第39話 未成年の飲酒をしてはいけません

「それじゃ全員飲み物は持ったな」

「「「はーい」」」

「よし、じゃあリーシャさんの文芸部加入を祝って――乾杯!」

「「「乾杯!」」」


 俺たち七人はテーブルの上でグラスを打ち合わせると、そのまま黄金色に輝くビールを喉に流し込む。


 くはー、やっぱりこれだよ。アステリスの文明度は決して低くなく、科学と魔術が共存して発達しており、生活水準だけなら現代日本ともさほど変わらなかった。流石にインターネットなんかはなかったけど。


 ただ、どうしたって料理や飲み物はこちらの方が圧倒的にうまい。アステリスの料理がマズイっわけじゃなく、まだ戦争が当たり前にあるアステリスと平和な時代が長く続いている日本とでは、料理の開発にかけられる熱意と時間、金が違い過ぎる。この美味いビールの味と喉越しは、どうやってもアステリスじゃ出せないもんだ。


 大企業が何十年も鎬を削って万人受けするよう作っているんだから、当然なんだけど。


 唇に泡がつくのも厭わず、ゴクゴクと喉を鳴らしていると、ふと視線を感じた。


「‥‥」


 なんか、オレンジジュースを両手で持つリーシャが俺を見ている。


「どうした?」

「‥‥いえ」


 なんだ、何か言いたげだな。


「‥‥」


 今度は俺がオレンジジュースをちびちび飲むリーシャを凝視する。リーシャは暫くすると居心地悪そうに身体を捩った。


「あの、そんなに見られると飲み辛いです」

「じゃあ言いたいことがあるならハッキリ言え」


 気になるだろ。


 リーシャは困った顔で視線を彷徨わせると、意を決したように俺の目を見た。


「その‥笑わないで欲しいのですが」

「確証はできない」

「そこは頷いてほしかったです‥‥」


 だって頷いてから笑ったら、余計に怒るじゃん。昔それでエリスをキレさせた挙句、魔術を叩き込まれたことがあるからな。でもあの時は、心底真面目な顔で「キスしたら子供ができるって本当?」なんて聞いて来たエリスが悪いと今でも思ってる。


 王族ってむしろそういう教育必須だろ、乳母もちゃんと教えてやれよ。まあ腹抱えて過呼吸になるくらい笑ったのは悪かったが。


 え、もしかしてリーシャの話もそういった系? 確かに純粋培養な聖女なら全然ありそう。男同士の友情は殴り合いから始まるとかいう少年漫画理論を教え込む環境だからな。


 リーシャは頬を赤らめ、モジモジしながら口を開く。


「あの、そのですね」

「ああ」


 結局エリスの性知識はエリス付きのメイドに頼んだけど、リーシャはどうしよう。松田は論外、月子に頼んだら殺されるし、会長も悪ノリしそうで駄目だ。陽向なら普通に教えてくれそうだが、後輩に「子供の作り方を教えてやってくれ」って頼むとか、人間として終わってる。流石に総司に頼むのもなあ。


「リーシャ、やっぱりこの話は戦いが終わってからゆっくり」

「――お酒って、そんなに美味しいんですか?」

「ん?」

「え?」


 俺とリーシャのキョトンとした声が重なった。


「ユースケさん、戦いが終わったらとは」

「ああ、お酒! お酒ね! そりゃ美味いに決まってるだろ!」


 アブねーー! 危うく勘違いで凄いこと言うところだった! 本当に捕まるわ!


「先輩、なんの話ですか?」


 俺の隣でお通しを摘まんでいた陽向が混ざってくる。


 ちなみに今日は七人なので、俺の左にリーシャ、更にその隣に総司。そしてお誕生日席のように俺の右斜め隣に陽向が座り、対面には松田、会長、月子と並んでいる。つまり俺と月子が対角線で一番遠くなるようになっているのだ。


「いや、リーシャがお酒って美味しいのかってさ」

「あー、リーシャちゃんもそういうのに興味のあるお年頃なんですね」 


 陽向はロックの梅酒を揺らしながら言う。


 どうでもいいけど、それ結構度数高いやつだよね? なんで乾杯終わった時点で既に半分以上中身ないの? 早くない?


「待て陽向、そもそもお前まだ未成ね――」

「シャラップ先輩。世の中には暴くべきでない事実があるんですよ」


 こいつ、悪びれもせずに言い切りやがった。まあこの『笑楽』が大学生御用達なのはその辺りの理由もあるので、ツッコムのはよそう。そもそも俺も去年普通に飲んでたし。


「陽向さんもお酒はお好きなんですか?」


 リーシャはそう言いながら陽向の方に身を乗り出す。ついでにブラウスに包まれた立派なお胸様もテーブルに乗り出した。


 それに合わせて松田の目も飛び出さんばかりに開かれる。


 せいっ!


「ぬあー! 目が! 目がぁぁああ!」

「ユースケさん!? 突然なにをするんですか!?」

「リーシャ、これは松田のためにも必要なことなんだ」


 完全に目が犯罪者のそれだったからな。まあ瞼を下ろして軽く目を圧迫しただけなので、ちょっとビックリするくらいだ。またつまらないものを突いてしまった。


「‥‥先輩もガッツリ見てましたけどね」


 ははー、なんのことかなー。


 気を取り直して、リーシャは陽向に言った。


「あの、私の母国ではもうお酒を飲んでもいい年齢なのですが、まだ飲んだことはなくて」

「あ、そういえば外国だと早いところは早いって言うもんね。リーシャちゃんのところもそうなんだ」

「はい、一応十五歳から飲めることにはなっています」

「わ、早い。えーと、リーシャちゃんが十六歳だから、一年間くらいは飲んでないのね」

「私も聖酒くらいは嗜んだことはあるのですが」

「清酒?」

「あー、日本で言うお神酒みたいなもんだよ。ほとんどアルコール飛ばしてるから水と変わらんけど」


 アステリスでも、アルコールは様々な場面で殺菌のために使われてきたから、神聖視することでその重要性を後世に伝えているのである。そうして一年の終わりに感謝を込めて聖酒を呷るのだ。


