第348話 まさかまさかって、フラグでしょ

     ◇   ◇   ◇




 白とネイビーで統一されたモダンな部屋で、一人の男がローテーブルに突っ伏していた。


 テレビでは何度見たか分からない映像が、胡散臭いコメンテーターの解説と共に流れている。


『ですから、今回の一件はただの集団催眠などではなく、正真正銘の超常現象と言えるでしょう』

『魔法や超能力のような? おとぎ話ではありませんか』

『いえ、今回の事件はそのような古めかしいフィクションではありません。人類が作り上げてきたインターネットという、もう一つの世界が境界を失おうとしているのです』


 少し前であれば深夜のラジオか、ハロウィンの特番で流れてきそうな言葉を、堅苦しいスーツを着た大人たちが真剣に発している。


 出来の悪いSFかホラー映画のような、現実味のなさ。


 しかし今はそれを笑う気にはなれなかった。


「またそれ流してるのか」


 キッチンの方から、そう声を掛ける男が現れた。赤い髪はいつもと違い下ろされており、スウェット姿なのも相まって、オフなことが一目で分かる。


 金剛総司こんごうそうじは、手に持っていたブラックコーヒーのカップを二つ、机に置いた。


「どこも似たような内容ばっかりだよ。それとも録画を編集でつなげまくった旅番組でも見る?」

「テレビ局も被害大きかったみたいだし、そりゃ録画ばっかりにもなるだろ」

「こんなの見続けるよりは、多少マシかもね」


 机に突っ伏していた松田宗徳まつだむねのりは、そう言ってリモコンを操作すると、動画配信サービスの方につなげた。そして適当に目についたアニメを流す。


 可愛らしいアニメ声がキャピキャピと部屋に響いた。


「あれ、砂糖とミルクはないの? 今は甘々のカフェオレが飲みたい気分なんだけど」

「欲しけりゃ自分で持って来い。お前は俺の彼女かよ」

「彼女なら持ってきてあげるんだ。総司ってオラオラ系の癖に、わりと尽くし系だよね。ダメ女製造機だよ」

「お前は人んまで喧嘩売りに来たのか?」


 拳を鳴らす総司を見て、松田は「まさか」と肩をすくめた。


 こんなゴリラと人間の境目を生きる男と喧嘩なんて冗談ではない。ドMだからといって喧嘩でボコボコにされるのが好きなわけではないのだ。


 キッチンに行く松田を見ながら、総司はため息を吐くと、後ろのソファに座った。


 ここは総司が一人暮らしをしている家である。とある事件のため、大学は二度目の休校となり、暇を持て余した松田がこうして乗り込んできたのだ。


 その事件というのが、今からひと月ほど前の十一月二十七日に起きた、世界的にも話題になっている集団昏倒事件。


 誰が言い出したのか、今は『東京クライシス』という名前が定着し、メディアやSNSでこの言葉を見ない日はない。


 何せ東京都都心が、原因不明の現象により隔絶され、外部との連絡が一切取れなくなったのだ。


 しかもそれが終わったかと思えば、閉じ込められていた人の一部、二千人近い被災者が仮死状態に陥っており、今なお目覚めていない。


 現代史でも類を見ない大災害である。


 規模だけを見れば地震や感染症などで、より大きな災害は数多くある。


 しかしこの『東京クライシス』はそのどれとも違う特徴を持っていた。


 被災者のほとんどが、口をそろえて言うのである。


 「モンスターに襲われた」と。


 ゴブリンやオークといった有名な怪物から、更にはバスよりも巨大な犬、ビルに巻き付く蛇など、創作の中でしか聞かないような言葉であふれかえったのである。


 それだけでも荒唐無稽な話だが、多くの人が同時に、モンスターと戦う人間を見ていた。


 漫画やゲームにでも出てくるような、超常の力を持った人間が、モンスターと戦い、助けてくれたと。


 あり得ない話だ。中学生の妄想の方が、まだリアリティがある。


 だが、あり得ないことが実際に起きているのだ。


 世界は今、虚構と現実の狭間で揺れていた。


 映像でもあれば、話は決定的なものになっただろう。しかしこれも不思議なことに、『東京クライシス』は仮死状態の人が出た以外に、一切の影響がなかった。


 建物は無事だし、服装品にも傷一つない。つまるところ、撮っていたはずの映像も音声も、何もかもがきれいさっぱり消えていたのだ。


 『東京クライシス』が集団幻覚とも呼ばれる所以ゆえんだった。


 松田と総司は被災しておらず、幸いにも身近に巻き込まれた人もいなかった。


 ただ一部の懸念けねんを除いて。


「‥‥勇輔たち、元気かな」


 再びカーペットの上に座った松田が、カフェオレをスプーンでぐるぐる回しながらつぶやいた。


「‥‥連絡も来たし、元気にはやってんだろ」


 少し時間をかけて、総司は答えた。


 二人の級友、山本勇輔は二か月以上前の文化祭以降、姿を見せていなかった。しかも勇輔だけではない。リーシャやカナミ、伊澄月子も同時期にいなくなっている。


「もうしばらく顔見てないよね」

「会えない場所にいるか、なんか事情があるんだろ」

「伊澄さんも、陽向ちゃんも?」

「伊澄は勇輔と一緒にいるだろ。陽向は‥‥分からねーけど」


 総司はそう言いながら、コーヒーを喉に流し込んだ。そうしなければ、嫌な予感ばかり口にしてしまいそうだった。


 陽向紫ひなたゆかりは二人の後輩にあたり、文化祭の後も普通に学校に来ていた。それが突然家庭の事情で学校を休むことになり、勇輔たちと同じく会えない状態が続いている。


