第210話 十指乱舞

     ◇   ◇   ◇




 俺が剣を構え直した時、軍の方で新たな動きがあった。


 灰が爆発するように膨れ上がり、視界の全てを覆って押し寄せてくる。


 凄まじい魔術だけど、これで俺を殺せるとは思っていないだろう。耳を澄まし、聞こえてくる情報を取捨選択する。


 灰の流れる音に混じって、何かが地面を蹴る音が聞こえた。


 これは騎竜隊だな。灰の流れに乗って急襲しにきたってところか。数は二千程度。前線に出ていた左翼と右翼を動かしたな。


 俺は後ろに声をかけた。


「『シャーラ、ここからは俺が抑える。後ろだけ攻撃が行かないようにしてくれ』」

「そう、了解」

「『あと一つ』」


 言い忘れていたことがあった。身勝手だと、甘いと言われようと、これだけは明確に伝えておかなければならない。


 獣の腹の中で誓ったことは、今なおこの胸にある。


「『俺はこの戦いで誰も殺さない。だから』」

「分かった、私も殺さない」


 シャーラは最後まで聞くこともなく言った。


 フィンも言っていたが、これは戦争だ。どんな理由であり、同じ種であれ、これは命を懸けた戦いなのである。


 あちらは問答無用で俺たちの命を取りに来るだろう。


 だというのにシャーラはこともなげに言った。


「ユースケがそう決めたのなら、私はそれに従う。妻だから」


 いや妻ではないけどな。


「それに」


 シャーラは迫り来る灰の海を、あるいはその奥にいるものを見ながら言った。


「あなたは神ではないのだから、命を背負うなんて考え方は傲慢ごうまん。それでもと言うのであれば、選別すべき」


 彼女の言葉は厳しくも、優しさがあった。


「『‥‥そうか』」

「いざとなったら冥府に閉じ込めればいい。冥神様が面倒を見てくれる」


 いやそれは駄目だろ。神様に怒られるとか嫌だぞ。


 とにかく彼女がそう言ってくれてよかった。これで安心して戦える。


 シャーラたちから距離を取るために、俺は津波に向かって走り出す。


 圧倒的な個の質が物を言うアステリスにおいて、人族が存続することができたのは、軍としての質を高めてきたからだ。


 魔道具の発展、複合術式の発明もその副産物だ。


 『サイン』が率いる軍は、時に『魔将ロード』すらも下す。事実、セントライズ王国の第三騎士団は『創造の魔将イヴ・ロード』を討ち取っている。


 さて、たった一人でこのレベルの軍を相手に戦うのは初めてだな。


 将軍を叩くのが定石。兵士は上官の命令には絶対だ、逆に言えば上官がいなくなれば動きが止まる。


 考えている間に、灰の海が俺を飲み込んだ。視界の全てが白く染まり、強化した目でもまともに先が見通せなくなった。


「『‥‥』」


 そうだな、やり方は決めた。


 フィンはどういうわけか俺に対して酷く執着している。


 この神魔大戦を有利に進めるために勇者が目障りというのは分かるが、今の俺はアステリスから切れた存在だ。はっきり言って、わざわざリスクを取って俺と正面からぶつかる必要はない。


 これは経験という他ないが、勇者に熱狂的になる人間は一定数いる。時には狂信的とさえ言えるほどの執着だ。


 フィンの視線と言葉からは、それに似たものを感じた。


 だがそれだけじゃない。その中に、何かとてつもない違和感を感じる。


 その正体を今探っている時間はない。


 重要なのは、ここでフィンの妄執を打ち砕くことだ。徹底的に切り伏せ、二度と立ち上がれなくする。


 俺は立ち止まり、剣を構えた。


「ははは! 見つけたぞ勇者様‼」


 直後、正面から灰を突き破って騎竜にまたがった大柄な兵士が現れた。


 両手剣を振りかぶり、叫びながら一閃。竜の速度を落とさず、上段から振り下ろされる斬撃が頭をかち割らんとする。


 俺はそれを剣で弾き飛ばした。


「うぉぉお⁉」


 火花と衝撃が灰ごと剣を吹き飛ばし、兵士は後ろに跳んだ。


 こいつ強いな。少なくともそこらの一兵卒じゃない、将軍クラスだ。


 剣を肩に担ぎ、兵士は俺を見下ろした。


「やっぱ流石にこの程度じゃ獲れねえか。俺の名はフォーエン。この隊を任せられた者だ。そして同時に来ているのがカリスト」

「『名乗りを上げる余裕があるのか』」

「どんな状況であれ、かの勇者、白銀シロガネ様を相手するのに、名乗らないわけにはいかないだろうよ」

「『この戦いに名誉も何もあるまい』」

「手厳しいな」


 フォーエンは笑った。その背後には彼に付き従う兵士たちが灰に隠れている。


 彼らがどういった思いでこの場に立っているかは分からないが、国に帰れば待っている者が、家族が、愛する人がいるのだろう。


 悪いな、俺は今からお前たちを叩き潰す。その誇りも力も、何もかもを粉砕する。


「『なけなしの礼儀を払う誇りがあるのであれば、力を見せろ』」

「‥‥そうだな」


 そう言うと、カリストたちはまた灰の中に消えていった。


 どんな戦いであれ、兵士にそれを拒否する権利はない。


 フィンが俺と戦うことを決めた以上、彼らの道は一つなのだ。


 それを証明するように、騎兵たちが竜爪騎士団ドラグアーツの爪となって襲い掛かってきた。


 軍による突撃は、一発の攻撃ではない。


 複数の兵士が駆け抜けながら連続で攻撃を重ねてくるのだ。一点を狙い、その合間に脚や腕への奇襲を混ぜながら騎兵は走る。


 恐らく隊を百単位に分けて運用しているな。


 個人を相手にするのであれば、そちらの方が動かしやすい。大技でまとめて潰されるリスクも減る。


 複数隊による波状攻撃は一切の間隙を許さず、体力を削っていく。


 着ている鎧、武器の全てが高品質な魔道具。兵士の練度も十分。


 しかも周囲に漂っているこの白い灰。これは視界を遮るだけではなく、俺にまとわりついて動きを阻害し、逆に竜爪騎士団ドラグアーツの兵士たちを強化している。


 神魔大戦に参加していなかったとは思えない程、個人を殺す技が洗練されているな。


 襲い来る攻撃を全て弾きながら、俺は剣を何度も握り直した。


「『――』」


 右、左前、次は後方か。


 相手の動きが見なくても手に取るように分かった。そして攻撃を受ける。


 実を言えば、わざわざこんな灰の中で戦う必要はない。嵐剣ミカティアを使えば一時的にでも灰を弾き飛ばすことができる。


 こうして相手の策に飛び込んで戦っているのには理由があった。


 思考と動きにずれがあるのだ。


 自分でも不思議な感覚だ。軽くアクセルを踏んでいるはずなのに想定以上の速度が出る。


 ラルカン戦を経て、『我が真銘』が進化しているのは分かっていた。勇者として戦ってきた時とも違う、まだ俺の知らない段階へと。


 ようやく、それも慣れてきた。


 魔力と神経がつながり、思考を追い越して身体が動く感覚。


 いいな、そろそろこちらから動こうか。

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