第330話 ジョーカー
「‥‥」
土御門は
力という力が抜けて、もう指の一本も動かせそうにない。
そんな彼を覗き込む者がいた。
『‥‥驚いた。まさか阿修羅を倒せるとは思わなかった』
「‥‥僕自身も驚いているよ」
『勝てる可能性はなかったはず』
「正真正銘、真なる神であれば勝てなかった。ゲームの世界だからこそ、だろうね」
勝てないボスはいない。それが人々の無意識の認識にあったからこそ、土御門は勝つことができた。
現実に神話体系の神が現れれば、なすすべもなくやられていただろう。
それでも榊には納得がいかないようだった。
『たとえそうだとしても、あり得ない』
「あり得ないなんてことは、あり得ない――なんて、これは
『土御門晴凛、本気で私たちの下に来ればいい。あなたなら、すぐに
「元々僕は
『つまらない冗談』
は、と土御門は笑った。襲撃された時点で気付いてはいたが、
「対魔官には他にも
『問題ない。もう彼らが必要となる時は過ぎた』
「用済みになれば、切り捨てるというわけだ」
『切り捨てるわけじゃない。ただ申し訳ないけれど、今細かなところまで選別している余裕はない。それだけ』
殺さないこの領域は、もしかしたらそういう理由もあったのかもしれない。真実はどうあれ、ここから先は
「そうか。残念だけれど、僕は力にはなれないかな。魔術師はもっと自由であるべきだ」
今の世界は、息苦しい。
『仕方ない。それならしばらく寝ていてもらう』
「あまり痛くないようにしてくれよ」
『それはこちらに相談して』
すげなく答えると、榊が視線を横に移した。
そこにはいつの間に出現したのか、鬼が立っていた。西洋由来のオーガか、アジア圏の鬼か。鉄製の棍棒を所持しているので、和製なのかもしれない。
そんなどうでもよいことを考えながら、土御門は空を見上げた。
仮想世界でも、空は青く美しかった。
生まれた時から、この空を誰にはばかることもなく眺めていたかった。
しかしそれは許されないことだった。
魔術師の家系に生まれた時から、
皆、対魔官は正義だと言う。
人々の暮らしを守る存在だと。
ならばなぜ隠れなければならないのか。別に魔術を世界に広めたいというわけではない。
ただ生まれた瞬間から、常に何かに縛られ続ける人生が嫌だった。先に進めば何かが変わるかもしれないと第一位階まで至れば、そこにあるのは更なる支配だった。
――ああ。
こんなにも空は広い。
土御門は深く息を吐き、呟いた。
「あとは、皆に任せるとしよう」
「『そう言うな、まだ先は長い』」
銀が鬼を
あまりにも鮮やかな登場に、土御門も榊も数秒、反応できなかった。
翡翠の魔力と紅い
「『待たせたな、土御門』」
異世界の元勇者、
話としては聞いていた。凄まじい偉業を為し、異世界の人間からは信仰にも近い信頼を寄せられている。
シキンと戦った
それが
「――ははは」
ただそこに現れただけで、圧倒的な安心感が身を包む。
これが山本勇輔という男か。
日本最強の魔術師と呼ばれた土御門は、誰かを頼るということはできなかった。式神を扱う魔術の万能性も、それに
誰かに任せるよりも自分が動いた方が圧倒的に速く、信頼できるからだ。
そんな土御門が初めて、対等に力を借りたいと感じたのが山本勇輔だった。
その判断は間違いではなかった。
『‥‥馬鹿な。エキドナはどうしたの』
崩れない機会音声に、動揺が見えた。
勇輔は榊がこの領域の主だと瞬時に理解したのか、土御門を守るように立ちながら答えた。
「『ああ、強かったぞ。そのせいでここに来るのに時間がかかった』」
『‥‥』
あの
強かった。
ギリシャ神話最恐格の怪物、間違いなく神性を宿していたであろう敵を、
ふざけている。
そして平然とここに立っている時点で、それは嘘ではないのだろう。
事実、勇輔の頭上には半分ほどに減ったHPバーが見えた。激闘だったのは間違いないだろうが、それでも半分だ。
『そう。できればあなたにも、ここで眠っていて欲しかった』
「『悪いがそういうわけにもいかない。他のモンスターはコウが対応している。あとはお前を倒せば終わりだ』」
『あなたのことは、たくさん調べた』
榊が言う。
『生まれも、育ちも、異世界での生活も、魔術も、ありとあらゆるものを調べた』
「『どうやってかは知らないが、あまりいい趣味ではないな』」
『エキドナを当てれば倒せると思っていたけど、それを超えてくるのなら仕方ない』
そう呟く彼女の背後から、誰かが現れた。
いつからそこにいたのか、土御門でさえ気付かない程に静かに歩いてくる。
無機質な声が淡々と響いた。
『こういうやり方を、取るしかない』
現れたのは一人の女性だった。
日の光を受けて炎のように輝く緋色の髪に、森よりも深い新緑の瞳。
誰もがその美貌に目を奪われるだろう。誰もがその内に秘めた生命力に、心打たれるだろう。
魔力が恐ろしさすら感じる程滑らかに、彼女の身体をドレスのように覆っていた。
土御門晴凛は彼女を知らなかった。
知らなくとも、彼女がただならぬ人物であることが一目で知れた。
彼女の名は、エリス・フィルン・セントライズと言った。
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