第31話 宿代と飯代がないだと? なら身体で払ってもらうしかねーなー?

 広大な領土を持つセントライズ王国の片田舎、その川辺のほとりには長閑のどかな村があった。


 そこは豊かとは言えないものの、税金を納めた上で慎ましく生きていける程の農場が広がっていた。


 村人は皆日の下で農作業に勤しみ、汗を流す。


 どこでも見られる、農村の日常風景だ。


 そんな中、一人の少女がバスケットを片手に一軒の納屋の中に入って行く。


「おーい、もうとっくに朝よ!」


 納屋の中は、様々な農作業具や生活用品が押し込められ、雑然とした様子だ。よく見ればその片隅、藁を敷いた寝床とも呼べないような場所に、黒い何かが寝そべっていた。


「‥‥んあ? もう朝か?」

「とっくよとっく! 皆畑に出てるんだから、あなたも仕事しなさい!」

「ったく、朝からキャンキャン喧しいこって」

「なんですってぇえええ!」


 怒髪天を突く勢いの少女に、藁のベッドに未練がましく寝そべっていた人間も仕方なく起き上がる。


 納屋の隙間から差し込む光に照らされたのは、黒い毛皮のコートに身を包んだ男だった。浅黒い褐色の肌に、夜闇を溶かしたような黒髪。眠たげな瞳は金色だ。


 男は目ざとく少女のバスケットを見つけた。


「お、朝飯持ってきてくれたのか。わりーな」

「お母さんが持って行けって言うんだもん。こんな穀潰しに食べさせることないのに」

「お前もご母堂の優しさを少しは見習った方がいいぞ」

「うるさい! 早く顔洗ってきて! ご飯はその後!」

「へいへい」


 まだあどけなさの残る少女に促され、男はしぶしぶ納屋を出て井戸へと向かった。最近は王都を中心に水を組み上げるポンプや、水道の普及も始まっているらしいが、こんな田舎の村に流行の波が来るのはまだ先だ。


