第97話 なんだこいつ

 化け物染みた使い手は何人も見てきた。


 真理の父や兄も何人もの魔術師を処してきた熟練の魔術師。彼らなら半月武者を殺すことも可能だろう。


 しかし目の前の男はまた別格だ。


(冗談じゃねえ‥‥。こいつ踏み台代わりにしやがった)


 真理が紗姫と二人がかりで手も足も出なかった相手を肩慣らしに使ったのだ。


 どんな魔術かは分からない。


 しかし戦いの中で鈍が名刀に化ける瞬間は見えた。


 恐らくその時間を稼ぐためだけに、わざわざ半月武者の刺突を受けたのだ。


 こっちは一撃受け流すだけで命がけだというのに、背後の真理を庇いながら、鈍一本であの連撃を受け切るなんて冗談が過ぎる。


 そして最後の交錯。


 武者の最速を誘ったうえで、それを躱しての一閃。

 

 一歩間違えれば死ぬ綱渡りの攻防を、余裕綽々の様子でやってのける。


 つまりそれだけ実力に差があったのだ。


(一体どこのどいつだ。そんでもって、敵だったらどうする)


 最悪なのがそれだ。わざわざ真理を守るように飛び込んできたから、敵の可能性は低い。


 だがそれだけでは判断しきれない。


 既に止血は終わらせている。紗姫を抱えて走るくらいはできるだろうが、もしこの男に敵対されたら、その時点で詰みだ。


 何やら呟いていた男がこちらを振り向いた。


 見た目はやはりどこにでもいそうな風体。


 しかしその瞬間から真理の心臓は早鐘を打ち始めた。呼吸が荒くなり、緊張で手が震える。


 『天地返し』の癖で視線が上下に揺れるが、それすらも見透かされているようだった。


 そこで真理は父の教えを思い出した。戦う相手こそ理解しなければならない、目を逸らさず視線を交わしてこそ、相手を理解できる。


 恐れるだけでは理解に繋がらない、そう自分に言い聞かせ真理は男の目を正面から見た。


 決意はすぐさま後悔に変わった。


(いや、なんだこいつ、マジかよ)


 瞳の奥に見えたのは得体の知れない何か。あまりに膨大で巨大な、もはや原形の分からない塊。魔術師を数人殺したところで、怪異をいくら祓ったところで、こんな形にはならない。


 一体どんな道を歩めばこんなものを宿せるのか、真理には想像もつかなかった。


 まさしく蛇に睨まれた蛙。


 それでも対魔官としての責務が真理の口を動かし、その正体を問うた。


「こっちの情報を引き出してどうするんだ?」

「‥‥」


 やべえ、失敗した。


 冷や汗が滝のように流れ、頭の中がぼやける。男がその気になれば、真理の首は即胴体から泣き別れだ。


 男はそんな不安をよそに軽い口調で言った。


「そんなに警戒しなくても、俺はたまたま妖刀を拾った不運な大学生だよ。この先の妖怪だか鬼だかみたいなやつに用があるんだ」

「妖刀、ですか」

「そうそう」


 余計に意味が分からなくなり、真理は目を伏せた。


 確かにあの刀は魔力が宿っている。妖刀だっていうのは本当だろう。


 だが男の瞳の奥にあったもの。ただの大学生で片づけるには無理がある。


 けれどこれ以上のことは聞いても機嫌を損ねるだけだ。


 真理が言われた通り鞘を渡すと、本当に呆気なく男は山頂の方向へと立ち去って行った。


「っはぁあああ!」


 直後真理は肺の中に溜まっていた空気を残らず吐き出した。


 対魔官の中に化け物がいるのはよく知っていたが、まさか知らぬところにあんなのがいるとは思わなかった。


 月子に連絡をと思い、携帯を取り出すが、画面には圏外の文字。


(連絡用の式神飛ばしたところで落とされるのがオチだろうし、今はその魔力ももったいねえな)


 そう思い直し、気絶していた紗姫を拾い上げる。今真理がすべきことは、一刻も早く紗姫を安全な場所に逃すことだ。


「‥‥」


 真理は一度山頂を振り返り、境界を出るために走り出した。もう振り向くことはしなかった。

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