第349話 これまでのあらすじ

    ◇   ◇   ◇




 時は少々さかのぼる。


 『東京クライシス』の影響は多くの場所でひずみを生んでいた。事件直後、人々の多くは外に出ることをはばかり、町は我が物顔で吹きすさぶ北風ばかり。


 それも致し方ないだろう。


 何せ原因が分からない。


 もう一度起こるかもしれない。


 政府の対策も曖昧で、誰の目にも有効でないのは明らかだった。しかしそれを責めることもできない。誰もそんな都合の良い対策など、思い浮かばないのだから。


 初めの頃は張り裂けそうな緊迫感に満ちていたが、一週間も何もなければ、その空気も弛緩しかんする。


 だが、大手を振って外を歩くほどの解放感もなく、十二月の寒さが馴染なじむころ、人々は社会を回すため、ゆっくりとこれまで通りの生活へ戻り始めていた。


 人が動けば経済活動も再開される。そうした店の中に、とあるカフェがあった。新宿御苑の近くにある店で、対魔官をはじめとした魔術師たちが懇意こんいにしている店である。


 今回の『東京クライシス』は一般人には理解不能な現象だが、魔術に関わる者たちからすれば、霊災れいさいであることは一目瞭然いちもくりょうぜんだった。


 当然多くの魔術師たちが情報を求め、この店につどう。


 そんな店の奥に個室があることを多くの人は知らない。対魔官の上層部や、魔術の名家などが使用する、特別な部屋だ。


 その部屋では今、二人の男女が向かい合って座っていた。


 黒髪の青年は三白眼さんぱくがんを険しく細め、妙に着慣れたネイビーのスーツを、指でせわしなく触り続けている。


 彼の名は山本勇輔やまもとゆうすけ。先の『東京クライシス』において、出現するモンスターの多くを斬り倒し、首謀者を追い詰めた功労者だ。


 さらに言えば、過去に異世界で魔王を倒した正真正銘の勇者でもある。


 そんな百戦錬磨の元勇者は、今にも逃げ出すのではないかというほどに、震えていた。手汗でスーツは濡れ、気を抜けば歯が音を鳴らしそうになる。


 鬼や竜を前にしても、これ程の動揺はないだろう。


 そんな勇輔の前に座るのは、そんな悪鬼羅刹あっきらせつとは正反対の、美しい女性だった。


 篝火かがりびのような温かで、鮮やかな緋色の髪。瞳はエメラルドをはめ込んだかのように、神秘な輝きを放っている。


 彼女はエリス・フィルン・セントライズ。


 名前の通り日本人ではなく、どころか地球人ですらない。過去に勇輔が召喚された異世界『アステリス』にあるセントライズ王国の王女だ。


 そして勇輔と共に、魔王を倒す旅をした一人でもある。


 彼女は明らかに挙動不審な勇輔とは対照的に、徹底して無表情だった。


 二人はとある事情から一度決別し、世界を隔てて別れることとなった。


 二度と会うことはないという、覚悟と諦めの離別。


 そんな二人がどんな運命のいたずらか、あるいは奇跡か。こうして再び出会えたのは、『東京クライシス』の最中さなかだった。


 その時は状況故に、長く話すことはできず、すぐに離れることになった。


 というより、エリスがその場から立ち去り、勇輔もそれを追うことができなかった。


 それからなんやかんや、カナミや加賀見綾香の協力などもあり、ついにこの場が実現されることとなったのである。

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