 男は冷たい井戸水で顔を洗うと、空を見上げた。


「今日もいい天気だなあ」

「だったら働けば? こんな日に昼寝なんてしてたら、お天道様に怒られるよ」

「かはは、むしろこんな日だからこそ昼寝でもしなきゃ失礼ってもんだろ」

「知ってる、そういう人を昼行燈のただ飯喰らいって言うんだ」

「結構結構。全ての怠け者が目指す夢じゃねーの」


 不満顔の少女からバスケットを受け取り、男は中に入っていたサンドイッチを食べる。


 それから畑近くの木陰に腰かけると、ぼんやりと村人の畑仕事を眺めた。少女もこれ以上言っても無駄だと悟ったのか、既に仕事に行ってしまっている。


 男は数日前にこの村に立ち寄った旅人だった。王都を目指している間に偶々この村にたどり着いた男を、村人たちは快く出迎え、こうして逗留させてくれている。


 大きな戦が終わったとはいえ、驚く程に平和ボケした村だ。


 男はぼんやりと空を流れる雲を見上げて、腰に括りつけた鞄に手を突っ込んだ。


 こんな村では大した旨味にもならないだろうと思いながら。




 夜は少女の家で男も相伴に与る。


「コウさんコウさん、今日はラッツの調子がよかったみたいでねえ、滑り鳥を貰ったからお肉があるよ」

「ほう、それはまた奥さんの料理が楽しみだ」

「やだ、もう口が上手いんだから」


 男はこの村で、コウと呼ばれていた。仕事を手伝わないのは間違いないが、コウはその整った顔立ちと、旅の経験から得られた話で、村で男女を問わず人気がある。


 面白くないのは、小さな体で必死に手伝いを続ける娘だった。


「‥‥仕事もしないのに、ご飯だけは食べるんだ」

「こら、シリィ! コウさんは旅人だ。俺たち農家とは仕事が違う」

「だって、その旅だって最近はまったくしてないじゃない!」


 シリィと呼ばれた少女は、父親の言葉に噛みつく。ちなみにこの家はシリィの他に小さい弟が二人いるため、シリィは両手に弟たちをしがみつかせていた。


「いいかシリィ。旅ってのはお前が思ってるよりもずっと大変なんだ。この村に立ち寄ったのだから、せめてその間くらいはゆっくりさせてやるのが王国民の誇りだろう」

「王国民の誇りって‥‥王都にも行ったことないくせに」

「な、なんだと! 俺は若い頃王城を見たことだってあるんだぞ!」

「遠目に見ただけじゃない!」

「はいはい、話はそこまで! ご飯だよ!」


 父娘の苛烈な歓談の間に、ドンッ、と大皿が置かれる。そこには野菜と鳥肉の炒め物が山のように盛られていた。


 香辛料の香りが、食欲をそそる。


 もう、無駄な会話は起こらなかった。


 家族は皆一心不乱に食前の祈りを捧げると、我先にと肉に手を伸ばし、パンを噛み千切る。


 この村では魚以外の肉は高価な代物だ。親戚のラッツという狩人が狩るか、特別な日に家畜を潰さなければ食べられない。


 コウもゆっくりと肉を口に運んだ。塩と山で摘んだ香辛料を使った粗野な味わい。それはどこか懐かしい味だった。


「お、そうだガキンチョ、ちょっとこっち来い」

「私はガキンチョじゃない! シリィって名前があるの!」

「あと十年経ったら呼んでやるよ。ほら、早くしろ」


 コウに呼ばれ、「なんなのよ‥‥」と呟きながらもシリィは近づいて来る。大人びていても、まだまだ警戒心のない子供だった。


「手出しな」

「?」


 シリィが両手を出すと、コウは腰の鞄からある物を取り出し、その小さな手の上に落とした。


「なにこれ?」

「俺の作ったお守りだ。首から下げときな」


 コウが渡したのは、様々な動物の牙や鱗などを飾紐で編み込んだネックレスだった。女神聖教会が作っている、ヒューミルにも似ている。


「えー可愛くないー」

「着飾ってもどうせ見せる相手もいねーんだ。だまってつけとけ」

「なっ! 大人になったら私だって王子様が迎えに来るんだから!」

「農耕馬に乗ってか? そりゃいいな、一生笑いの種にできるぞ」

「なんですってぇぇええ!」


 飛び掛かってくる少女の頭を、コウは片手で抑え込む。シリィの小柄な身体ではコウに攻撃を加えることはできなかった。


 しかしそんな二人の姿を見て、何かの遊びだと思ったのか、二人の弟たちも参戦する。


 農家の夜は、騒がしく更けていった。


 その日は曇天。月明かりも雲に隠され、世界は完全な暗闇に包まれている。


 夜に蠢く者が、牙を剥く時間が訪れた。



     ◇ ◆ ◇



 何十という馬が山道を駆け降りる。


 本来響くはずの足音がほとんどしないのは、魔術師であれば消音の魔術によるものだとすぐに気付くだろう。


 先頭を走るのは野卑な装束に身を包む大柄な男だ。身に着ける装飾品の数々は他の者たちを取りまとめる立場であることを示していた。


 目指すのは、川辺のほとりにある小さな田舎村。なんのために、などという疑問は、武装をした荒くれ者たちの群れを前にして、問うまでもない。


 今日の午後、村に紛れ込ませた手下から襲撃の合図が来た。


 リーダーの男は慎重だ。王国兵が村にいないか、村までの救援にどれ程の時間がかかるのか、潜入捜査で必ず調べる。


 そうすることで、完全な仕事を果たすことが出来るのだ。これまでも同様に一方的な形でいくつもの村を襲い、金品や女を奪ってきた。


(しかし、妙だな‥‥)


