第92話 二人の戦い

 怪異の存在は音と切っても切り離せない。


 人間は姿の見えない音を恐れる。恐怖はいずれ形を持ち、怪異となって顕現する。


 逆もまたしかりだ。陽気な音楽や人々の賑やかさというものは、怪異にとっては天敵である。


 『千首神楽』の本質は言霊だ。怪異の存在を否定し、人の生を肯定する言霊に、様々な音楽をより合わせて歌にする。口さがない加賀見綾香などに言わせれば「え、要はロックな般若心経みたいなもんでしょ?」というものだが、その難易度は想像を絶する。


 魔術を発動させるために言葉を使う魔術師は多いが、言葉そのものに力を持たせる魔術師はそういない。それ程に言葉とは不確かで移ろいやすいものだ。


 それを自分で編集した曲に、自作の歌詞を合わせて行うのだから、軋条紗姫の才能は本物である。


「相変わらずこえー魔術」


 右藤は武者が消えていく様を見ながら、小太刀を逆手に引き抜いて走った。


 目指すのは木の陰に隠れる弓兵。


 あちらも右藤の存在に気付いたのか、素早い動きで矢を射かけてきた。遠距離武装を持つ敵との戦いは、いかに間合いを詰めるかの戦い。


 眉間めがけて飛来する矢を首を傾けて躱し、数歩の間に放たれた第二射は小太刀で切り払った。


 ここまで来れば敵はもはや目と鼻の先。ここは右藤の間合いだ。

 

 弓兵も即座に弓を捨てて刀を抜いたが、遅い。


 更に手が届かん程に距離を詰め、踏み込みながら腕を振るう。


 小太刀の一閃は狙いたがわず弓兵の首に滑り込み、半ば近くまで断ち切った。

「まず一匹」


 右藤は呟きながら脚を止めることなく即座に転身する。


 狙いは他の弓兵。軋条の歌の前では矢が通るとは思わないが、万が一がある。


 それを排除するのは右藤の役目だった。魔力の循環は淀みなく、指先の末端まで燃えているかのような熱を持たせたまま地を蹴る。


 確かにこの武者たちは強い。しかし身体強化の魔術を駆使する右藤には届かない。


 右藤はそのまま木々の間をすり抜け、弓兵を一体ずつ切り捨てていく。


 軋条の歌が止む時には、右藤の仕事も終わっていた。


 もう気配はないが、残心は怠らない。何が起こってもおかしくない状況だ。


 小太刀を鞘に納め、しかし柄からは手を離さず軋条の元へ戻る。


「あぁー、あーああ。何か喉の調子よくないわね」

「のど飴持ってるんだから舐めればいいだろ」

「見てこれ、新発売の龍角散ウルトラだって。意味分かんなくない?」

「うるせーから早く舐めろよ」


 この緊張感のなさだけはどうにかならないものかとため息を押し殺しながら右藤は山頂の方に目を向けた。


 龍角散を舐めていた軋条も同じ方を向き、軽い口調で言った。


「それじゃ、さっさと社とやらを確認しに行くわよ」

「は?」


 右藤は聞き間違いかと目を細めた。


「は、じゃないわよ。社の調査が任務なんだから行くに決まってるでしょ」

「さっきの首無し見ただろ。あれは俺たちじゃ手に負えねえ」

「あんな奴、奇襲されなきゃ私の敵じゃないわよ!」


 月子が戦っている相手に、暗に自分が敵わないと言われて軋条はがなり立てる。


 つってもなあ。


 右藤はどうこのじゃじゃ馬を説得しようか考える。


 確かに倒すだけなら軋条であれば可能だろう。『千首神楽』はそれだけの力を秘めた魔術だ。


 しかし軋条は月子と違って近接戦闘が得意なわけじゃない。実際さっきの土砂だって歌ではどうにもならなかっただろう。月子と右藤が前衛で、後ろから軋条が攻撃というのが理想形だが、まともに連携の訓練をしたこともない三人でそれをすれば、破綻するのは目に見えている。


「戦うにしてもなんにしても、今は一回退いて態勢を立て直すべきだ。誰がどこにいるかも分からないんじゃ勝手に動けねえ」

「他の連中は是澤さんが連れてったんじゃないの?」

「多分な。まずはそこと合流だろ」

「まどろっこしいわね」


 舌打ちする軋条に、何とか丸め込めたと安堵の息を吐く右藤。まだ判断力が残っていて助かった。


 その時右藤は背骨を鷲掴みにされるような悪寒に震えた。


「ッ――⁉」


 即座に抜刀できる構えを取りながら、後ろを振り返る。


 そこにあるのは、ぽっかりと口を開く薄暗い林だけだ。


 だが分かる。嫌になるほどその存在がヒタヒタと歩いてきているのが。


「? どうしたのよ」

「‥‥」


 軋条は気付いていない。ならば今取るべき行動は、軋条を抱えての全力逃走。


 逃げるべきだと右藤の戦士としての本能が叫んでいた。


 だというのに、


(背中を見せたら、やられる)


 恐るべき圧が右藤からその選択肢を奪っていた。


「何か来るわね」


 ついに軋条もそれに気付いた。それはつまり、軋条が分かるところまで接近してきたということに他ならない。


「軋条、魔術の準備。俺が前で気を引くからその隙に叩け」

「なんであんたに指図されなきゃいけないのよ」

「そんな言い争いしてる暇はねえよ」


 その言葉を証明するように、それは二人の前に現れた。


 ゆらりと陰から進み出たのは、これまで同様甲冑を着た武者の亡霊。首無し程ではないが、右藤を超える身長に、分厚い肉体。肩には長槍を掛け、悠然とした足取りでこちらに歩いてくる。


 兜には半月があしらわれ、甲冑もこれまでの武者とは物が違う。装飾品や立ち振る舞いから確信する、戦国であれば武将級かそれに類する猛者だ。

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