第245話 俺にも何が起こったか分からねえ

 シキンは腕を組み、淡々と言った。


「私が拳を握り、鍛錬を始めてから千年が経っている。生憎、詳しい年月は覚えてはおらぬが、確かその程度であろう」

「『‥‥』」


 なんだこいつ、馬鹿にしてるのか。それとも本物の馬鹿なのか。


 千年だぞ。


 もはやおとぎ話や歴史の教科書でしか聞かないような年月だ。その間生き続けて、鍛錬を積み重ねてきたとでも?


「『何を馬鹿なことを』」

「そう言いたくなる気持ちも分からぬでもない。多くの者が同じようなことを言ってきた。しかし事実は事実」

「『‥‥そうか』」


 絞り出せた言葉はそれだけだった。


 嘘を言っているようには見えない。だが内容が内容だけに、頭が理解するのを拒んでいる。


「我が人に見えぬか?」

「『逆だ。人間にしか見えないから、驚いた』」


 魔術師の中には時に人外としか思えない連中もいる。『セナイ』のタリムなんて、その最たるものだろう。そもそもあいつは己の魂をゴーレムとして定着させるという荒業をしていた男だ。


 そういう意味じゃ、人としての見た目を保っている時点でシキンはまともな部類である。


 それにしても千年ね。百年前でさえ実感が湧かないのに、千年前と言われると完全にフィクションの世界だ。


 しかしあいつの拳には、それを信じるだけの重みがあった。


 異世界に呼ばれた元勇者と、千年前から生きる武人。


 当人じゃなければ、ぜひ観戦したいカードだ。


「我が素性を聞いて尚、折れぬか」

「『老体に剣を振るうのは、いささか心苦しいところだ』」

呵呵呵呵呵かかかかか。よき啖呵である。気に入ったぞ勇輔」

「『そうか。それは光栄だ』」


 シキンは笑顔のまま頷き、言った。


「よし、我と双修せよ」


 は? 何言ってんだこいつ。


 双修ってなんだ。聞いたことないけど、言葉の響きからして二人で戦って修行でもしようっていうのか。


 そんなことわざわざこの場で言うかよ普通。


 いまいち意味が分からず、後ろにいる四辻に助けを求めて振り向くと、四辻は頭痛を耐えるようにしながら俺を見ていた。


「『四辻、双修とはなんだ?』」

「あ、あー。なんて言うんだろう。仙道せんどうにおける房中術みたいなものかな」

「『房中術?』」


 どこかで聞いたことある言葉だ。


 四辻は察しの悪い子供にそうするようにため息を吐いてから、答えた。


「セックスのことだよ」


「『‥‥っ⁉』」


 俺はこれまでにない速度で剣を構え、シキンへと突きつけた。


 房中術。どこかで聞いたことがあると思ったら、くのいちが出てくるエロアニメで出てきた言葉だ。その作品では男を誘惑し堕落させる技として使われていた。


「仙道における房中術は、男女で気を交えて己の気を高めるものなんだよ。簡単に言えば、セックスで健康になろうぜっていう修行」


 四辻の説明が後ろから聞こえてくる。


「『‥‥そ、そうか』」


 何そのうらやまけしからん修行法。泥臭く剣を振り続けるより、俺もそういう修行がよかった。


 双修、なんて魅力的な響きなんだ。


 問題は、それを提案したのが筋骨隆々の美丈夫という点である。


 俺は男色ではない。


 これまでにない恐怖だ。女性に襲われて貞操の危機に陥ったことは幾度となくあるが、これはまた別種の恐ろしさがある。


「『断る』」

「何故だ。我とお主であれば、よき修練となろう」

「『男と寝るつもりはない』」


 まあ女性と寝たこともないが。


 俺の言葉を聞いたシキンが、腹を抱えて笑った。


呵呵呵呵呵かかかかか。男同士で交わったところで、得られるものはあるまい。安心せよ、術はある」

「『何を言ってるんだ貴様は』」


 ないだろ。いや、たとえあったとしてもしないわ、そんなこと。童貞じゃなくとも断るだろ、こんなあからさまに怪しい誘い。


 だが俺の切なる思いはまったく届くことなく、シキンは続けた。


「こうすればよい」


 彼はそう言うと、己のへそのしたに指を押し当てた。


 直後、信じられない光景が目に飛び込んできた。


「どうだ、これなら何の問題もなかろう」


 世の女性全てを魅了する美丈夫は消えていた。かわりにそこに立っていたのは、引き締まった健康的な肉体に、女性らしい稜線をあわせもった美女だった。薄い上着の向こうで、蠱惑的こわくてきな肌色が透けて見える。




 ‥‥どういうことだってばよ。





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今週は1話更新です。

カクヨムコンに本作と、過去に書いた作品で応募したいと思っております。その時はよろしければご声援いただければ幸いです。

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