第172話 マイペースお姫様

 季節を塗りつぶす強烈な冷気が、あたりを覆う。吐く息は白く、霜の降りた手が痛む。


「‥‥」


 絶句するオスカーの前で、鎧男は氷の皮膜に覆われていた。まるで時が止まったかのように、動き出す気配はない。それは単純な凍結などでは説明がつかない異常な光景だった。


 あれほどの加速を、一瞬で。


 それを成したシャーラは、いつも通りの無表情で、持ち上げた手を下ろしているところだった。

彼女が魔術を使うのを見るのは、これで数度目になるが、何度見ても慣れることはない。オスカーたちの使う奇跡や、そこらの魔女が使う魔術とは比べ物にならない力だ。


 ふう、とオスカーは息を吐き、構えを解いた。


「申し訳ありません、お手をわずらわせました」

「別に。面倒でもない」

「そ、そうでしたか」


 自分が苦戦した相手を、大したことがないと言い切られると、複雑である。


 だがそんなもの、今さらな話だ。


 比べようということがそもそも間違っていると、オスカーは自分を納得させた。


「あ、ああの。大丈夫でしたでしょうか‥‥?」

「ああミコト。すまない蹴ってしまった」

「いえ、むしろ助けてくださってありがとうございました」


 蹴られた腹を押さえながら、櫛名はぎこちない笑みを浮かべた。助けるために仕方なかったとはいえ、華奢な櫛名にオスカーの蹴りはこたえただろう。


 櫛名は恐る恐る凍った鎧男を見上げた。


「それにしても一体どこの魔術師なんでしょう。どうして僕たちなんかを狙いに‥‥」

「あまり近付くな。もう動けないとは思うが、完全に武装を解除して拘束する」

「分かりました。本部にも応援を頼んだので、すぐに来てくれると思います」

「そうか、それは助かる」


 なぜ自分達が狙われたのかは気になるところだが、今のオスカーたちの目的は人探し。対魔官の手を借りられるのならば、それに越したことはない。


 こうなっては、ホテルも別の場所を手配してもらった方がいいな。


 オスカーがそう思いながらシャーラをエスコートしようと振り向いた時だった。


 彼女は目を細め、再び手を上げたのだ。




 直後、先ほどとは比較にならない魔力がシャーラから発せられ、同時に別の魔力が降ってきた。




 轟ッッ!


 魔術同士の衝突は、天変地異を引き起こした。


 少なくともオスカーの目にはそう見えた。灰と氷の砂塵がせめぎ合い、ガラス張りだったホテルの入り口が粉々になる。


 それでも被害がその程度で抑えられたのは、シャーラのおかげだろう。彼女が魔術を使っていなければ、オスカーも櫛名も無事では済まなかったはずだ。


「珍しい」


 シャーラのつぶやきが音に紛れて消えた。


 衝撃が収まったとき、そこには粉砕されたアスファルトとガラスの破片だけが残っていた。凍らせていたはずの鎧男も、乱入者の姿もない。


「くそっ、仲間がいたのか」

「‥‥」


 今のは間違いなく、鎧男よりも強力な魔術だった。だとしたら、何故初めから二人で襲撃しなかったのか。


 もし今の敵に襲われていたら――。


 オスカーは奥歯を鳴らし、うずくまっている櫛名を助け起こした。


「ありがとうございました、シャーラ様」


 未だ敵のいた場所を見ていたシャーラに礼を言うと、彼女は首を横に振った。


「いい。それより、少し疲れたわ」

「分かりました。すぐに次の部屋を手配します」


 オスカーは答えながら、考えていた。あれはそこらの魔術師が使えるような魔術ではなかった。可能性があるとすれば、シャーラと同じ異邦人。


 またきな臭い話になってきたものだ。


 色々と情報を集めたいところだが、今はお姫様の願いが最優先だ。


 オスカーは目を回している櫛名を片手に、応援に来るはずの対魔官を探し始めた。

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