第98話 鳴り響く雷鳴
首無しから是澤含めた新人たちが撤退した後、月子はその場に留まって戦いを続けていた。
「ふっ」
短い呼気で連続の刺突を繰り出す。首無しは避けようとはせず、大刀の腹でそれを受けた。
突きの威力は相当なもののはずだが、首無しは全く揺るぎもしない。
最後にはこちらの攻撃ごと強引に薙ぎ払い、力任せに叩き斬ろうとしてくる。
まともな戦闘技術なんて持ち合わせていない。しかし一振り一振りから感じる圧力は相当なものだ。
純粋な暴力の化身。
少しでも受け損なえばそれだけで致命傷になり得る。
そもそも普通の怪異なら金雷槍と打ち合った時点で流れる雷に身体を焼かれるが、首無しにダメージを受けている様子はない。
攻め切れないと判断した月子は一度後退した。同時に周囲に視線を巡らせると、あたりは戦いの中で倒れた木や降り積もった土砂で凄惨な状態になっている。
月子の他には人影もなく、首無し以外の武者たちも現れる様子はない。
(皆は逃げきれた? 是澤さんも一緒に退いてくれたから、脱出できたとは思うけど)
逃げて皆と合流するか、あるいは一人でも調査を続けるか。
「‥‥」
どちらにせよこの首無しを祓わないことには始まらない。
首無しは大刀を肩に担ぎ、無いはずの眼を月子に向ける。全身から魔力が迸り、柄を砕かんばかりに握りしめたのが分かった。
始まりは突然。
首無しが沈んだ。否、地面を波打たせ力を溜めているのだ。
直後、ゴッ‼ と地面を爆散させ巨体が砲弾のように突っ込んでくる。首無しは斬れずとも轢き殺すと言わんばかりの勢いで暴風を纏い、月子へと迫った。
「単純」
月子とてただ後退したわけではない。既にそこには仕掛けが張ってある。魔力を練り上げ、右手を伸ばした。
「招雷――
予め首無しが通るルートに刺された六本の針。それらは月子の魔力に反応して金雷を帯びる。
そして首無しが刀を振り上げ肉薄した瞬間、雷は千鳥の囀りと共に網となった。
何条もの電気が幾重にも重なり首無しの突進を絡めとる。
人の形をしているのなら、頭を除けば弱点も同じだろう。
月子は滑るようにして踏み込み、心臓を狙って槍を突いた。
しかし首無しは全身を雷で縛られながら、無理矢理身体を捻って空いている左腕を前に出す。甲冑を割って穂先が腕を突き刺すが、そこまで。致命傷には遠く至らない。
「‥‥」
月子は即座に槍を引き抜ぬくが、動きが止まった瞬間を首無しは見逃さなかった。
千鳥囲いを引き千切り、根こそぎすべてをぶち壊さんと振るわれる横薙ぎ。それを後方宙返りで躱しながら距離を取ろうとするが、間合いに捉えた首無しがそれを許さない。
猛攻に次ぐ猛攻は、もはや嵐だ。少しでも掠ればそこから連撃に巻き込まれてミンチにされるだろう。
月子はその中を軽やかに渡り歩く。矛を交えるのは最小限。それ以外は鮮やかな体捌きで避け続ける。
だが相手も異形の者。魔力が続く限りは疲労という概念はない。
なら強引にでも崩す。
月子の使う『招雷』の魔術は雷を放出させるものだ。あれで駄目なら、今度は別のやり方で攻める。
月子は着地と同時に身体を引き、振るわれんとする大刀を正面から見据えた。全身に稲妻を纏い、髪が金色の火花と共に舞い上がる。
――ここ。
着地の隙を狩らんと降り始める首無し。今までならリーチ差と勢いで詰めることはできなかった。
そう、ただの身体強化では。
『疾風迅雷』。
金色が一筋の線となって駆け抜けた。それはまさしく雷光と化した月子自身である。己を雷そのものに見立て、一瞬だが高速機動を可能とする術式。
その速度はあらゆるものを置き去りにし、武者の攻撃に無理矢理割り込んで傷を刻んだ。血の代わりに傷ついた武者の身体が揺らぎ、薄靄のような魔力が溢れ出す。
しかし距離を取って雷を解いた月子は、額から汗を流し落胆と共に息を吐いた。
(まだ下手ね、使いこなせてるとは到底言えない)
本来なら心臓を貫くつもりで発動した『疾風迅雷』。しかし結果は敵の肉を切り裂く程度で終わった。
