第209話 漂白の座
◇ ◇ ◇
フィンの守護者、バイズ・オーネットはおおよそ将軍というイメージからはかけ離れた男であった。
普通に立っていても、誰も気に留めない気配のなさ。うねる黒髪と虚ろな目は、口さがない者から、浮浪者か魔物かと言われるほどだ。
身体も二メートル近い背丈に対して細く、骨張った体格で筋肉は不格好な付き方をしている。
世に大将軍として名を轟かせる者たちに比べれば、あまりに華がなく、覇気も感じられない。
バイズ自身、それを理解しているが故に、主張よりも沈黙を選び生きてきた。彼の生まれが平民だということも、理由の一つだったことは間違いない。
しかし女神はその代わりとばかりに、彼に類まれな才能を与えた。
魔術師と、将軍としての才だ。
言葉を重ねたところで、誰も彼の意見など聞いてはくれない。普通の戦果を立てたところで、まともな評価は得られない。
そんな彼がフィンの信用を得て、
『
炎の後に残る灰は、終わりの象徴。
既に終わっているから、それ以上破壊されることも、砕けることもない。
バイズは膨大な量の灰を操ることで、多種多様な攻防を実現する万能の魔術師なのである。
「あれが勇者、
それは戦闘が始まる直前だった。
灰で作り上げた竜に騎乗し、バイズは勇輔を見ていた。
勇者の素顔を実際に見たのは初めてだが、何とも青い。宿敵グレイブが鍛え上げたはずの男は、バイズの想像とは大きく異なっていた。あるいは勇者という先入観があったから、余計にそう見えたのかもしれない。
しかし軍を前にして微塵も揺るがない
そこには確かに歴戦の戦士としての風格が見え隠れしていた。
そして勇輔が魔術を発動する。サーノルド帝国にも知れ渡る白銀の鎧と朱のマントが、光を受けて輝いた。
その瞬間、バイズは一人息を呑んだ。
存在感が膨れ上がり、たった一人のはずの勇輔が、巨大な軍のような威圧を放ったのだ。
自分は今伝説を前にしているのだと、頭ではなく魂が理解した。
先手を取ったのは勇輔だった。
言霊を使うという情報は事前に得ていた。そして軍という多勢を相手にする以上、必ず使ってくると。
故にバイズは作戦通り兵士たちに防御術式を展開させ、自身も灰の
言霊は便利な魔術だが、言葉に魔力を乗せただけの、魔術ともいえない原始的な力技である。こんな正面から打たれたところで、対応はいくらでもできる。
直後、バイズは信じられない光景を見た。
「──!」
翡翠の雷撃と化した言霊が、防御を食い破って軍の奥深くまで貫いたのだ。
想定を遥かに超える威力。
今の一撃だけで、軍の後衛に陣を張っていた魔術師たちの多くが、膝を折った。悲鳴もなく、苦悶もなく。戦意という名の精神の柱を砕かれたのだ。
防御をして
「複合術式展開」
だがこの程度では
バイズの言葉はフィンの魔術によって全軍に速やかに届けられる。末端の兵士は削られたが、将さえ残っていれば問題はない。
将軍たちが残った部隊を編成し直し、術式を展開する。
巨大な立体魔法陣が上空で脈打ち、魔力を食って膨れ上がっていく。
本来魔法陣とは、事前に用意しておき、魔力を流すことで発動する。複数人の魔力を用いて術式を組み上げるこれは、空のキャンバスに複数の色で絵を描くが如き絶技。
放つは城壁を打ち破り、街を火の海に変える大規模破壊魔術。
「『
バイズの号令によって、魔法陣は精緻な形を失い、暴力の権化へと姿を変えた。
巨大な炎の槍が勇輔に向けて放たれた。
本来は軍や要塞に向けて撃ち込む魔術であり、個人に対して使われるような代物ではない。下手をすればフィンの維持している『
それでもバイズはこれを撃つことに躊躇いはなかった。
そこまでしなければ白銀には勝てないと、この数秒で理解した。
さらにそれだけに終わらない。おそらく白銀はこの魔術すらも対応するだろう。そこで生まれた隙に攻撃を畳み掛ける。
バイズの予想は半分当たっていて、半分外れた。
確かに勇輔はこの『
だが実際にそれを行ったのは別の人物だった。
「沁霊術式──解放」
まるで自分を見ろとばかりに、冷たくも芯の通った声が波紋となって広がる。
それはもう一人の伝説。嘘か真か、冥府より現世へ舞い戻った、生ける最古の魔術師。
『
「『
瑠璃が空を染め、世界は瞬きの間に夜と氷に支配された。
吐く息が白く、鎧に霜が降りる。
「つくづく、規格外な連中だ」
バイズはその光景を正面から見据え、小さく呟いた。
景色全てを焼き尽くすはずだった『
炎すらも凍てつく世界。
もしも彼女の『冥開』がこの軍全体を覆っていれば、その被害は計り知れなかっただろう。
しかしそうはならなかった。
寸前でバイズが灰の壁を作り、魔術の進行を食い止めたのだ。
やはり遠距離からの攻撃だけでは落とせない。相手は無尽蔵な魔力を持つ継戦能力の化け物だ。
一方、軍というものは最高の力を発揮できるタイミングがある。
それを意図的に作れる者こそが名将と呼ばれるが、同時にそれを見極める力も必要だった。
今軍の兵士たちは勇輔たちの桁違いの魔術を見て、萎縮している。たとえ訓練された兵士といえど、勇者という名は天の重さに等しい。
この空気は打破しなければならない。停滞に一矢を打ち込み、穿ち穴より流れを作る。
「フォーエン、カリスト、
バイズは合掌するように両手を合わせ、前線に立つ将軍に指示を出した。
「了解だ総大将」
「承知しました」
フォーエンとカリストが率いるは、騎竜軍。強靭な二足で大地を駆ける走竜に騎乗した騎士たちだ。
いくら魔力があろうと、白銀には自分を回復する術はない。ここに聖女メヴィアがいれば、話が変わるが、彼女は別の場所に旅立ったことを確認している。攻撃さえ通れば、それは確実にダメージとなって蓄積される。
「さあ、ここからが本番だ白銀」
バイズは両手を持ち上げた。それに合わせて魔力が地面を覆い、灰が舞い上がる。それは砂塵などという規模ではない。
白い津波だ。
「『
灰の奔流が、氷を圧砕しながら勇輔たちへと殺到した。
そしてその波の下に隠れるように、フォーエンとカリストの部隊が駆ける。
伝説の勇者と最強の軍が、灰の中で激突した。
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