第297話 破戒聖女、日本への帰還

     ◇   ◇   ◇




 張り詰めたように冷たい朝。


 羽田空港の滑走路に一機のプライベートジェットが降り立った。


 そこから四人の男女が出てくる。


靖川やすかわ様。この度は私たちのために力を貸していただきありがとうございました。このご恩は決して忘れません」

「いやいや、この程度でお返しにはなりませんよメヴィアさん。また何か困ったことがあったら言ってください。何でも力にな理ますから」


 壮年の男性は、そう少女に笑いかけた。


 少女は鮮やかな金髪に、赤い目が特徴な美しい見目をしていた。


 誰もが魅了される愛らしい笑顔を浮かべ、靖川と呼ばれた男性に頭を下げる姿は、庇護欲を駆り立てられる。


 アステリスの聖女、メヴィアは熟練の技で完璧な聖女を演じていた。


 もしもこの場に勇輔がいれば、「妖怪化け猫被りめ」と呟いたことだろう。


 実際、彼女の笑顔の裏では様々な思惑が渦巻いていた。


 靖川という男性は、有名な資産家だった。しかし彼の娘は病気で歩けない体だった。


 メヴィアはそこに目をつけ、彼の娘を治療し、恩を売ったのだ。


 メヴィアがこの地球に来ても、何不自由ない生活を送り、渡米することができるのは、そういった活動を繰り返してきたからだった。


「っうぐ‥‥、ようやく地面に‥‥!」


 地面に感動の目を向けるのは、フードを深く被った男だった。背中には巨大な箱を背負い、安堵の息を吐いている。


 ネスト・アンガイズは守護者の一人だ。


 彼の背負っている箱の中では、『鍵』の少女、ベルティナが眠っている。


 ベルティナは魔族との戦いで呪いを受け、昏睡状態なのだ。今はメヴィアの魔術で延命しているが、根本的な呪いは解けていない。


 その呪いを解くために、日本に来たのだ。


 森で生きる異世界人にとっては、小型飛行機はあまりにショッキングだったが。


 しばらく下を向いて酔いから回復したネストは、隣を歩くセバスに聞いた。


「この国にベルティナの呪いを解ける者がいるのか」

「さて、どうでしょうね。可能性が一番高いというのが正しいでしょう」

「それでもありがたい」


 ネストではどうにもならない。少しでも希望があれば、それに縋りつく他ないのだ。


「この後はどこに行くんだ?」

「まずはこの地にいるメヴィア様のお仲間と合流ですね。いつ魔族が襲ってくるとも分かりませんから、できるだけ戦力は多い方が――」


 セバスがそう言いかけた時だった。




 世界が黒く染まった。




「っ――襲撃か⁉」


 ネストは即座に後ろへ跳び、ジェット機の影に身を隠した。


 セバスは周囲を鷹揚に眺め、メヴィアはそんな二人を振り返って舌打ちをした。


 靖川はいない。三人だけが閉じ込められたのだ。


 襲撃を警戒する三人を前に、次に起こったのは予期せぬ事態だった。


「‥‥これは」

「ほうほう」

「ちっ、面倒くせえな」


 黒かった景色が、一気に色づく。


 季節を無視した深い緑があたりを覆い、ネストが隠れていたジェット機もつたに飲み込まれる。


 数秒とかからず、三人は深い森の中にいた。


 景色だけではない。木漏れ日の温もりも、濃い緑の香りも、本物そのもだ。

 緑に覆われたジェット機を見て、メヴィアが口を開いた。


「見たところ、転移ってよりは魔術領域に捕らえられたって感じか」

「そのようですな」

「そのようですなじゃねーんだよ!」


 メヴィアは頷くセバスの脚に蹴りをいれる。さっきまでのしとやかさはどこへやら、そこらの冒険者も目を剥く腰の入った喧嘩キックだ。


「お前はそういうのから私を守るためにいるんだろうが。何あっさり捕まってんだよ」

「申し訳ございません。このセバス、いかなる罰をも受ける所存でございます」

「お前が嬉しいだけじゃねーかクソ!」


 二人がギャーギャーと騒いでいるのを、ネストは影に隠れて見ていた。


 いきなり魔術領域にとらわれたのだ。


 いつどんな攻撃が飛んできてもおかしくない。


 だというのに、二人は意にも介さず身体を晒している。


(これが勇者と共に旅をした英雄‥‥)


 ネストは世間知らずだ。神魔大戦でも戦いに参加することはなく、遠い地の戦況を人づてに聞く程度だった。


 そんなネストでさえも、勇者や四英雄しえいゆうの偉業は数多く知っている。


 セバスのことは知らないが、メヴィアの守護者をしているのだから、弱いはずがない。


「ったく。さっさとユースケたちに合流しようって時によ。面倒くせーな」

「ちょうどよい手土産になったと思えばよろしいでしょう」

「私がいる時点で手土産とかいらねーから」

「これは失礼いたしました」

「まあいいや」


 メヴィアは森の奥を睨みつけた。


「さっさと出てこいよ。相手してやるから」


 その言葉を待っていたかのように、それは現れた。


 森に似つかわしくない、金属のぶつかる音。緑の奥から姿を現したのは、古めかしい洋風の甲冑を着た騎士だった。


 右手にはランスを握り、左手にはカイトシールドを持っている。


 現代人から見れば時代錯誤もはなはだしいが、アステリスの住人である三人には見慣れた姿だ。


(魔族‥‥じゃない‥‥?)


 ネストは狩人かりうどだ。魔族との戦闘経験は多くない。


 だからかは分からないが、甲冑が人族なのか魔族なのか、いまいち判別がつかなかった。


 甲冑はランスを円を描くように振るうと、己の正面に立てて止めた。




「我輩は正義の導書グリモワール‼ ヴィンセント・ルガーである‼ 悪しき異界の賊よ、正々堂々立ち合わん‼」




 音の爆弾とでも言うべき声が響き渡った。


 ビリビリと衝撃に草が揺れ、メヴィアは露骨に顔をしかめた。


 そして一言。


「セバス、あの馬鹿を黙らせて来い」

「仰せのままに」


 直後、セバスの魔力が静かに、しかしすさまじいうねりをもってられた。 


 ヴィンセントもまたランスと盾を構え、セバスを見据える。


 合図はなかった。


 大地を爆散させ、二人の魔術師が激突した。

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