第328話 獣の呪い

     ◇   ◇   ◇




 怪異と戦う最強のとりで、対魔特戦本部が内側から弾けた。


 ロビーだけではない。三分の一近い部分が衝撃に砕け、砂塵さじんと破片が凄まじい勢いであたりにばらかれる。


 もはや崩落していないのが奇跡という状況。砂煙の中から土御門が外に飛び出した。


 HPバーは半分以上が削れ、額からは血が流れ落ちている。


 阿修羅との会敵からおよそ三分。


 ただの人間である土御門は、まだ生きていた。


(無茶苦茶すぎる。神話体系の神っていうのは、ここまでイカれてるのか)


 阿修羅の出現から三十秒後、まず阿修羅が行ったのは、ときの声を上げることだった。


 あるいは、誕生の産声だったのかもしれない。


 ただそれだけで、土御門のHPバーが三分の一近く消し飛んだ。


 防御をしていたはずなのに、頭をぶん殴られたような衝撃を受け、意識が飛びかけた。


 第一位階として最強の名を欲しいままにしていた土御門にとって、それは久方ぶりの衝撃だった。


 声を発しただけで、人が死ぬ。一歩踏み出しただけで、街が潰れる。


 神とは、そういう存在なのだ。


 知識として知っていたことが、ここまで鮮烈な経験として脳に刻まれることはそうそうない。


 土御門はその未知なる体験を噛み締めながら、ひび割れの野太刀を構えた。声を防いだだけで、この有様ありさまだ。


 器が壊れることも承知で魔力を込め、振るう。


 『血風羽団扇けっぷうはねうちわ』。


 赤い旋風せんぷううなりを上げて砂塵の中に切り込んだ。案の定、魔力に耐えきれなくなった刀身が完全に砕ける。


 過剰魔力による潜在能力の解放。


 大天狗だいてんぐ鎌鼬かまいたちによる複合武装だ。吸血鬼を有無を言わさず細切れにした力は伊達だてではない。


「──」


 しかし、砂塵の中から現れた阿修羅は、無傷だった。頭上に浮いているHPバーは毛ほども減っていない。


 おそらく防御も回避もしていない。ゆっくりと歩いて出てきた。


 単純に『血風羽団扇』では火力が足りないのだ。


「肌一枚切ることすらできないとはね」


 レベル一でラスボスと戦わされているような気分だ。ゲームなら負けイベントだろうと諦めもつくが、ここにそんな救済措置はない。


 新しいカードを取り出そうとする土御門は、そこで阿修羅が新たな動きをしようとしているのを見た。


 電柱ほどもある弓に矢をつがえたのだ。見ていられないほどの魔力の収縮。その矢はもはや太陽に近い光量を発していた。


 三面が口を開いた。


「『勝楽一射きゃらくいっしゃ』」


 矢が放たれる。


「ッ──‼︎」


 土御門は矢がつがえられた時に、魔術を使って『因幡いなば白下駄しろげた』を履いていた。


 全力で地面を蹴り、その場から逃げる。


 逃げなければならない。防御しようとか反撃をしようとか、そんな考えは持つことすら許されない。あらゆるものを足場に、後ろを振り返らずとにかく距離を取る。


 そしてそれは来た。


 背後で感じる破壊の波。


 どれほど跳んだか、どこかのビルの屋上になんとか着地し、土御門は後ろを振り返った。


 そこには想像を絶する光景が広がっていた。


 射線上にあった一切合切が、消し飛んでいた。


 その終わりは見えない。おそらく魔術領域の端まで攻撃はおよんでいるだろう。


「‥‥ははは」


 もはや乾いた笑いしか出てこない。


 この空間での限定的な存在とはいえ、ぶっ飛びすぎだ。


かなしい、哀しいないとしき者」

「無意味、無意味よ矮小わいしょうなる者」

「この庭のどこにも、安寧の場所はないのだ、人の子よ」


 声がすぐ上から聞こえた。


「ッ⁉︎」


 土御門はすぐさま後ろに跳んだ。阿修羅は追いかけてこようとはしなかった。


 ――嘘だろう。全く気づかなかった。


 あそこまで異常な存在感を持っているにもかかわらず、それを悟らせもせずに近づいてきた。


 ただ強大なだけの存在ではない。戦闘神として名をせるだけあり、一つ一つの技巧が頭抜けている。


「やはりどうにもならないな」


 本当であれば新世界トライオーダーとの全面戦争で使うつもりだったが、こうなっては出し惜しみをしていられる状況ではない。


 土御門は一枚のカードを取り出した。


 それはこれまでの式神とは違う。手に取っただけで魔力を吸われ、指が震える。


 これは本来神殺しに用いる式神ではない。明確な、人殺しの式神だ。


 しかし今の土御門の使えるカードで、阿修羅に対抗できる存在がいるとすれば、これしかないことも確か。


 カードを内から食い破らんとする力に手綱たづなをかけながら、土御門はそれを顕現けんげんさせた。


 どろりと、血のように重く粘ついた魔力が手からあふれ、腕を伝って心臓へと這い上がろうとする。


「久しぶりだからって、そう喜ぶな、じゃじゃ馬め」


 土御門はそれを自身の魔力で押さえ込み、制御する。


 一歩間違えれば自分の命さえも呪い殺さんとする式神。たのしみのために人を殺し、悦楽えつらくに国を滅ぼし、身勝手に世界を呪う。


 土御門の手に現れたのは、美しい刀だった。戦いのためのものには見えない、優美な刀身。


 見るものを享楽きょうらくと絶望の輪廻りんねへ引きずり込む、正真正銘の妖刀だ。


 めいは『殺生丸せっしょうまる』。


 世界各地に散ったある石を集め、それを心鉄しんがねに混ぜ込み、鍛えた刀だ。これを作るために、当時の土御門家の魔術師と、刀鍛冶、合計十七人が死んだとされている。


 その常軌を逸した話も、素材となった石の名を知れば納得せざるを得ない。


 石の名は、『殺生石せっしょうせき』。


 平安時代、鳥羽上皇に寵愛された姫、玉藻前たまものまえ。あるいは中国いん王朝を傾けた悪逆非道の妲己だっき


 その正体は人類最悪の敵、『九尾の妖狐』である。


 殺生石は、討たれた玉藻前が残したとされる呪いの石だ。後世において砕かれ、その破片は日本各地に散らばったとされる。


 土御門家はそれを集め、自らの力にしようとしたのだ。


 強欲が支払った代償はあまりに大きく、当時の有力な魔術師はほとんどが死に絶え、長く続く土御門家の系譜にあっても、この式神を制御できる人間はこれまで現れなかった。


 そう、土御門晴凛だけが、この刀を抜けるのである。


 しかし完全に制御できるわけではない。


 殺生丸は常に毒を振り撒いており、抜いた時点で周囲の人間は呪い殺され、土御門自身も命をむしばまれる。


 事実、HPバーは徐々に減り始めていた。


 命尽きる前に、この毒をもって阿修羅を殺す。


 土御門は神を見据え、静かに刀を構えた。

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