第38話 元勇者にも人間関係ばかりはどうにもできない

 一度家に戻り、俺たちが学校近くの居酒屋『笑楽』に集まったのは、夕焼けの朱と青空が入り混じる黄昏時だった。


 黄昏時とは、元々は相手の顔が分からなくなる故に、「誰そ彼」と尋ねるというのが語源なんだそうな。君の名は。でそう言ってた。


だが、現代だとこの時間で相手の顔が分からなくなるなんてことはない。本当に、街灯も何もない時代に生まれたからこその言葉だ。


 この時間帯は別名『逢魔が時』とも言う。所謂夜と昼とが切り替わる時に、常夜の住人が顔を出すと考えられている時間。


 それは、昼夜を問わず光が灯る今でも例外ではない。


 ふわふわと何かに導かれるように、黒い毛玉が空を飛ぶ。実際は毛というよりはもやが固まって出来た煙のような見た目だが、毛玉みたいなもんだろ。


 それは分類的には悪霊になるものだ。人の負の思念を受けて生まれる、思いの残滓。


 これ単体では大した力はない。せいぜい近くにいると視線を感じるとか、その程度のものだ。


 だが、それでも悪霊は悪霊。放置しておけば、いずれ毛玉同士が合わさり、巨大な災いへと転じる可能性もある。だから、なるべく俺は毛玉を見かけたらそっと握りつぶすことにしている。


 普通の人にはお勧めしない、というか出来ないが、勇者として特殊な訓練を受けた俺なら傷一つつくことはない。


 なので、今回も俺は偶々見かけた毛玉へ手を伸ばそうとした。


 けれど、それよりも先に伸ばされた手があった。


 白く、たおやかな腕が静かに空へ上げられ、細い指先がそっと毛玉に触れる。


 桜色の唇が、小さく動くのが分かった。


「還りなさい、あなたが無垢であった頃に」


 本当に微かな、魔力の発露。


 指先から放たれた金の雷は優しく毛玉を解し、一瞬の幻のように空に溶けて消えていった。


 見惚れる程に、繊細な魔力制御だ。俺がここまで巧みに魔力を扱う人間を見るのは、三人目だろうか。


 一人目は俺が召喚された国の王女であり、世界屈指の魔術師だった赤髪の少女、エリス・フィルン・セントライズ。


 二人目は、最強と謳われた魔族の王、ユリアス・ローデスト。


 そして目の前にいる三人目、夕焼けの赤を受けて艶やかに輝く濡れ羽色の髪に、湖を覗き込んでいるような錯覚を覚える黒い瞳。はじめて見た時から、何度見ても、心臓が荒ぶる綺麗な顔立ち。


 毛玉を祓った伊澄月子が、感情の読めない表情で俺を見ていた。


 ああ、本当に月子は魔術師だったんだな。戦っている姿は見たことはあったけど、こうして普段の生活の中で自然と魔力を使う姿を見ると、改めてそう思う。


 月子はそのままツカツカと俺の方へ歩いて来ると、顔を寄せてきて呟いた。


「勘違いしないで。今日来たのはあくまで仕事だから」

「‥‥」


 それだけを言うと、月子はまたすぐに離れていった。


 ポンと、俺の肩に手が置かれる。いつの間に来ていたのか、すぐ近くに総司が来ていた。


「あー、悪いな勇輔。松田が一応誘ったらオーケーが出ちまってな。ほら、今までは毎回誘ってただろ」

「‥‥総司」

「どうした?」


 いや、大したことじゃないんだが。


「入学当初の月子もあんな感じでつんけんしてて、なんだか懐かしいなあって」

「‥‥お前、ちょっと見ない間にメンタル強くなり過ぎじゃねーか?」


 そうか?


 まあ、いつまでもクヨクヨしててもしょうがないし。フラれた直後の余所余所しい感じに比べれば、まだ今の方がいい。


 にしても、仕事ってのは多分リーシャを見張ることなんだろう。対魔特戦部としては、次の魔族を見つける一番手っ取り早い方法がリーシャの身辺を探ることだからな。


 ちなみに当のリーシャはといえば、陽向に連れられて二人で何かを話している。


 陽向がチラチラと俺の方を見て来るので、月子が居るのを悟ってわざと引き離したな。どこで修行すれば身につけられるの、その空気を読む力。俺も欲しい。


 月子は少し離れた所で仏頂面のまま立ち、松田は陽向とリーシャに話しかけては撃退されている。


「じゃあ、これで全員揃ったのか」

「いや、まだ一人だけ――」

「よう、二人共! これから飲み会だっていうのに、なんだか辛気臭い顔してるなあ!」


 ドン! といきなり俺の背中に衝撃が走った。翻った長い黒髪が顔に当たる。


 俺の肩に、見慣れた顔が乗っていた。


「あれ、会長?」

「おおう! リーシャの歓迎会なんだろう、会長の私が出ないでどうする!」

「いや、確かに理屈としては分かりますけど」


 この女性は早坂朱里はやさかあかり、我らが文芸部の会長だ。ストレートの黒髪に、女性にしては高い背丈。凛とした容姿も相まって、可愛いや綺麗より、格好いいという評価がよく似合う人だ。


 いや、誰だよ、この人呼んだの。


「なんだぁ、その目は! 私がいちゃ悪いのか!?」

「いちゃ悪いって言うか、会長めっちゃ酒癖悪いじゃないですか」


 そう。この人、酒乱の上に絡み酒という、一緒に飲みたくないランキングトップファイブには入りそうな人なのだ。


 総司がとても申し訳なさそうな顔で片手で合掌する。


「‥‥すまん、その人は俺と松田が話している時に偶々通りがかってな」

「ああ、そういう」

「こんな楽しそうな飲み会で会長をハブにするもんじゃないぞ!」

「じゃあもう少し節度ある飲み方をしてくれませんかね」

「節度をもった飲み会なんて飲み会じゃないだろ!」

「だからハブられるんですよ‥‥」


 そもそも今日の主役未成年ですからね? その辺大丈夫かな、この人。


「というか、会長既に酒臭いんですけど、もしかしてもう飲んでます?」

「飲んでないぞ」

「缶チューハイは?」

「ジュースみたいなもんだろ」

「飲んでるじゃないですか! なんですぐバレる嘘つくんですか!」


 そういうところだよ!


 すると会長は唇を尖らせ、これまでの態度から一転、小さな声で言った。


「しょ、しょうがないだろ。‥‥と飲むのだって久しぶりなんだし、緊張するだろ‥‥」


 言葉の途中は小さすぎてよく聞こえなかったが、誰の名前を言ったのかはすぐ分かった。


「はぁ‥‥、普段からそれ位しおらしければいいと思いますけど」

「うるさい、黙れ」


 会長の悪態に、溜息が漏れる。


 黒い髪に隠された会長の視線は、チラチラと総司に向けられていた。‥‥まあ、そういうことだ。


 普段から凄まじいリーダーシップで変人共をまとめ上げる会長も、一皮剥けば女子高育ちの恋する乙女。


 いや、毎度毎度想い人にフラれては意気消沈する元勇者よりはよっぽどマシか。


「「はぁ‥‥」」


 これから楽しい飲み会だというのに、俺と会長の二人だけはなんとも言えず重いため息を吐くのだった。

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