 リーダーの男は夜道を走りながら思う。


 村に潜ませた間者は魔道具を使って男に合図を出すわけだが、本来は朝に送ってくる手筈になっていたのだ。


 だがたしかに午後から天候が変わり、襲撃に適したものになったので、恐らく間者もそこで判断したのだろう。


 そうして魔術によって強化された視覚が村を捉えた時、


「止まれ!」


 男は小さくも鋭い声で部下に指示を出すと、自身も馬を止めた。


 何故なら男たちの進路上に、一人の人影が立っていたからだ。


 その体格、身にまとう黒い外套がいとうには見覚えがあった。男が村に放った間者だ。


「お前、なんでこんなところにいる。村で落ち合う手筈のはずだろうが」

「‥‥」

「どうした、何か気になることでも」


 何も言わない間者に男が問いかけると、夜風に煽られて間者のフードが捲れた。


 そこから出てきたのは、間違いなく男が送り込んだ間者だ。ただその頬は砕け、白目を向いていた。


「っ‥‥! 何もんだ!」


 男の声に、間者の身体が崩れ落ちる。否、正確には吊り上げられていた身体が支えを失って倒れたのだ。


「気付くのが遅いじゃねーか」


 その影から現れたのは、黒い毛皮のコートに身を包んだ若い男。


 夜の中で金色の瞳が輝き、肩には布で巻いた長物を立て掛けている。


「てめえは‥‥」

「ただの旅人さ。あんたらこそ何者だ? こんな夜更けに、随分物騒ななりしてるじゃねーか」


 そう言って、コウは「かはは」と笑う。


 それに対し、返答はなかった。男はただ傍らにいる部下に短く指示を出す。


「殺せ」


 部下の動きは迅速だった。

 魔術を発動して身体を強化すると、目にも止まらぬ速さで馬から跳ぶとコウに肉薄する。


 その手には、いつの間に抜かれたのか片手剣が握られていた。


 何が起きたのかも分からないまま、コウは首をねられて死ぬだろう。リーダーの男はその確信をもって部下の動きを見つめていた。


 バン! と鋭い音が山に響き渡り、なにか丸い物が夜の中をすっ飛んだ。


「な‥‥」


 ピューピューと蓋を失った首から血を噴き出しながら、部下の身体が倒れていく。


 その向う側で、コウが白い歯を見せて言った。


「なんだ、案外大したことねーな、サーノルド帝国・・・・・の兵士ってのも」


 その言葉のもたらした効果は劇的だった。


 リーダーの男も背後に控える男たちも隠密行動をかなぐり捨て、それぞれの武器を抜き、魔力を練る。


「なんとしてもこいつを生け捕りにしろ!!」


 リーダーによって開戦の号令がかかり、男たちはコウへと躍りかかった。




 はあはあと、自分の荒い息遣いが五月蠅い。


(なんだ、一体何が起きている)


 野盗の頭に扮した男の名は、ベイグ・ティンダル。サーノルド帝国で大隊長の役職につく職業軍人であり、本来ならこんな野盗の真似事などするはずのない人間だ。


 そんな彼が部下たちを引き連れてセントライズ王国の村々を襲っていたのは、ひとえにそれが帝国による命令だったからだ。


 野盗に扮し、末端からセントライズ王国の力を削ぎ、王国の兵力を分散させる。帝国から出なければいけない汚れ仕事だが、その分略奪品を自由にできるという役得もあった。


 ベイグはこの仕事を忠実にこなし、これまでと同じように一つの村に目をつけた。


 川辺にある小さな村で、魔物対策以外に防衛設備らしいものはない。大して豊かでもなく、大きな村が近くにあるせいで応援も来やすいという、野盗としては旨味の少ない村だ。


 だがベイグたちにそんなことは関係ない。襲うことに意味があるのだ。


 そういう意味では、この村は襲撃しやすい部類だった。


 いつものように闇夜に紛れ、訓練された連携と魔術で一瞬の内に田畑と男を蹂躙し、女や金品を略奪する。軍人にとって、それは赤子の手を捻るようなものだ。


 そう、そのはずだった。


「ぐ‥‥貴様は‥‥」

「おいおい隊長さん、言葉遣いが変わってるぜ? それじゃあすぐバレちまうだろ」


 森の中は、地獄絵図と化していた。


 至る所に馬だったのか人だったのかも分からない肉塊がへばりつき、樹々が真っ赤な血で染まっている。


 ベイグ自慢の隊員たちは、一人残らずコウによって殺されていた。近接戦闘を挑んで撲殺された者。魔術をコウに撃ち込んだはずが、その瞬間に胸に穴を空けられた者。


 ベイグ以外には、息ある者は誰もいない。


 それにしたって、別段ベイグの実力で生き残ったわけではなかった。両足を砕かれ、無様に地面に横たわっているのがその証拠だろう。


 ベイグだけが、意図的に生かされているのだ。


「お、月が出てきたな」


 言葉通り、月明かりに照らされたコウは返り血の一滴すらも浴びていない。月光に晒された圧倒的なまでの実力差に、ベイグは震えた。


 コウは倒れたベイグの正面にしゃがみ込む。


「さて、それであんたが隊長ってことで間違いないよな?」

「俺は何も話さんぞ!」


 ベイグは紛れもないサーノルド帝国の兵士。たとえ拷問をされても、祖国を売るつもりはなかった。


 コウはそんなベイグの顔を見ると、「かはは」と笑った。


「成程な。一応生かしはしたが、俺も王国兵ってわけじゃねえ。面倒事は少ない方がいい。‥‥ただ、一つ面白い話がある」

「‥‥」


 拍子抜けなコウの態度に、これ以上情報を与えるつもりはないとベイグは口を噤む。コウの言葉が続いた。


「あんたには関係ない話だが、今王国じゃ、野盗に扮したサーノルド帝国の兵士たちが村や街を襲ってるのさ。帝国は否定しているが、まあお互いに分かっていて、探り合いの状態なわけだ」

