に、彼は剣を下げた。そして言ったのだ。
『君とは戦いたくない』と。
ふざけていると思った。
ノワが神魔大戦に興味のない魔族とはいえ、魔王への想いは本物だ。勇輔の行動は、そんな彼女のことを
だから殴った。
怒りのままに、死ぬまで殴ってやろうと思った。しかし、殴るたびに自分の拳が痛み、目の奥で勇輔との一週間が弾けた。
いつしか、拳は炎を
『
故に、弱体化した魔術そのものが、ノワの気持ちの変化を正直に表していた。
「はぁ──ぁ──」
拳からポタポタと血が落ち、地面にまだら模様を作る。
倒れた勇輔は、もう動かない。
──まただ。また、壊してしまった。
どうしてこうなってしまったのだろう。
ノワは勇輔への恋心を自覚した時から、それが叶わぬ恋であることを理解していた。
勇者と魔将、人族と魔族というだけではない。彼には恋する人がいて、自分は薄汚い裏切り者だ。
一生日陰者でもいい。愛されなくていい。
あなたが少しでも、私に会いに来てくれさえすれば、それだけでよかった。
ノワール・トアレは、魔族の中でも異端の存在だった。何かを好きになってしまったら、それに執着せずにはいられない。深すぎる愛は、自分も相手も、いつも壊してしまう。
彼女は魔族にさえ忌み嫌われた。
そんなノワをはじめて正面から受け止め、受け入れてくれたのが、魔王だった。
彼ならどれだけ愛してもいい。壊さなくて済む。
勇輔は魔王とは何もかも違った。
まず強そうではないし、格好良くもない。女の子をリードするのも下手だし、周囲の人から馬鹿にされてもヘラヘラばかりしている。
大体、人族の敵である魔族が来たというのに、警戒するそぶりもない。それに気づかないくらい平和ボケしているのかもと思ったが、軽く脅しても態度は変わらなかった。
勇輔はノワをいろんなところに連れ出し、様々なものを見せてくれた。
初めてだった。
誰かに振り回されるのは。誰かと対等に話すことができたのは。
今思えば、魔王への想いは父へのそれに似ていたのかもしれない。一番初めに壊してしまった、家族への憧れを、代わりに見ていた。
『ユースケ、ノワ、ずっと待ってるよ』
その言葉は本心だった。
彼のことなら、いつまででもずっと待っていられると信じていた。たった一週間の輝かしい思い出が、その力をくれたのだ。
しかし、勇者が国を離れ、女神の下に
──嘘吐き。
どうしようもない怒りと絶望が、心を真っ黒に染めた。
「ぁ──ぁああ──」
声が喉を鳴らした。
血も、炎も、倒れる最愛の人も、全て自分がやったことだ。
──違う。
違う違う違う違う違う違う違う!
会いたかった!
また会えて嬉しかった!
二度と会えないかもしれないって、それが一番の絶望だった!
すぐに私に会いに来てくれて、助けてくれて、名前を呼んでくれて、頭がどうになりそうだったの!
本当なら思いっきり抱きついて、たくさんの話をして、私を少しでいい、見てくれれば、それでよかったのに。
私は
現実が見られない、独りよがりの愛。だから、夢想。
「ぁぁぁああああああああああああああ‼︎」
立っていられなくて、膝から崩れ落ちる。
もう誰も、ノワの名を呼んでくれる人はいない。
この知らない世界で、本当のひとりぼっちだ。
こんなことになるのなら、この世界で殺された時、素直に消えてしまえばよかった。そうすれば、勇輔を殺してしまうこともなく、綺麗な思い出を抱いたまま、死んでしまえたのに──。
「ノワ」
「──」
聞き間違いだと思った。
それこそ淡い夢想の中に聞こえる幻聴だと。
顔を上げると、そこには信じられない光景があった。
勇輔が、立ち上がっていた。
崩れそうになる膝を手で押さえ、
ほんの少し触れただけで、倒れてしまいそうな姿。
それでも、立っていた。
「どうして──」
どうして立っていられるの。
どうして、名前を呼んでくれるの。
敵だったんだよ。
あなたが斬らなきゃいけない相手だったのに、騙したって、誰も文句なんてい言わないのに。
あなたはそうやって馬鹿正直に、私に向き合ってくれるの──?
