第60話 自分のすべきこと

 全身に鈍い痛みが走り、身体が宙を浮くのが分かった。もはや自分がどちらを向いているのかも分からず、嵐に弄ばれる枯葉のように様々な方向へ吹き飛ばされた。


 しかし、イリアルはおかしなことに気付いた。


(死んで‥‥いない‥‥?)


 あの魔弾の雨は直撃すれば即死だ。命どころか肉片の一つも残らず消失するはずだ。


 だがイリアルはまだ死んでおらず、しかも意識も残っている。


 指先一本すら碌に動かない状態だが、瞼を持ち上げれば薄っすら夜の景色が見えた。


「な‥‥ぜ‥‥」

「裏切者には死を、と私も思っていました」


 コツコツとイリアルの視界にカナミの黒い靴が入り込んだ。


 何とか首と目線を動かせば、膝をついた少女の顔が見える。こうして間近で見てイリアルは初めて気づいたが、自分よりも年下だ。下手をすればユネアと同じ頃だろう。


 彼女は戦いの直後にも関わらず落ち着いた、どこか優し気な顔をしていた。


「しかしそう思わない方もいたのですわ。救える者には救いの手を、道を違えた者にはやり直すチャンスを。そのためには腕を掴んででも正しい道に引き戻さなければならないと」

「‥‥私は、何度でも同じ選択をするわ」


 イリアルは喉の奥から絞り出すように声を出した。


 それはイリアルの中に唯一残った矜持、いや意地と言ってもよかった。


 妹のためならば世界も敵に回す。それだけは噓を吐けない。ユネアが魔族に捕らえられている限り、イリアルは戦い続ける。


 あるいは妹を助けるためにカナミに助力を請う選択肢もあっただろうが、それは不可能だった。何故なら、イリアルの身体にも魔族の分体が潜り込まされているのだ。全ての言動を監視するために。


 そんな強がりにしか聞こえない言葉を聞いて、カナミはため息をついた。


「全く、強情ですこと。まあ、そういう信念が一本ある方が分かりやすくていいのかもしれませんわね」


 何が言いたいのだとイリアルが思案する中、カナミは徐に隣に置いてあったアルファニールを持ち

上げた。そして銃口を空に向けるようにして立てる。


 カナミが勇輔に頼まれたのはイリアルを抑えることと、実はもう一つあった。


「私の目は特別製で、魔力の流れや遠い場所の光景も見ることができるのですわ。」

「‥‥」

「つまり私はここにいながら魔族のことも見ていましたのよ。同時に、そこから伸びる魔力の繋がりも」

「まさ‥‥か」


 何かに気付いたようにイリアルが目を見開いた。


 カナミが口にしたのはつまり、セナイと魔力的な繋がりがあるものは、それを辿って見付けることができるということだ。


 当然全ての分体はセナイと魔力によって繋がっている。どれだけ自立行動が可能であっても、その繋がりを切ることは不可能。これまでは辿っている途中で線を切られてしまったが、今回は本体そのものが千里眼の範囲内にいる。

 

 そして全ての分体を見付けるだけの時間を、勇輔は繋いでくれた。


 ならばすべきことはたった一つ。


「私は私の仕事を完遂させましょう」


 アルファニールに魔力を込める。しかし先ほどのように火力重視ではない。中の機構を弄りながら術式を組み替える。


 長距離射撃、追跡弾道、射撃対象選択、加速、加速、加速。それらを組み込みながら、これまで見てきた全ての対象に確実に届ける。『シャイカの眼』が全力で稼働し、対象を一人残らずロックする。


 アルファニールに込められた魔力だけでは足らず、己の持つ全ての魔力を込める。正直、今にも倒れそうになるほど辛い。それでもカナミは倒れない。勇輔にできると豪語したのだ、憧れの人に無様を見せるわけにはいかない。




