第358話 逃亡者と眠り姫

     ◇   ◇   ◇




 陽向に呼ばれた俺たちは玄関へと向かった。


 突然、勇者はいるかと我が家を訪問してきたのは、革の上着にフードを目深まぶかに被った男だった。


 一目見て分かった。


 アステリスの人族だ。


 地球の人間とは魔力の質が違う。しかし妙なのは、魔力操作が戦士のそれではない。おそらく、ほとんど体外に魔力を放出しないようにしているんだろう。俺が感じ取れるのは、身体強化のために体内で流れている魔力だけだ。


 ここまで魔力を内側に留めている魔術師は珍しい。体外に魔力をまとっていれば、それが不可視の鎧、あるいは目となるのだ。不意の攻撃を防いだり避けたりするために、多くの魔術師は魔力を纏っている。


 しかしこの男は真逆だ。まるで自分の存在を消すかのように、魔力を体内に抑え込んでいる。


 珍しいタイプだ。こういった魔術師は厄介な連中が多い。


 俺が出会ってきた者たちは、みんな暗殺者だった。


 まあ素性がどうあれ、守護者だろうな。


「あなたが、勇者白銀か?」


 フードの下から見せた顔は、乱雑に切られた髪や無精髭のせいで分かりづらいが、想像以上に幼かった。リーシャと同じか、下手をすればそれよりも下だろう。


「昔、そう呼ばれていた時もあった。今はただの一般人だよ」

「俺はネスト・アンガイズ。──ようやく、会うことができた」


 ネストと名乗った少年は、そう言うと背負っていた箱を下ろした。武器をしまうにはあまりに大きい箱だ。この家の玄関は相当大きく造られているが、それにしてもぎりぎりだ。


 しかし驚くべきは、その大きさではなかった。ネストがその箱を開けた時、俺たちは言葉を失った。


 中は寝具のような柔らかいクッションが敷かれ、その上に、一人の少女が眠っていた。


 彼女が誰かなど、すぐに知れた。


 蓋を開けたネストはそのまま膝を着き、頭を床に叩きつけた。


「彼女は『鍵』であるベルティナだ。‥‥俺は魔族から彼女を守ることもできず、敵の魔術師からも尻尾を巻いて逃げた臆病者だ」


 驚く俺たちに向け、ネストは言葉を続けた。


「俺は、俺は‥‥あろうことか、聖女様を、メヴィア様を見捨て‥‥ここまで、逃げてきた」

「──メヴィア、メヴィアと会ったのか?」


 聖女メヴィア。俺たちと魔王を倒す旅をした四英雄の一人だ。リーシャと同じ聖女であり、その魔術で多くの命を救ってきた。


 地球でも、ラルカンとの戦いの時にカナミを助けてくれたことは聞いていた。確かにその時、別の『鍵』を保護しに行くと言っていたらしい。


 それがネストたちなんだろう。


 ネストは頭を擦り付けたまま答えた。


「俺たちは、共にこの国に来て、そこで、敵に襲われた。俺の力では手も足も出ず、メヴィア様に逃されたんだ。勇者を頼れと。そうして、あなたを探してここまで歩き続けてきた」


 悲痛な彼の声には、深い悔恨があった。


 守護者たる人間が、『鍵』であるメヴィアを置いて逃げた。それは存在理由の全否定だ。


 そこまでして、ここに来た。


「頼みます。ベルティナを助けて欲しい‥‥! もう、脈がどんどん弱く――」

「分かった」


 俺がさえぎるように答えると、ネストがバッと顔を上げた。


 何を驚いた顔をしているんだよ。


 誰だってそう答えるだろ。


「とりあえず、中に入ってくれ。ここじゃ話し辛いし、彼女を救いたいなら、こんなところで時間を使っている暇はないぞ」


 大体、俺じゃ彼女を助けることはできない。戦い以外は専門外だ。しかもあのメヴィアが俺を頼れと言ったんだ。まともな怪我や病気じゃないんだろう。


「‥‥恩に切る‥‥!」


 俺はネストの言葉に頷いた。


 これでいいんだろ、メヴィア。


 少しだけ、待っててくれ。




    ◇   ◇   ◇




 俺たちはテーブルをどかし、そこにベルティナさんが眠る箱を置いた。


 ベルティナさんは、赤の入り混じった金髪に包まれた、そばかすが可愛らしい少女だった。


 『鍵』ってことは、彼女も聖女か、その資質を持っているんだろう。


 風呂に叩き込んだネストの話を聞くに、ベルティナさんは魔族の呪いを受けて昏睡状態になっているらしい。


 メヴィアが見ても、魂に巣食う呪いは自分ではどうにもならないと言われたそうだ。


 俺も寄生体やら幽体なんかは斬ったことがあるが、呪いとなると完全に門外漢だ。


 格好良くネストに宣言したのはいいが、ここは素直に専門家に聞いた方がいい。


「リーシャ、何か分かるか?」


 メヴィアいわく、この呪いを治せる『鍵』の資質を持つ者たちらしい。となればリーシャもその一人なのだが、


「‥‥申し訳ありません。私にはどうすることもできません」

「まあ、そうだよなぁ。分野違いっぽいし。教会で解呪の魔術とか教わらなかったのか?」


 アステリスにおける魔術は、個々人によって違うのが当たり前だが、魔道具しかり、魔法陣然り、普遍的に使える魔術も多くあった。魔術研究の賜物たまものである。


 その中でも回復や解呪の術式は教会がそのほとんどを独占していた。


 メヴィアが言うには、独占も何も、それらの術式を扱うには本人の素質と、女神様への崇拝が必要不可欠であるらしいが、とにもかくにもリーシャなら知っているはずだ。


 しかしリーシャは首を横に振った。


「教会で一通りの魔術は習いました。解呪の魔術も使えますが、私の魔術でなんとかできるなら、メヴィア様が既に解いているでしょう」

「たしかに」


 メヴィアはその手のものに関してはアステリス一だ。


 彼女が自分の手に負えないというのなら、この呪いは相当な強さのものなのだろう。魔将ロード以外にも、強い魔族は多くいる。


「ってことは別の『鍵』がこの呪いを解く魔術を持っているってことだよな」


「そうなりますね。‥‥どうしてメヴィア様はそのようなことを知っていたのでしょう。教会でも他の聖女の情報なんて、私は聞いたことがありません」


「あー、俺もあんまり詳しくは知らないけど、相当機密性の高い情報みたいだぞ。昔シャーラが聖女の資質があるっていう話の時に聞いたけど、メヴィアも正規の方法で手に入れた情報じゃないらしい」


 聖女は本来教会のブラックボックスだ。聖女自身も、その情報も、基本的には門外不出。当たり前に俺たちと旅をしていたメヴィアが特殊なのである。


 それにしても、だとしたら誰がこの魔術が解けるんだ?


 今俺たちと一緒にいる『鍵』は、リーシャ、シャーラ、ベルティナさんの三人だ。自力で解呪ができない時点でベルティナさんは除外。シャーラの魔術は『冥開めいかい』だから、呪いを解けるタイプではない。


 メヴィアの話じゃ、『鍵』はメヴィア以外に六人いるんだろ。


 コウたちから、戦争が始まった初期に一人殺されたと聞いている。そして新世界トライオーダーと手を結んだサーノルド帝国のフィン。


 これで五人だ。


 となると最後の一人は――。


「あ」


 俺の脳裏にある少女が浮かんだ。おそらくこの戦いにおいて、最年少の参加者。


 姉に似た真白の髪に、アイスブルーの目をした修霊女しゅうれいじょ


 ユネアだ。

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