第134話 選ぶ道は
両肩に感じる懐かしい感触。筋張った大きな手と、細く長い手が俺を掴んでいる。それはリーシャ以上にあり得るはずのない夢だった。
どうして、ここにいるんだ。
その名を呼ぼうとし、貼り付いた喉が声を震わせた。
「グレイブ、リスト」
『感じ入っている場合ではないぞユースケ。男ならば一度決めたことは全身全霊でやり遂げてみせろ』
『そもそも相手の主張ばかり聞くのでは話し合いとは言いません。互いの理解を望むのであれば、こちらも伝えるべきです』
後ろを振り返れない。こうしている今も憎しみの剣は身体に突き立っているのだから。
けれど先ほどまで感じていた孤独はそこにはなかった。痛みが消えたわけでなくとも、心が違う。
背後から感じる気配がどこまでも俺を支えてくれる。
『戦士以外の魔族と言葉を交わせるとは、何が起こるか分からんものだな』
『ふん、僕は納得が行きませんね。勇者を憎む声があるのは当然ですが、その何十倍という称賛の声があるべきです。それがユースケに届いていないのであれば、人族の怠慢という他ない。姫や国の人間は何をしていたのですか』
『言うなリスト。志半ばで死した俺たちには何を言う権利もありはしない』
背後でグレイブが笑うのが分かった。顔が見れなくとも、記憶が教えてくれる。
『見方を変えれば終わったはずの俺たちに再び役割が回ってきたのだ。これ程心躍ることもあるまい』
『‥‥そうですね。どうやらそう思っているのは僕たちばかりじゃないらしい』
その言葉を証明するように俺の周りに赤い風が吹き込んだ。刃と刃の間に滑り込み、俺の盾となって流れる。
それはすぐに形をとり朧げな人となった。
曖昧な姿でも俺には彼らが誰なのかすぐに分かった。共に旅をし、その途中で別れてきた仲間達。もう二度と会うことはできない思い出の中の偶像。
俺を憎んでもおかしくない人たちが大勢いる。そのはずなのに、誰も彼もが刃に身を晒して割って入った。
剣の嵐は彼らに食い止められ、俺の前に道が開く。
なんで。
問いかけようとした言葉は、声になる前にグレイブにかき消された。
『行けユースケ! これこそが俺たちの総意。恐れるな、たとえそれが遥か長き荊の道であったとしても、旅は決して孤独ではないのだから!』
『行ってください。魔王が倒れたというのに、僕たちはどうにも貴方を前に進めなければ気が済まない性分になったらしい』
周囲にいた赤い人影たちも頷く。
「‥‥分かった、ありがとう」
また何も見えていなかった。憎む者もいれば支えてくれる者もいる。何かに拘泥してしまえば、他の大事なものが見えなくなる。
間違えて、傷ついて、失敗して。今も昔も変わらないまま、這うように前に進む。
俺は刃の通路を歩き続けた。
闇を抜けた先にあったのは、静謐な空間だった。
広くとも狭いとも言えない場所で、その中心に玉座のような椅子が鎮座している。
そこには一人の男が座っていた。
男はひらひらと軽薄な様子で手を振ってきた。
『おう、まさかここまで来るとは思わなかった。当代の勇者は想像以上に狂った奴らしいな』
「狂ってここまで来たつもりはないよ。それに、もう俺は勇者じゃない」
『狂ってるさ。殺した奴のことを本気で考えるなんて、正気の沙汰じゃない。』
椅子に座る男は見覚えのある姿だった。薄暗闇の中でも神秘的に光る玉虫色の長い髪に、端正な顔立ち。
最強の魔王、ユリアス・ローデストを思い出さずにはいられない。
しかしユリアスはこんな話し方はしない。その容貌に似合う落ち着いた話し方をする男だった。
誰なのか、ということは不思議と気にならなかった。ここにいて当然という気さえしてくる。
男は何かを見定めるように手を顎に当て、勇輔を見る。
『まさか許してもらえるとは思ってないだろ? 殺された時点で既に結果は出てるんだ。今更それをとやかく言ったところで現実は変わらん。無意味だ』
「その通りだ。俺のやっていることは無意味なのかもしれない」
『だったらどうして意固地になる。考えなければいいだけの話だ。何も見なければ痛みも苦しみも感じなくて済む』
男の問いに対する答えは既に決まっていた。
ここに来ると決めた時から、それは見付かっていた。
「俺が本当の意味で先に進むためだ」
『自分のためか』
「そうだ。彼らの想念が俺の内に宿っているというなら、それもまた俺の一部だ。なら俺は同じ道を歩みたい」
『自己満足だ』
男は言葉とは裏腹に笑う。
『魔王も勇者も結局はそういう存在なんだろうよ。それで、お前がそうまでして進みたい道の先には何がある?』
俺の目的はリーシャを守ることだ。そのために再び戦いの場に立った。
だが彼らの思いに触れた今、その道の先に別の光が指した。リーシャを守ることは変わらない。けれどその先に、確かな俺の夢が見えた。
「 」
その答えを聞いた男は再び笑った。
『傑作だ。やってみろ、その道は獣の腹より険しいぞ』
結局男が誰だったのかは分からないまま、赤と黒が入り混じり世界が塗り潰されていく。何か強い力に引かれ、俺の体は上へと放り出された。
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