第213話 灰を噛む

     ◇   ◇   ◇




「勇輔‼」


 喉を裂く声が出た。


 今まで白銀シロガネ――いや、山本勇輔の戦いを月子は呆然と見ていた。


 見ていることしかできなかった。


 自分がそこに立ったところで足手まといにしかならないからか。


 あるいは驚愕に槍を握ることを忘れたからか。


 それすらも判断できない程に、思考が停止していた。


 分からない。何も分からない。勇輔が白銀シロガネだった? アステリス? 異世界への召喚? 勇者? 情報の羅列が延々と巡り続ける。


 しかし世界を焼き尽くすような六本の槍、それが勇輔を直撃したのだ。


 その瞬間、身体が動いていた。


 傍らに落ちたままの金雷槍を掴み、月子は立ち上がろうとする。


 行かなきゃ。


 何ができるかは分からない。それでも行かなければならないと、激情が彼女を動かしたのだ。


「待って」


 それを止めたのは、黒いドレスに身を包んだシャーラだった。


 彼女は勇輔の言葉通り、ここで動くことなく月子たちを守っていた。凄まじい魔術の余波も、物理的な衝撃も、何もかもを冥府の冷気で凍結させていたのだ。


「どいて勇輔が‼」

「必要ない」


 シャーラは激高する月子を、たった一言で切り捨てた。その瞳には不安も動揺もなかった。ただ静かに、彼の戦いを懐かしむような喜びさえたたえて、彼女はそれを見ていた。


 そして一言。


「ユースケは、負けない」


 そこには揺るがぬ信頼と、憧憬があった。


「――あなたは」


 その落ち着きに何も言えなくなった月子は、シャーラの視線を追うようにして顔を上げた。


 衝突し膨れ上がる炎の中で、翡翠の光が瞬いた。

 



     ◇   ◇   ◇



 

 バイズ・オーネット。お前が『『壊劫にて火坑を穿つエゴ・イフレーリア』』を撃ってくれて助かった。


 膨大な魔力を手に入れた者は、それに頼りたがる。


 破壊力の高い攻撃は、誰の目にも明確な脅威だからだ。


 だが魔力量だけで戦いの勝敗が決まるのだと思ったら、浅すぎる。


 そんな単純な話なら、人族はとっくに魔族に滅ぼされているし、俺が死に物狂いで技を習得することもなかった。


 いくら複合術式とはいえ、これだけ何度も魔法陣を見せてもらえれば、目を閉じていても剣が動く。


 星のように輝く魔力の要所。


 その全てを瞬時に切り裂き、流動する魔術を解体する。


 『星剣ステラ』。


 全ての『火坑を穿つイフレーリア』を構成する術式は霧散した。炎は炎としての形を失い、魔力の塵に還った。


『馬鹿、な――』


 こぼれ落ちたバイズの声が聞こえた。


 しかし驚くには早い。


 師より受け継いだ七色連環剣ななしきれんかんけんは、続き技・・・だ。


 輝き星を繋げ、竜座うねり雨をもたらせばいずれ嵐と化す。


 『星剣ステラ』より繋げる技は、最も特殊。


 ある状況下でしか使えない剣技だ。


 それは星剣ステラによって魔術を解体し、多くの魔力が周囲に漂っている不安定な状態。


 これが大気に混ざり散る前に、俺の魔力を使って巻き込む。


「『行くぞサイン、これが神魔大戦だ』」


 翡翠の斬撃は螺旋を描き、誰のものでもなくなった魔力を引き連れて巨躯きょくと化した。


 俺個人の出力に限界があるのならば、お前の魔力を利用させてもらう。



 

