第195話 覚悟

「あの、この間の件」

「‥‥」


 月子が言っているのは、綾香が言いたい放題言った時のことだろう。やっぱりその件かぁ、と思いながら、綾香は頭を下げた。


「ごめん。あの時は私も言い過ぎたわ。イライラしてたって理由になるわけじゃないけど、言い方も悪かったし、本当ごめん」


 あの時の自分を思い返すと、完全に切羽詰まって苛立っていた。カナミは重体、リーシャは攫われ、勇輔も行方不明。頼りの白銀しろがねとは連絡を取ることもできない。


 事態がどうなっているのか、全体像が見えない中で手探りの捜索だ。


 そんな中帰ってきたばかりの月子に八つ当たりをしてしまったのだ。


 年上として、というか人間として不甲斐ない。


 しかし月子はゆっくりと首を横に振った。


「それは、いいの」

「いや、よくはないでしょ」

「綾香が言ってくれたことは、全部本当のことだもの」


 月子は何か気を紛らわせるようにグラスに指を這わせ、水滴をぬぐった。


「私もあれから色々考えたわ。自分がしてきたことに後悔はないって思っていたけど、本当に正しかったのかって」


 必死に言葉を探す。小さな頃から人と話すのが苦手で、綾香の影に隠れていたのに。


「私のせいで勇輔が傷つくのは嫌だわ。それは今も変わらない。でも、それは身体だけじゃない。私にはそれが分かっていなかった。あの人が何を思って、何を願っていたのか。ちゃんと聞こうと思う。それで、私も全部話す」

「話すって、あれを?」

「そう。私が抱えているもの、考えていたこと、改めてちゃんと話したい。勇輔は今更聞きたくないかもしれないけれど、もし聞いてくれるのなら、ちゃんとゼロに戻りたい」


 それは月子をよく知る綾香からすれば、あり得ない選択だった。


 彼女が抱えているものは、ただ魔術師や対魔官であるというだけではない。


 拒絶されるかもしれない。あるいは、それだけならまだ月子も耐えられるかもしれないが、もっと傷つく未来だってある。


 そうやって傷ついてきた彼女を、綾香は知っている。


 ただ友達が欲しくて、当たり前の幸せを求めて。普通の同級生や、魔術師の家の子。勇気を振り絞って話しかける度に、月子は傷ついてきたのだ。


 小さな心に痛々しい生傷をつけて、泣いていた。


 月子のもつ翼はあまりに大きくて、彼女を囲む鳥籠は重い。


 その籠をこじ開け、共に飛べる人間がどれほどいるだろう。綾香では、寄り添うことはできても飛

ぶことはできない。


 けれど彼ならば。

 

 不思議な空白期間。多くの辛いことを経験してきたはずなのに、誰かのために行動できる彼なら。


 そう願ってしまうのは、あまりに無責任だろうか。


 月子はそんな綾香の感傷を吹き飛ばすように、晴れ晴れとした顔で言った。


「もう逃げないわ。全部受け止めて、先に進もうって、そう思えたの」


 そこに泣いていた小さな女の子はもういない。こと


 大人はいつだって月子の心も言葉も求めなかった。必要なのは才気溢れる魔術だけ。常に結果だけが彼女を評価する指標だった。


 そんな月子が大切な人と本気で向き合おうとしている。


 その事実に胸がいっぱいになり、綾香はコーヒーを飲んでから言った。


「頑張りなさい。何かあったらすぐ連絡するのよ」

「ありがとう、綾香」


 そうして、運命のその日。


 誰も結末を知らない物語は、加速する。


 その日はしくも、月子と勇輔が約束した崇天祭の三日目だった。

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