第347話 新世界

 見上げると、首が痛くなる程に高い天井。端から端まで歩くだけで一分は超えそうな広い部屋。建材に使われる白亜の石は滑らかな輝きを見せ、覗き込めば顔が映り込みそうなほどだった。


 その部屋が何のためにあるものなのかは、最奥に設置された玉座を見れば、一目瞭然だった。


 玉座の間である。


 しかしそこは空席であった。できてから今まで、誰一人として座ったことがない。まるで何物をも拒むかのような、空恐ろしい圧までもはらんでいた。


 そこに一人の男が少女を連れて現れた。

 

 白いマントを羽織った男は、とうに盛りを過ぎた老人だった。顔に深く刻まれた皺は、苦悩に満ちた歴史を彫り込んだかのようだ。


 それでも背は凛と伸び、足取りは象にも負けぬほど確かだ。


 何よりも目の輝きがくたびれた老人のそれではない。かといって野心家のようなギラついた眼光かといえば、そういうわけでもない。


 嵐を照らす灯台か、あるいは砂漠の中で輝くオアシスか。ともすれば幻想にも見える光。


 男はその目で静かに空の玉座を見つめていた。


 そんな男の後ろをついて歩くのは、美しい少女だった。肩を撫でる金髪は冬の朝日を透かしたかのようで、瞳は鮮やかな紅玉。その顔立ちはただ綺麗なだけではない。


 創作の中からふらりと迷い込んだのかと疑ってしまうほどに、現実離れした雰囲気を纏っていた。


 男と少女はまっすぐ歩いていくと、階段を上り、玉座へと至った。


 男は余計な装飾は不要とばかりの手すりを撫でると、小さくため息をいた。


「これは誰のためのものだ。 ‥‥まさか、儂か?」

「それ以外にないでしょ。そもそも、あなたが作ったんじゃないの?」

「昔からこういうものは好かん。わざわざ作らんよ」

「だったら必要だと判断されたんでしょ。誰がかは知らないけどね」


 少女がそう言うと、男はため息を吐いた。


「それよりも私の席はないのかしら。流石に膝に乗るというのは勘弁してほしいんだけど」

「儂も婆さんを膝に乗せるのは御免被る」

「次婆さんと呼んだら殺すわよ」

「おー、怖いのお」


 肩をすくめた男は、そのまま玉座の隣の何もない場所に手を向けた。そしてくい、と指を上にあげた。


 次の瞬間、光のキューブが現れ、パズルのように組み合わさり始めた。数秒と経たず、そこには玉座よりも一回り小さい椅子が現れた。


「クッションも欲しいわ。あなたの枯れ木みたいなお尻と違って、私のはマシュマロより柔らかいの」

「柔らかいなら、いらないんじゃないかい」


 そう言いながらも男はさらに指を振るい、椅子の上にいくつものクッションを出した。趣味が合わなければまた文句を言われるのは目に見えている。数打てば当たるだろうという作戦だ。


