第30話 我が真銘

 太陽を彷彿ほうふつとさせる灼熱の大剣が、頭上から豪速で振り下ろされる。


 俺は魔力を全身に巡らせ、大剣を斬るつもりでバスタードソードで迎撃する。


 衝突は爆発だった。


 鎧を貫く衝撃が全身を走り、火花の代わりに爆炎が大蛇の如くのたうつ。


 ――重っ!


 呑竜や巨人の膂力りょりょくもすさまじいものがあったが、これはその比じゃない。


 膝が沈み、『聖域』でも防ぎきれなかった衝撃の余波がアスファルトを砕く。


「流石だな、この一撃を耐えてみせるとは。だが、いつまでその余裕が続くものか」

「『‥‥』」


 言葉通りルイードの四本の腕が膨れ上がる。そして、星を割る連撃が来た。


 っの野郎!


 魔力を全力で流し、人の限界を超えて剣を振るう。


 絶え間なく振り下ろされる幾本もの斬撃。剣の腹を叩いて軌道を逸らし、受けて流す。時には大剣同士を衝突させて弾き飛ばす。


 動きを止めるな。ルイードは力こそ尋常ではないが、その分剣の技量は無いに等しい。怪物の暴虐ぼうぎゃくとは、ただ純然たる力によって行われるのだから。


 しかし、だからこそ。たった一太刀でも受けそこなえば俺だけでなく、『聖域』も無事では済まない。

 今俺の背後には、傷ついた人たちや月子もいるのだ。決して一撃たりとも逃しはしない。


「素晴らしい、素晴らしいぞ! このシルグエラとここまで渡り合うとは!」


 その山羊頭で褒められても少しも嬉しくねえよクソが。そういってやりたかったが、生憎と悪態を吐ける程の余裕はなかった。


 轟音を更なる音の爆発が上書きする。言葉をかけてくる一瞬の間に何合と切り結び、その衝撃に奥歯を噛みしめる。


 その攻め手が緩んだのは、一瞬のことだった。


「ならばこれはどうだ?」


 なに?