 陽向は梅酒を飲み干すと、メニューを手に取る。


「まあ、お酒じゃなくても美味しい飲み物はたくさんあるし、飲みたくなったら飲めばいいんじゃないかな。‥‥あ、すいません、これ一つお願いしてもいいですか」


 陽向が尤もらしいことをリーシャに言うが、おい未成年、君が今頼んだの辛口の日本酒だろ。二杯目からそれって、酒飲みじゃなきゃしない選択だぞ。


「そういうものでしょうか」

「気になるなら一口飲んでみるか?」

「先輩、未成年に飲酒させるなんて本当に捕まりますよ」


 む、確かに。どの口が言っているんだというツッコミはさておいて、Jkに飲酒はマズイ。


 アステリスに居た頃は確実に十五歳になる前から飲まされていたから、ついそのノリで言ってしまった。


 すると、今まで目を抑えて黙っていた松田が徐に口を開いた。


「じゃあ、こういうのはどうかな」

「こういうの?」


 それから松田が少しばかり席を外し、数分すると店員さんが陽向の頼んだ日本酒と、何やら綺麗な赤い色の飲み物を持ってきた。


「はい、リーシャさん」


 その赤いグラスを、松田がリーシャの前に置く。見た所カクテルみたいだけど。


 日本酒をお猪口に注ぎながら陽向が聞いた。


「松田さん、なんですかこれ」

「ノンアルコールカクテルだよ。甘くない、大人の味なやつ」

「へー、この店にそんな洒落た物があるなんて初耳だ」

「メニューには載ってないけど、大将に頼めば作ってくれるんだよねー」

「俺、笑楽の大将と喋ったことなんてないけど」


 いっつも厳めしい顔して厨房を忙しく動き回ってるあの人だろ? 


「私も話したことないです‥‥」

「まあ人の縁も色々ってことですよ」


 存在からして謎な男だが、交友関係まで謎だな、松田。


 まあ松田だし、深く考えたら負けだ。


「じゃあ、とりあえず飲んでみれば? リーシャ」

「こ、これがお酒ですか‥‥」


 いや、ノンアルコールカクテルだからお酒ではないけど。


 ただ、ここではそんな無粋な言葉は言わないでおこう。


 眉に皺を寄せたリーシャは、恐る恐るグラスの縁に口を付け、傾ける。そして、暫く固まった後、なんとか喉が動いた。


 壊れかけの人形みたいにリーシャの首が動き、涙の溜まった紅い目が俺を見る。


「ゆーずげざぁん」

「おお、なんだ。何となく予想はつくけど」

「からぐてすっぱぐて、にがいでず‥‥」


 どうやらこのノンアルコールカクテルは聖女の舌には合わなかったらしい。リーシャの持っていたグラスをひょいと取り上げ、匂いを嗅いでみると、意外とスパイシーな香りが漂ってきた。


「松田、なんだこのカクテル」

「バージンメアリー。ブラッディ・マリーのノンアル版だね。基本的にはトマトジュースとタバスコとレモン、あとはオイスターソースを混ぜて作る」


 タバスコ入ってんのかよ、そりゃ辛いわ。というか飲み物にオイスターソースって、そんなカクテルもあるんだな。


「なんでそんな初心者に向かないカクテルを‥‥」

「リーシャさんが飲みたがってたのってお酒でしょ。ジュースみたいなカクテルじゃ意味ないかなって。それに、お酒に変に幻想持つよりいいでしょ」

「松田が珍しくまともなこと言っとる‥‥」

「明日は嵐ですかね‥‥」

「おおっと二人共失礼だなあ、もっと言ってくれていいんだよ?」


 ビクンビクンと震える松田。良かった、いつも通りの松田だ。いや、よくはないな。


「ユースケさん、それ貸してください」

「ん? まだ飲むのか、これ」


 オレンジジュースで口直しをしたリーシャが、カクテルを指さすが、眉は垂れ下がり、今にも泣きそうな顔だ。


 そんな無理せんでも。


「でも、食べ物を残してはいけません。幸い、そんなに量も多くありませんし‥‥」


 ふむ、なるほど。


「なら、これで問題ないな」


 俺は手に持ったバージンメアリーを一気に飲み干した。トマトジュースの酸味の中でタバスコの刺激が弾け、オイスターソースの微かな苦みが舌に広がる。


 うん、不味くはないけど、やっぱり初心者向けではないわ。


 空になったグラスを机に置くと、リーシャと陽向が信じられない者を見るような目で俺を見ていた。


 特にリーシャの動揺は激しく、言葉の出ない口がパクパクと開閉していた。


 え、なに。




「――ふ、ふふ、ふふふしだらです!!」




 久々に聞いたな。その台詞。


「何がふしだらなんだよ‥‥」

「こ、婚姻関係にもない男女が、お、同じグラスに口をつけるなんて‥‥」


 ええ、そんな中学生じゃないんだから。


 しかし考えてみると、ハンバーガーに噛り付くのでさえ抵抗を示したリーシャだ。その箱入りっぷりは想像を絶する。


 なんで男の部屋では平然と寝るくせに、間接キスはアウトなんだよ。よく分からん規準である。


「別にこっちじゃ間接キスくらい普通なんだぞ、リーシャ。なあ陽向?」

「は? あり得ないと思いますけど?」




 ええぇ‥‥。

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