「‥‥ノワ‥‥俺は‥‥今度こそ、大切な人を、守る‥‥‥‥」
息をすることすら辛いはずだ。
喉も肺も乾き、掠れた声がかろうじて聞き取れる。
「誰も‥‥君も、悲しませない‥‥!」
息を吹き返すように魔力が勇輔の中で駆け抜け、声に力がこもる。
光の宿った瞳が、ノワを見た。
『先輩! 先輩‼︎』
ノワの心の中で、叫びが聞こえた。
ノワと同じ想いを持った少女。彼女が同じくらい強い気持ちをもってくれていたから、ノワはその体を借りることができた。
彼女はずっとノワを止めようとしていた。
──ごめんなさい。もう、大丈夫。
ノワはゆっくりと立ち上がると、勇輔の前に歩いていった。
別れてからは、縮まることのなかった距離を、自分の足で、歩いていく。
そしてそのまま、勇輔に抱きついた。
懐かしい気配に、何も見えなくなるくらい涙が
本当はこうしたかった。
ずっとずっと、こうしたかった。
「っ──身勝手でごめんなさい! わがままでごめんなさい! ノワは待つって約束したのに、守れなかった! 私が勝手に恋したのに、勝手に裏切ったのに、ユースケに全部押し付けた!」
腕の中で小さな鼓動を感じながら、ノワは全てを吐き出した。
「ごめんなさい。ノワはこのまま消えるから、お願い──」
これだけのことをして、本当に身勝手だと思う。わがままで自分本位な考えに、吐き気がする。
それでも、言わずにはいられなかった。
「ノワを、嫌いにならないで」
声はしゃくりあげ、震えていた。
涙が止まらない。
全部自分がしたことだ。自分が何もかもを壊したのだ。
けれどこの願いだけは、消せなかった。
「ノワ──」
力なく垂れ下がっていた勇輔の腕が、ノワの背中へと回され、抱き返す。
本来なら動くはずのない身体を、魔力で強引に動かす。
「陽向、聞こえるよな。俺は今から最低なことを言う。でも君しかいない。俺のために、力を貸してくれ」
ノワの奥、そこにいるはずの陽向に、勇輔は言った。
「ノワを──この子をここにいさせてあげてほしい。俺にできることなら、なんでもする。どんな脅威からも、君を守る。君たちが笑顔で過ごせるように、全力を尽くす。だから──」
言葉は最後まで言えなかった。
ノワの人差し指が、勇輔の口を
いや、それはノワのものではなかった。
いつも見ている、小悪魔みたいな目が、勇輔を見ていた。
「本当に、先輩は最低です。リーシャちゃんの時も思いましたけど、私に、他の女の子のことを頼むなんて、デリカシーがなさすぎてダメダメです」
「それは、ごめん」
「でも許してあげます」
もう勝てないなんて思わない。
「陽向が、大好きな先輩のために、一肌脱いであげますよ」
あなたの周りにどれだけ素敵な人がいても、
「‥‥え」
ポカンとする勇輔を見て、本当にどこまで鈍感なのかと呆れる。
このままでは、「先輩後輩としてだよな?」とかまたしょうもないことを真顔で言いそうだ。
そこで陽向は思い出した。
「そういえば先輩、なんでもするって言いましたよね」
ここまですれば、きっとこのにぶちん大魔王も理解するだろう。
あるいは、自分の目の前で他の女とイチャイチャしやがってと、そういう怒りもあったかもしれない。
最終的には、陽向がしたかったからに落ち着くのだけれど。
「ひな──」
これ以上おかしなことを言う前に、陽向は勇輔の口を唇で
乾いた唇を
その時自分が陽向紫だったのか、それともノワール・トアレだったのか。そんな些細なことは、もうどうでもよかった。
これは
元カノだろうと異世界の女の子だろうと、なんでもかかってこい。
この人は、私のものだ。
「っぷは」
唇を離すと、目を白黒させる勇輔が陽向を見ていた。
「もう
そう言って、
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