 ルイードの言葉の意味を理解するよりも早く、それは来た。


 剣戟けんげきの隙間を縫うようにして、山羊頭の顎が開く。放たれたのは、カリュルーネの息吹を遥かに超える業火ごうかのブレスだ。


 俺どころか、この戦場全てを埋め尽くす程の熱量に、避けるという選択肢はなかった。


「『嵐剣ミカティア!!』」


 瞬時に鎧へと流した膨大な魔力によって、時を捻じ曲げる程の速度で剣を振るう。


 炎の嵐と斬撃の嵐が衝突し、お互いに牙を突き立てて食らい合う。炎が鮮血のように噴出し、斬撃が赤に飲み込まれた。


 大丈夫だ。ほぼ溜め無しに使った嵐剣でも、なんとか抑え込める。


 その見立ては決して間違いではなかった。


 だが、その考えは一瞬の安堵あんどを生んだ。安堵は油断へと変わり、油断は隙を生じる。


 その微かな隙を、歴戦の英雄は見逃さない。


「『ッ――!』」


 横薙ぎの一撃が叩き込まれた。


 剣での防御が間に合ったのは、本当に奇跡的だったと思う。


 もはや思考する暇はなく、勇者として戦ってきた時の経験が反射として動いてくれた。


 しかしそれでも、意識が飛びかけた。


 臓腑ぞうふが裏返り、足が地面から離れて浮遊感が身体を包む。口の中いっぱいに鉄臭い味が広がり、全身から悲鳴が上がった。


「終わりだ!!」


 ルイードの声が響き渡った。


 大気の逆巻く音が、追撃が来ることを教えてくれる。


 だというのに、身体が反応してくれなかった。


 いつもより遅く感じる時間。それで分かるのは、あまりに鈍い身体の動きと、よどむ魔力の流れ。長い安寧あんねいのぬるま湯は、俺の全てをびつかせた。


 所詮魔王はいないと、甘く見ていなかったか? あれ程の血を流し、幾度となく仲間を失い涙を流した神魔大戦を、俺は無意識の内に容易たやすいと。


 だとすれば、負けるのは当たり前だ。


 燃え盛る炎の中、冷たい諦観に身を任せようとしたその時、声が聞こえた。


 まるで曇天どんてんを打ち払うような、凛とした響きが。


「ユースケさん!!」


 リーシャの声に、目が覚めた気がした。曖昧だった景色が鮮明に色づき、流れる時の感覚を正しく近くする。


 そうだ、何を勝手に諦めようとしてんだ。


 この程度の死線、何度も潜って来ただろうが。


 思い出せ、俺の魔術の本質は『究極の自己』。自らの魔力を用いて新たな魔力を作り出すという、魔術師の摂理を笑う無限の回廊かいろう


 外部に対して魔術的な干渉を行うことはできないが、無尽蔵の魔力によってあらゆる自己改造を可能にする魔術。それこそが『我が真銘』。


 間違いなく強力無比なこの魔術は、同時に本気で発動してしまえば、自分自身でさえ止めることのできない暴れ馬だ。


 今の俺の身体は魔王との戦いによって大きな傷を負っている、ひびの入った器に近い。下手に魔術を行使すれば、俺自身を殺しかねない。


 だが、今更何を躊躇ためらう理由があるんだ。暴走の危険があるなら、魔力の流れを完璧に制御すればいい、ただそれだけの話だろうが。


「『めるな、ジルザック・ルイード!』」


 両足で地面を踏みしめ、迫り来る大剣を目を逸らさずに見つめる。


 そして、俺は魔力を縛るかせを外した。解き放たれた翡翠の魔力は、数年ぶりの自由に歓喜するように回転し始める。


 魔力は魔力を呼び、鎧を食い破らんばかりに肥大化し続けた。


 頭の中で火花が散り、全身が引きちぎれるように痛んだ。


 それでも思考を止めるな。これまでの戦いで繰り返してきたように、頭の血管が破裂しても魔力を制御し続けろ。


 目前へと迫り来る大剣に合わせ、剣を振るう。


 音が轟き、ルイードの大剣が真上へと吹き飛んだ。


「なっ――!」


 山羊頭のルイードが驚きの声を上げる。悪いが、こっちは長くはもたなさそうだ。


 一瞬で決めさせてもらうぞ。


 迎撃と同時に膝に溜めていた力を、開放する。


 ドンッ! と大地を蹴って、瞬きする間に俺はルイードへと肉薄した。


 赤と銀の剣閃が、目まぐるしく交差する。


 大剣を斬り払い、その隙に左手に創造した投槍を投擲。カウンターで放たれたブレスを避け、回し蹴りをを脚に叩き込む。


 刹那の間に二転三転と攻守が入れ替わり、その度に『聖域』がきしむ。


「くははははは! 魔王様を討った貴様の力はそんなものか!」

「『ッ‥‥』」


 駄目だ。決めきれない。


 ルイードの動きは追える。大剣に対抗するだけの力も得られている。