 気張れ、女を見せろ、何のために数年間血反吐を吐く訓練を続けてきたのか。




 あの人と、あの英雄たちと肩を並べて戦うためだろう。




「ッ――『オルファードレイン』‼」




 瞬間、アルファニールから無数の魔弾が放たれた。


 弾丸は遥か上空へと撃ち上がると、そこで爆ぜるように四方へと別れる。


 それはまるで花火のようでありながら、天高く枝を伸ばす大樹のようでもあった。


 何百と別れた弾丸は流れ星となって夜空を切り裂き、それぞれの標的に向けて飛翔する。恐らく魔族の魔術にも限界距離があったのだろう、幸いにも分体は数こそ多くとも分布範囲は決して広くない。


 つまりカナミの魔弾であれば数秒とかからず全ての対象を撃ち抜くことができる。


 その内の一発が倒れるイリアルへと落ちてきた。


 トンッ‼ と軽い衝撃が胸を貫き、体内に巣くっていた悪しきものが消えていくのが分かった。


 イリアルの分体が消えたということは、本来ならユネアに寄生している分体が暴れるはずだ。


 それを見透かしたように、魔弾を撃ち切ったカナミが言った。


「安心していいのですわ。今回の魔弾は速度重視、貴方に魔弾が当たったタイミングでほとんど全ての対象に当たっているはずですわ」


「っ‥‥」


 イリアルは言葉を出せず、下唇を噛んだ。


 つまりユネアの寄生体も同時に撃ち抜かれたということだ。自分がやろうと思っても決してできなかったこと、それを目の前の少女はイリアルと戦いながら準備し、やり遂げたのだ。


 今まで命を懸けて戦っていたと思っていた相手が、自分よりも遥か先にいたという事実に、嬉しさと悔しさとがないまぜになって感謝の言葉が上手く出てこない。


 その事実が矮小な自分の器を思い知らせてくるようで、イリアルは奥歯を噛み締めた。


 それでも何とかイリアルは言葉を紡いだ。


「礼を‥‥言いますカナミ・レントーア・シス・ファドル。‥‥けれど、奴を倒さない限りは終わらない。そして、あの魔族は‥‥不死です」

「不死?」

「‥‥奴はあらゆる傷を一瞬で再生する。攻撃すればした分だけ強くなっていく‥‥化け物」


 イリアルは初めてセナイの魔族と戦った時のことを思い出した。その時の奴は非力な少年の姿をしていて、まるで魔族とは思えなかった。


 しかし戦い始めてその認識は誤りだったことに気付く。殺しても殺しても一瞬で再生する異常な魔術、しかも戦いの最中で身体は成長し続け、その内イリアルの魔術すら通らなくなってしまった。


 あれが生きている限り、また同じことが繰り返される。


「いくらあの銀の騎士が強くても‥‥奴には、勝てない」


 それがイリアルの見立てだった。確かにあの銀の騎士は強かったが、あの魔族は単純な強さで測れる次元ではない。


 だから今すぐカナミは『鍵』を保護しに行くべきだ。


 しかしその思いはまるで伝わらず、カナミはその場で腰を下ろした。


「何をして‥‥!」

「貴方の言いたいことは分かりました」


 カナミはひらひらと手を振りながら答えた。イリアルの懸念ももっともだろう、何せ直接戦っての判断なのだから。


 だがそういう話であればカナミも知っているのだ。


「大丈夫ですわ。あの方が戦うと言った以上負けはありませんもの」

「何を、根拠にっ」


 根拠、そう言われたところでカナミは答えに窮した。勇者だという事実はおいそれと口にしてよいものではなく、かといってそれを伏せると話せることはほとんどない。


 しいて言うのであれば、 




「私はあの方よりも強い者を知らない‥‥と言えば答えになるでしょうか」



 そう聞いたイリアルの顔は何とも言えないものだった。


 けれど既にカナミは大きく息を吐いて力を抜いていた。これ以上論を交わすつもりはない。ここでそんなことをしても無意味だ。


 すべきことは終わらせた。正直、もう魔力も空っぽで立っていることも難しい程に疲労が重い。


 本来なら魔力がなくとも加勢すべきかもしれない、ただそうする必要をカナミはあまり感じていなかった。


 リーシャのところにはあの人がいる。それだけで十分だった。

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