理由は分かっている。月子自身が深く踏み込むのを躊躇ったのだ。
速ければ速い程、失敗して衝突した時のダメージは大きい。無意識の内にセーブをかけてしまった。
前回フレイムとの戦いで手も足も出ず負けた月子は、そこから血反吐を吐くような訓練を続けた。
今度は負けない。二度と大切な人を傷つけさせたりはしない。
その思いでこの短期間に、いくつもの新しい魔術を習得した。それでも自分自身が納得できる仕上がりではなかった。
「‥‥ふぅ」
呼吸を整える。頭を切り替えて冷静を保て。
この程度の敵に苦戦していては、あの戦いの場に立つことさえ許されない。脳裏に過るのは地獄のような灼火。灰すら焼き焦がす炎熱の軍勢。
そしてそれをかき消す翡翠の閃光。
槍を握る手に力が籠る。視線が鋭さを増し、月子の体勢が一段低く下がった。
「第一、第二封印、解」
勝負を決める。
楔の一部から解き放たれた槍が歓喜に震え、穂先が二又に割れた。槍と月子の魔力が共鳴し、互いが互いを高め合う。今までなら相当な準備を踏んで初めて出来る解放だったが、一度戦いの中でそれを経験した月子は、既にこの状態を感覚で捉えていた。
首無しも月子の変化に気付いたのか、いきなり特攻してくるようなことはせず、間合いをはかるような動きを見せた。
構えは上段。何が来ても真っ向から叩き潰さんと言わんばかりの気迫が浴びせられる。
大刀に膨大な魔力が渦巻くのが分かった。
初めに打ってきた地割れの一撃。あれすらも凌駕する膨大な魔力量。
それに対し月子は槍だけでなく上半身全体に魔力を流して術式を発動する。
先手を取ったのは首無しだった。口が利ければ獣の如き咆哮を上げていただろう。それ程の戦意を迸らせて上段に構えた大刀を振り下ろす。
全てを喰らいつくす大気のうねり。まともに受ければ、それごと両断されるか手足の骨を砕かれるか。どちらにせよ敗北は必至。
故に月子は受けない。風圧を額に感じるその瞬間まで魔力を練り、首無しを見据える。
そして前髪から散る紫電が刃とぶつかった時、月子の魔術は発動した。
『疾風迅雷』。
腰を切り肩、腕、槍とが一体となって放たれる。まさしく光速と化した槍は颶風を掻い潜って武者の胸を貫いた。
傷口から血飛沫のように魔力が噴き出し、それすら焼き尽くさんと雷が暴れる。
やったことは単純だ。移動しながらの攻撃が難しいのなら、脚は地に根を張り、上半身だけに疾風迅雷を発動させて刺突の速度だけを上げる。
「ぐっ‥‥‼」
塵となって消えゆく首無しを見ながら、月子は苦悶の声を漏らした。何とか魔力を操作して金雷槍の封印を掛け直す。
(これ、想像以上に辛いわね。多用は避けないと)
疾風迅雷そのものの負担が大きい。更に上半身の加速を固定した下半身で支えなければならないので、身体がバラバラになるかと思う衝撃が走った。
何とか槍を下げ、地面に突き刺して杖代わりにする。
それでも勝った。
少し前までは一人で勝つのは難しかっただろう。確かな成長を実感しながら、ゆっくりと息を吐く。
不意に背後に気配を感じた。
「驚きました、あれを一人で祓ったんですね」
「是澤さん‥‥」
何とか背筋を伸ばして後ろを振り返ると、そこには是澤が一人きりで立っていた。
「新人の人たちは大丈夫ですか?」
「軋条さんと右藤くん以外は私が領域の外まで逃がしましたから、今頃下山している頃だと思います。二人は探したんですが、見つかりませんでした」
「そうですか‥‥」
あの状況下で是澤に全員を逃がせというのは無理難題だ。
月子から見ても実力の突出している二人が別行動というのは、最善ではないが最悪でもない。
「ではここからは二人の捜索と撤退を最優先に動くということでいいですか?」
「伊澄さんは大丈夫ですか、大分疲労が溜まっているようですけど」
「ありがとうございます。動けないほどじゃありません」
今はとにかく一刻も早くここから脱出すべきだ。
是澤も「そうですね」と呟き、徐にしゃがんで手を着いた。
「けれどその前にやらなきゃいけないことがあるみたいです」