 溢ればかりのクッションに気を良くしたのか、少女は鼻を鳴らすと、椅子にぼふん、と乗った。

それを見届け、男は仕方ないと腹をくくり、玉座に腰を下ろした。


 これまで誰一人として受け入れることのなかったそこに男が座った瞬間、この部屋は完成を見た。


 ただ座っただけで、この場所は本来あるべき姿へと至ったのだ。


 そしてその時を見計らったように、何人もの人間が現れた。


 彼らは膝を着いたまま、顔を下に向けている。


 その中の一人、騎士の甲冑を身に付けたヴィンセント・ルガーが顔を上げずに言った。


「――主君、我ら導書グリモワール、帰還をお待ちしておりました」


 主君と呼ばれた男は、一人一人を順番に見ると、口を開いた。


「そうかしこまらないでくれ。随分待たせてしまって、すまなかったな」


「そのようなことはありませぬ。主君のたっと御業みわざに助力すらできぬ我が身の至らなさを恥じ入るばかりでございます」


「そのようなことはあるまい。その者にはその者の役割があるという、ただそれだけの話だ。ルガー、お主は『鍵』を確保してくれたそうだな。まさしく素晴らしい働きだ」


「‥‥もったいなきお言葉にございます」


 兜の奥から、感極まった声が響く。


みなもそれぞれ苦労をかけた」


 その言葉に、膝を着いた導書グリモワールたちが身体を震わせる。


 長くこの時を待った。


 新世界トライオーダーはこの男のためのものだ。この男がいるからこそ存在する組織だ。


 長くその座を不在にしていようとも、その事実は変わらない。


 彼らがここにいる理由は、玉座に座る男そのものだった。


「さて、いろいろと予定外のことはあったようだが、我らのすべきことは変わらない」


 男はそう言うと、言葉を区切った。


 そしてゆっくりとある事実を告げる。




「『昊橋カケハシ』が、完成した」




 直後、導書グリモワールのほとんどが思わず顔を上げた。


 代表してルガーが口を開く。


「ついに、ついにこの時がきたのですね」


「ああ。儂一人の力では決して成し得なかっただろう」


 そこまでを言い、男は遠くを見るように目を細めた。


つづりにはねぎらいの言葉もかけてやれなんだ。彼女がいなければ、この日は訪れなかった」


 榊綴はある仕事のために山本勇輔たちに戦いを挑み、その役目を全うした。そしてエリス・フィルン・セントライズの手によって帰らぬ人となったのである。


 ルガーは散っていった仲間を思い、頷いた。


「そうおっしゃっていただけるだけで、さかきむくわれましょう」


 男は黙祷を捧げるように、少しの間目を閉じた。そして次に目を開いた時、その瞳は彼方を見ていた。


 どこを見ているのか、ルガーたちには分からない。


 きっと彼にしか見えていないものがあろうのだろう。それを知る必要はない。全てが終われば、いずれ現実として目の当たりにするのだから。


 男──これまで伊澄天涯いすみてんがいとして生きてきた彼は、新世界トライオーダーの主として導書グリモワールたちを見下ろした。


「今一度聞こう、我が親愛なる同胞たちよ。長きに渡る計画はついに終焉へと至る。これが為されれば、我らは生涯、死後、忘却の果てまで大罪人としてそしりを受けることになろう。君たちの義理堅さには感嘆する他ない。もはや受け取るに忍びないほどの忠義だ。故に、これより君たちは自由の身だ。この場を離れるも良い。悪逆のじじいを刃を持ってとがめるも良い。誰一人として、その選択を否定することはない」


 天涯は滔々とうとうと言った。


 それは主君が部下に告げる命令でも、人々を煽り立てる演説でもなかった。父が子に伝えるような、優しくも重い言葉だ。


「しかし、それでもなお儂と共に命を賭け、嵐の航海に出てくれるというのであれば、これに勝る幸福はない。たとえどれだけの人間が君たちを罵り、石を投げようとも、儂だけは君たちの揺るぎなき信念と誇りをたたえよう。そして、この老いぼれもまた、全身全霊をもってその覚悟に応えたいと思う」


 導書グリモワールたちは何も言わずに聞いていた。きっとこうなるであろうことを、誰もが予感していた。既に、答えは決まっている。


みな、目を閉じてくれ。選択の時だ」


 数秒。


 全ての音と動きが止まった。部屋は不思議な緊張感に満ちていた。


 嫌なものではない。ただ決まりきった未来が訪れることに対する、高揚感に近い。


 誰ともなく目を開け、そして、先ほどまでとなんら変わらない光景を見た。


 一人として離れるものはいなかった。


 天涯は小さく息を吐く。それに気付いたものは、隣に座る少女だけだった。


「皆の忠義に惜しみない感謝を送ろう」


 天涯は立ち上がり、両手を広げた。


「さぁ――」


 これから訪れる未来に祝福を祈り、告げる。




「始めよう、新たな創世記を」




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




お久しぶりです。秋道通です。

長い事お待たせしましたこと、誠に申し訳ございません。

最終章『再臨願さいりんねが両極星りょうきょくせい

始まります。


最後までお付き合いいただければ幸いです。

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