 テレビのコメンテーターたちのように、なんでもかんでも陰謀論やオカルトにこじつけたくはないが、ここまで重なると、偶然の一言で片づけるのは無理があった。


「僕たちには相談できないことなのかな」

「さあな。放置プレイは大好物じゃなかったのか」

「性癖と友人は別でしょ」

「それはそうだ」


 総司は肩をすくめた。松田がこんなに大人しく常識を語っている、あるいはかたっている姿を見たら、勇輔は笑いで呼吸困難になるだろう。


 アニメの中で戦うキャラをぼんやりと眺めながら、松田は言った。


「僕はさー、こう見えてオタクじゃん」

「どういう見方をしてもオタクだろ」

「だから、ずっと思ってたわけ」


 松田は総司の辛辣なコメントを無視して続けた。


 回し続けるカップの中身は、白と黒が入り混じってミルクチョコレートのような色合いになっていた。


「いずれこんな風にアニメやゲームみたいな世界が現実になってほしいって」

「そうだなー。男なら誰でも思ったことあるんじゃねーの」

「異世界転生とかね。流行った時は見まくった覚えがあるもの」


 きっと、みんなそんなものだ。


 苦しくない現実なんてなくて、ここではないどこかへ行ってしまいたいと、心のどこかで思っている。


「でもさ、実際なってみたらこんなに大変だったとは思わなかったよ。痛快無比のアクションファンタジーかと思ったら、ホラーの死にゲーだった気分だよ」

「現実は甘くないってことだな」

「やっぱり苦いより甘い方がいいね。そんなもの飲む奴はドMだよ」


 そう言いながらカフェオレを飲んでにんまりする松田を見て、総司は横腹に蹴りを入れた。「おふん」と気持ちの悪い声を上げて倒れる松田。


 いつもならここで勇輔がツッコミを入れ、月子が冷たい視線を向け、陽向は笑っていただろう。


 きっともう少しすれば、そんな日々が帰ってくる。


 総司にはそう思う他なかった。


「そういえばさ」

「なんだよ」


 ふと思い出したように、倒れたままの松田が顔を総司の方に向けた。動きが妖怪じみていて気持ち悪い。


「今日って二十日だよね」

「ああ、そうだけど。それがどうかしたのか?」

「そろそろクリスマスじゃん!」


 確かにあと四日でクリスマスイブ、その翌日はクリスマスだ。


 世間にはびこる陰鬱な空気の中でどこまで盛り上がるかは分からないが、ビッグイベントであることには変わりない。


 しかしそれは家庭を持っていたり、パートナーがいたりする人間にとっての話だ。


「一緒に過ごす相手でもいるのか?」

「僕を舐めちゃいけないよ。その気になればクリスマスを過ごす相手なんてり取り見取りさ」

「はーん、そんなクリスマスでテンション上がるタイプだとは思わなかったな」


 松田の交友関係は大学の七不思議に数えられてもおかしくないほどに謎なので、今更それを不思議には思わない。


 だが松田と言えば、年がら年中、クリスマスと正月とハロウィンを足して二をかけたようなテンションをしているので、クリスマスで盛り上がるまっとうな感覚があったことに驚きだった。


 松田はちっちっちと指を横に振る。勇輔がいれば、とりあえず逆方向に折り曲げんとしていたことだろう。


「僕のクリスマスは別にいいのさ。楽しくなるのはサンタが赤い服を着るくらい当然のことだからね」

「その似非えせアメリカンな喋り方やめろよ」

「それよりもだ! 問題は勇輔だよ!」


 松田は心底楽しそうに言った。


「あいつのクリスマスがなんだ‥‥ああ、そういう」


 総司も言いながら、松田が何を言いたいのか理解した。


「今や勇輔の周りにはリーシャちゃん、カナミさんだけじゃなくて、伊澄さんもいるのは確定でしょう。あとは声だけだけど、謎の美女。それに陽向ちゃんがいてもおかしくはない」

「声だけで美女判定なのか。それに、陽向は分からねーだろ」

「いいやいるね。僕の勘がそう言ってる。昔からよく当たるんだ」

「‥‥」


 否定しようとして、総司もなんとなくそうなんじゃないかと思っていたことに自分で気付いた。


 実際、その予想は当たっていた。


「リーシャちゃんたちにとっては初めてのクリスマス。伊澄さんにとっては二度目かな。一体どんな修羅場になるのか‥‥ああ、できれば直接見たかったなあ」


「別に修羅場にはならねーだろ。敵対してるわけじゃあるまいし」


「総司は分かってないなあ。女の子は好きな男が絡んだ瞬間、まったく別の生き物になるんだよ。それはリーシャちゃんたちも例外じゃないさ」


「リーシャたちが勇輔を好きって決まったわけじゃないだろ」


 少なくとも間違いないのは陽向、それに月子も話した感じ、まだ未練がありそうだった。


「リーシャちゃんとか、まだ恋愛がなんなのか分かってなさそうだったもんねー。でも、だからこそどうなるか見たくない?」


 それは確かに、見たくないといえば嘘になる。


 とりあえずどう転んでも、勇輔に安息のクリスマスはなさそうだ。


「ま、戻ってきたらそれをさかなに一杯やるか」

俄然がぜん楽しみになってきたね!」

「どうするよ、別の女が出てきてたら」

「この期に及んでそんなことになっていたら、流石の僕も怒るね。仏の松田にだって許せないことくらいあるさ」

「変態以外に二つ名あったんだな」


 まあ、自分で言っておいてなんだが、それはないだろうと総司も頷いた。


 まさかまさかのそのまさか。 


 分厚い冬の雲をも切り裂く深紅の雷霆らいていが落ちてきたことなど露知らず、二人は笑い続けた。

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