 『竜剣エルトニア』。




 暴虐の竜が戦乙女に絡みつき、報復の牙を突き立てた。魔力と魔力が反発し合い、けたたましい音と光が炸裂する。


『ぬ――ぅぐぁああああ‼ 白銀ぇえええええ‼』


 耐えられたのは数秒。灰被りの戦姫シン・アギスの身体にひびが入り、そこから赤い光が噴き出した。


 ここからは時間勝負だ。


 バイズが防御のために兵士たちから魔力を吸い出すよりも早く、こいつを破壊する。


 俺は着地と同時に一気に駆けた。


『『尽力鍛えし剛刃クロスミネルナ』‼︎』


 俺を叩き潰さんと、バイズが動いた。灰被りの戦姫シン・アギスは竜剣を無視して両腕を振り下ろした。


 剣と槍の刃を十字に合わせた斬撃。灰の亀裂から炎のように赤い光が尾を引き、城壁のような刃が降ってくる。


 そんな勢い任せの攻撃が通るか。大きければいいってもんじゃない。


 俺は真っ向から剣を振り上げて応じた。


「『雫剣ムオン』」


 バスタードソードを覆うように展開された濃密な魔力の雨は、『尽力鍛えし剛刃クロスミネルナ』の威力を完全に削り殺した。


 魔力は出力じゃない、使い方だ。この一点に集中された魔力は、そんな雑な攻撃では破れない。


 互いの力が消えた無の瞬間。


 俺は次の動きに移っていた。


 魔力の驟雨しゅううは流れを変え、嵐へと変ずる。


 そのひびもろそうだ。


 『嵐剣ミカティア』。


 間髪入れずに無数の斬撃を叩き込む。翡翠の斬撃たちは剣や槍、灰被りの戦姫シン・アギスの全身に広がった罅へと飛来した。


 ザザザザザザザザンッッ‼︎


 どれだけ強固な壁も、少しの崩落から瓦解する。


 白い肌に翡翠ひすいが侵食し、傷口を切り広げた。


 バイズが対応する暇もなく、嵐剣をまともに受けた戦乙女の巨体は崩れ始めた。


 落ちる灰の滝の中に、多くの人が混ざっているのが見えた。


 生きてるな、なんとか間に合ったか。アステリスの人族、しかも兵士ならこの程度の落下では死なないだろう。


 俺は一直線に飛び上がり、灰被りの戦姫シン・アギスの頭上へとたどり着いた。


白銀しろがね‥‥」


 兜の上には、バイズが立っていた。灰被りの戦姫シン・アギスは諦め、俺を迎え撃とうと外に出たか。


 バイズは剣を抜き、俺へと向ける。


「人族の英雄、世界最強の男。貴様が何を成してきたかは知っているつもりだ。それでも私はここで貴様を殺す。我が主人の安寧のために、どんな代償を払ったとしても」


 バイズは魔力を回した。既にほとんどの魔力を使い切り、立っているだけでも限界に近いだろう。部下にそうしたように、己の命を使ってでも俺を殺さんという意志が伝わってくる。


 一体何がこいつを、そしてフィンを突き動かしているのかは分からない。


沁霊顕現しんれいけんげん


 バイズは全てをして最後の魔術を発動しようとした。


 強固な感情の励起れいきは、あらゆる困難を打ち砕く槍となる。


 だが悪いな。


 軍を失い、今この場で向かい合った時点で、既に決着はついている。


「灰の──」




 斬ッ‼︎‼と紅の剣がバイズを言葉ごと切り捨てた。




 我が真銘──『無限灯火フレム・リンカー』。


 極限の集中力と覚悟によって編まれた紅き魔力の前では、お前はあまりに遅すぎる。


 顕現しようとしていた沁霊はおぼろのように溶けていく。


「フィン、様‥‥申し訳、ありま」


 バイズは空に手を伸ばし、そして灰に飲み込まれるようにして落ちていった。


 いずれこの灰も姿を消すだろう。


 最後の最後、お前はたった一人でも俺に挑んだ。その価値観を認めることはないが、お前の沁霊が真に唾棄だきすべきものではなかったということは、覚えておこう。


 『竜爪騎士団ドラグアーツ』総勢一万人。俺は初めに決めた通り、その全てを殺さず殲滅した。












 その時誰一人として、じっと息を潜めている者がいることには、気付かなかった。

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