 けれど、シルグエラとなったルイードは俺の想像を超えて強い。四本の腕はあらゆる体勢からの防御と反撃を可能にし、なんとか作り上げた隙もブレスによって潰される。


 逆にこちらが少しでも隙を見せれば、ルイードは必殺の一撃を叩き込んでくる。


 一瞬でいい。本当にあと一瞬の隙があれば――。


 その時だった。


「『がっ‥‥!』」


 鎧の胸部から、血飛沫のように翡翠の魔力が迸った。


 この箇所は魔王によって穿たれた古傷。つまり、限界が訪れたのだ。


 頭上でルイードの大剣が全て天へと掲げられる。それは神話世界の再現のように、地上の全てを焼き尽くさんばかりに燃え上がった。


「勇者よ、我らの怒りに焼かれて死ぬがいい!」


 もう、やるしかない。完全に制御できていない状態でも、この身体に込められた全ての魔力を叩きつける。


 そう覚悟を決めた時だった。


 パンパンッ! と乾いた音が連続して鳴り、ルイードの身体に波紋はもんが生まれた。


 これは‥‥。


 ルイードの視線が、俺から外れ、その奥へと向けられる。


「ッ! 死にぞこない共が!」

「死にぞこないだろうがなんだろうが、指くわえて見てられるわけないでしょうが!」


 ルイードの言葉に応えるのは、いつだったかリーシャを庇っていた女性だ。今は銃を構え、ルイードへと撃っている。


 そして、立ち上がっているのは彼女だけではなかった。満身創痍だったはずの魔術師たちが何人も立ち上がり、銃や魔術を使ってルイードへと攻撃を加える。


 その中には、黒髪に雷を纏わせる月子の姿もあった。魔力は尽きかけ、立っているのも辛い程の傷を負っているはずなのに、それを感じさせない力強い動きで槍を構える。


 その一歩は落雷の如く凄絶に、乙女として淑やかに、神を宿すように荘厳に。


「天穿神槍」


 雷となった槍が、夜空を切り裂いてルイードへと飛来した。燃え盛る大剣と黄金の雷がぶつかり、世界がゆがんだ。


「無駄なことを! この程度の攻撃では私にかすり傷一つ負わせられんぞ!」


 言いながら、ルイードはわずらわしいとばかりに槍を斬り払う。


 ――無駄なことか。


 たしかに彼らの魔術ではシルグエラとなったルイードの身体には傷を負わせることさえ難しいだろう。


 けれど、彼らのおかげでルイードの意識は逸れた。


 その一瞬で、出来ることがある。


 暴発寸前の魔力を極限の集中力で操り、これまでのシルグエラの性質、身体能力、魔力の密度を計算して魔術を組み上げる。


 相手が神話の怪物を持ち出すというのなら、こちらはそれを殺せる魔術を作ればいい。それだけの情報と魔力が既に揃っている。


「っ! 貴様‥‥!」


 ルイードが、ついに俺の魔術に気付いた。


 お前が無駄だと罵った時間が、俺にこの術を発動するだけの余裕を作ってくれた。


 山羊頭の視線と俺の視線が交錯し、お互いが咆哮を上げた。


「うぉぁぁぁあぁあああああああああああああああああああああああああああ!!」

「『はぁぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!』」


 振り下ろされるのは、ブレスを纏った四振りの大剣。竜すら輪切りにする灼熱の剣が、夜を歪めて迫ってくる。


 それに対し、俺は翡翠の幾何学模様が刻まれた剣を腰だめに構えた。


 ただこの一撃に、全てを乗せる。


 迫り来る死を前に、腰を落して身体の芯を大地と繋ぎ、余分な力を全て抜く。崩れ落ちる、その一歩手前まで。世界は今、俺とルイードだけあればいい。


 そして、大剣が額に接する紙一重かみひとえ


 ――来た。


 全身の筋肉が瞬時に最適の動きを作り出し、限界まで練り上げられた魔力が爆ぜ、魔術を発動した。




我が真銘――『極剣アンカルナム




 翡翠の一閃は、世界を断った。


 紡がれる神話も理外の魔力も、全てが一筋の剣閃に飲まれて消えていく。シルグエラの鱗に覆われた胴体が、次に四本の腕が、最後に山羊頭が、斬撃の中へと引きずり込まれて斬り裂かれた。


 両断された大剣が火の渦となり、火の粉が星のように夜空を彩る。


 俺が剣を下ろした時、世界は全てを忘れ、夜の静寂を取り戻していた。


 いつの間にか雨は止み、解けていく『聖域』の向こう側に浮ぶ月が、まるではじめから結末を知っていたかのように静かにこちらを見下ろしていた。

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