なにを、そう問うよりも早く是澤の魔術が発動した。
「ろくろ
月子の足元が砕け、まるで蛇が鎌首をもたげるように何本もの黒い影が這い出る。その正体は人の腕よりも太い木の根だ。
根は瞬く間に月子の退路を断つように後ろで絡まり始める。
「っ⁉ いきなり何を」
「喋らないで」
驚く月子の腰を突然是澤が抱き込んだ。
「なっ!」
そのまま凄まじい勢いで跳躍。どうやら足元から木の根を出して持ち上げさせたらしく、二人はその場から一気に離脱する。
なぜ是澤がそんなことをしたのか。その理由はすぐに知れた。
着地して自分たちが元々いた場所を見れば、そこは木の根と枝が複雑に絡み合い壁を作っていた。
ただ問題なのはその壁ではない。
是澤が壁を作らなければならない相手が、その奥にいるのだ。
「――あれは」
姿は見えない。けれど存在は確かに感じられる。
魔力が不気味に蠢き、淀みが生まれるのが分かった。
首無しも恐ろしく濃密な魔力によって構成されていた。領域の維持も、その中で複数の怪異を生み出すのも、本来ならあり得ない所業だ。
それこそ長い年月で信仰や恐れを得た土地神級の力。
でも土地神ではない。そんな伝承はこの地域に残っていなかった。
勝手に社が怪異の本質なのだと判断していた。そこに近付かなければ大丈夫だろうと。
決して壊してはならない社。その社を写した白黒の写真が資料に載っているのを月子は今更ながらに思い出した。
今にも切れかけたぼろぼろの逆さしめ縄。
それは神域と俗世を区切る役目ではなく、内に荒神を閉じ込める牢獄だ。
もしも怪物を抑えていた社が既にその役目を終えていたとしたら。
既に状況は最悪の展開を迎えている。
月子は距離が離れている今の内に逃げようと後ろを振り返り、絶句した。
いつのまにか濃霧が二人の退路を断つように周囲を覆っていたのだ。先が見えないという得体の知れなさが、月子たちの動きを縛る。
そして後ろを向いていられたのもほんの一瞬だけだった。
無視できない気配の高まり。壁の向こう側でおどろおどろしい魔力が塊と集まっていく。
迷っている暇はなかった。
月子は金雷槍を回して逆手に持ち替え、魔力を回した。首無しと戦った直後で回復しきってないが、ここに全身全霊を注ぎ込む。
もはや山の一角ごと消し飛ばすつもりで月子は最強の魔術を発動しようとした。
「天穿――」
だが決断も行動も、全てが一歩遅かった。
壁よりも高く大きく黒い魔力が球体となる。まるで泥でできた風船のようなそれは、呆気なく限界を迎えて破裂した。
風船なら音が鳴るだろう。もしかしたら水が溢れ出すかもしれない。
その球体から零れ落ちたのは、怨嗟と悲痛に塗れた魂の慟哭だった。
数えるのも馬鹿馬鹿しい武者の群れ。いや、それはもはや武者と呼べる体を為していなかった。生を求めて彷徨う亡霊そのものだ。
「くっ!」
「なんっだ、これは!」
亡霊は壁を崩して氾濫し、月子と是澤を飲み込む波となった。
その一瞬で頭の中に亡者たちの悲鳴と怒号が響き渡り、思考がぐちゃぐちゃにかき乱される。
当然魔術を発動しきることはできず、月子は頭を押さえて歯を食いしばった。少しでも気を抜けば怨嗟の声に意識をもっていかれる。
亡霊の波涛は数秒とかからず過ぎ去った。気付けば亡霊は一体残らず霧の中に消え去り、あたりは静寂に包まれていた。
しかし全てが元に戻ったわけではない。
パンドラの匣と同じだ。たとえ飛び出したものが何であったとしても、それをなかったことにはできない。
ただ一つ違いがあるとすれば、最後に残ったものが希望とは限らないということか。
亡霊たちが溢れ出した黒い球体。
その中心には一枚の布が落ちていた。それはよく見れば、鮮やかな白地に牡丹の花があしらわれた着物だった。
あまりの場違いさに月子と是澤が言葉を失っていると、着物が一人でにふわりと浮かび上がる。
鬼がそこに立っていた。
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