第327話 燃え盛る怒り

「‥‥冗談」


 土御門は冷や汗が流れるのを鮮明に感じた。


 阿修羅は現代日本においても様々な熟語に使われるほど、有名な神だ。戦闘の神であり、荒々しいイメージが強い存在だが、実際には正義を司る神であった。娘を巡り帝釈天と争い、天界を追われることになったとされている。


 出自から逸話いつわに至るまで、神である。


 一片の疑いもなく、神である。


 それが目の前にいる。ただの人形はりぼてと一蹴してしまうのは簡単だが、目前の阿修羅にはそれを許さない圧があった。


 ただの怪異や人間には到達できない、超次元の重さだ。


 対魔官として様々な存在と相対してきた土御門だからこそ分かる。それは土地神が宿す神性、そのさらに向こう側にあるものだ。


 理屈としては理解できる。


 神は現実の世界には顕現けんげんできない。何故ならそれは既に古びた神話の存在であり、架空なのだ。誰も本気でそれが現れるなど、想像していない。


 逆に言えば、創作の中でなら存在している。


 この領域内だからこそ顕現けんげんできる限定的な存在。裏技のようなものだ。


「それにしたって、ずるいだろう」


 もはやこれは反則チートだ。


 阿修羅からではなく、ロビー全体に無機質な機会音声が響いた。


『理解した? これが沁霊術式、『私たちの物語フェアリーゲーム』の力。あり得ないものたちの世界。よかったね、真の神とまみえることなんて、そうそうできない』


「今の状況でなければ、素直に喜べたのかもしれないけどね。まさか、勇輔君が来られないのも、こういうことかい?」


『正解。あちらにはエキドナを当てた。山本勇輔でも、この世界にとらわれた時点で、勝ち目はない』


 ――エキドナか。


 ギリシャ神話最恐格の怪物。阿修羅に負けず劣らずのビッグネームだ。


 現実に現れれば、国どころか大陸を滅ぼしかねない災厄である。


 それは助けには来られないだろう。


 土御門と勇輔は今、ゲームマスターから絶対に勝てないボスをあてがわれているようなものだ。


 この世界に囚われた時点で勝ち目はない。榊はそう言ったが、それは間違いではなかった。彼女を倒すのであれば、『私たちの物語フェアリーゲーム』が発動される前に叩かなければならなかったのだ。


 人間では真の神には勝てない。


 これは真理だ。絶対の真実だ。


 蟻とライオンを比べるような話ですらない。紙に描かれたキャラクターでは、人は殺せない。この場合、キャラクターが土御門だ。そもそも存在の次元が違う。


 では諦めるのか。


 土御門は野太刀のだちを担いだ。


「ああ、まさしく魔術師冥利みょうりに尽きる。真なる神と刃を交える人間など、世界広し、歴史長きといえど、そうそういるものじゃない」


 胸を借りるつもりなど毛頭ない。やるのであればその首を落とす。


 まっとうな魔術師であれば、見ただけで失神するであろう阿修羅を前に、土御門は心底楽しそうに笑みを浮かべた。



 

     ◇   ◇   ◇




 月子が実家に到着した時、そこで何かが起きていることはすぐに分かった。


 何故なら広い屋敷は煌々と鮮烈な明かりに包まれていたからだ。


 それが立ち上る炎だと気付くのに、時間はそうかからなかった。


「っ‥‥‼」


 月子は大破した門を駆け抜け、屋敷へと走る。


 風雅ふうがに整えられた庭は見るも無残に焼け焦げ、屋敷は今なお黒煙を吐き出しながら燃えていた。


「誰か! 誰かいないの!」


 炎の中に飛び込みながら叫ぶが、返ってくる声はない。伊澄本家は大きい。そこにはお手伝いさんも含め、常に多くの人が暮らしていた。


 避難できたのか、あるいは。


 最悪の予想が頭をよぎり、槍を握る手に力がこもる。


 落ちてくる家の破片を電撃で弾き飛ばしながら、月子は奥に進んだ。すでに部屋は煙に包まれ、視界の確保も容易よういではない。


「どうして、姉様や兄様は何をしているの」


 伊澄本家にいる魔術師たちは、実力者ばかりだ。いくら襲撃を受けようと、そうそう負けるはずがない。


 ここは対魔特戦本部に次いで、安全な場所のはずなのだ。


 しかし現実の光景はそれを否定する。


 崩れ落ちていく部屋を見ながら、月子は不思議な思いになった。


 この家にあるのは美しい思い出ではない。厳しさと、敵意と、孤独に満ちた家だ。


 血反吐を吐く訓練の後、本家の兄弟から嫌がらせを受けた時、何度もこんな家壊れてしまえと願っていた。


 誰かヒーローが助けに来てくれるのではない。大きな怪物が来て、全て踏みつぶしてしまえと本気で思っていた。


 そんな家のはずなのに、こうして炎に包まれている光景を見ると、胸が締め付けられる。


 自分にも真っ当な人間らしい感傷が残っていたのか、それとも哀れみか。


 月子は自分の部屋に通りがかった。すでに炎に巻かれ、部屋には赤い光しか見えなかった。


「‥‥」


 それに足を止めることはなく、月子は進んだ。


 襲撃者の狙いはおそらく伊澄本家の長、伊澄天涯いすみてんがいだろう。


 あの人はいつも一番奥の間にいる。


 そして天涯は元、第一位階の対魔官。月子の魔術の師であり、その実力は折り紙付きだ。


 どんな襲撃者であろうと、天涯にはそう簡単には勝てない。


 敵にも屋敷の人間にも会うことはなく、月子はそこに辿り着いた。ついこの間、天涯と話をした場所だ。ここにも炎が回り、部屋の中は真っ赤に染まっていた。


 そこで月子は二つのものを見た。


 一つ目は、血だまりの中に沈む小さな何かだった。十二単じゅうにひとえのような着物が覆いかぶさり、その中身は見えない。ただ色鮮やかなはずの着物は、光の中にあってもどす黒かった。


 そして二つ目は、二人の人影だった。一人の男が、誰かの首をつかんでいる。


 掴まれている側は火と血にまみれ、抵抗する様子は見られなかった。


 掴まれているのは、伊澄天涯いすみてんがいだった。


 小さな何かは、伊澄甘楽いすみかんらだろう。


 この地獄の炎の中で、ただ一人立つ襲撃者は、天涯をつるし上げたままこちらを見た。


 金髪をオールバックにした、若い男だった。耳にジャラジャラとつけたピアスが、火の光を乱反射して、輝いている。


「あ? まだ生き残りがいたのか?」


 そしてゴミでも捨てるかのように無造作に、天涯を床に落とした。


 その瞬間、月子の中で何かが弾けた。


「貴様ぁぁあああああ‼」


 金雷槍が二又の矛をあぎとのように開き、いかづちみ合わせる。


 炎をかき消す閃光が、月子の怒りを示すように咆哮を上げた。

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