「‥‥」

「酷い話だと思わねえか? 上の連中のつつき合いで何人もの人間が死ぬ」

 

 夜の暗闇に淡々とした言葉が吸い込まれて消えていく。生暖かな風がベイグの頬を撫でていった。


「殺された人間は勿論、野盗をやらされている兵士だって悲惨だぜ。たとえサーノルド帝国の正規兵だと主張しても、帝国は「そんな人間は我が国にはいない」の一点張り。つまり、戸籍を抹消されてるんだと」

「‥‥」


 コウの話が続くにつれて、ベイグの顔は徐々に青白くなっていった。動悸が激しくなり、嫌な汗が顔を伝う。


「国のためと思って戦っている兵士は、その実外道に身をやつした本物の野盗となんら変わらないってわけだ。そして、あんたも知ってんだろ? 堕ちた魂の行きつく先を」

「まさか、そんなはずは――!」


 ベイグは話の結末に気付き、思わず声を上げた。


「そう、本来の戦争なら、死した魂は女神の元に還る。だが、一度外道に堕ちた魂は決して女神に救われることはない。死体は魔物に食われ、魂は未来永劫、冥府の底で責め苦を受けるんだよ」

「‥‥」


 今度こそベイグは言葉を失った。死後、女神に救われないというのは、この世界の人間にとっては絶望そのもだ。


(待て、そんな馬鹿なことがあるはずがない。俺は野盗なんかじゃないんだ、誇り高きサーノルドの兵士として、国に与えられた使命を全うしていただけだ。戻れば栄達が約束されると)


 だが、否定すれば否定する程コウの言葉は現実味を帯びてくる。


 いくら自分が仕事だったと言っても、それを国の行いとして証明してくれるはずの帝国が完全に否定すれば、ベイグたちは本当にただの盗賊だ。対外的に存在を否定されるのと、戸籍を抹消されるのでは意味合いが大きく異なる。


「ま、ただの野盗のあんたには覚悟済みの話だよな。つまらない話をした、忘れてくれ」

「まっ、待て!」


 ベイグは慌てて声を上げた。


 まだ終わっていない。サーノルド帝国の兵士だと明かせば、捕虜としての扱いを受けることができる。そうすれば、サーノルドは、家族は必ずベイグを救ってくれるはずだ。


 しかしベイグの言葉はそこで区切れた。


「ぁ‥‥が‥‥」

「‥‥」


 コウが、無言で長物をベイグの喉に押し込む。言葉は、意味のない呻き声になるだけだった。


「言っただろう、面倒事は少ないほうがいいってな」

「きさっ‥‥ま‥‥」


 ベイグは憎しみに満ちた目でコウを睨み付けるが、そこに居たのはこれまでの笑みをなくし、冷たい視線でベイグを見下ろす男の姿だった。


「お前は兵士としては悪くなかった。嫌な気配がしたから、草が潜り込んでいるのはすぐに分かったが、特定するのに時間がかかった。本当に、あんな小さな村攻めるのに慎重な奴だ」


 グッと喉に押し込められた長物に力が篭る。


「まったく、一時とはいえようやく手に入った平和に、平気で泥を塗るような真似をされると」


 ベイグは、瞳から涙を流してコウを見つめた。その口がなにかを訴えるようにパクパクと開く。


「案外、腹立たしいもんだ」


 ゴキュ! と鈍い音がして、ベイグの首がじれた。




 兵士を一掃したコウは、血と糞尿の匂いが充満した場所を離れて歩き始めた。


 向かうのは、遠目に見える村ではない。


 今回は、随分長居をし過ぎた。


「これでギリギリ、宿代と飯代くらいの働きはしたか」


 そう呟くと、コウは夜空の向こうを見据える。


 彼が本来目指していた場所、セントライズ王国の王都を探すように。

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