第320話 赤い帽子
「マ、マジュツ」
「マジュツシ! マジュツシ‼ オンナ‼」
ゴブリンたちが
どういう理屈で生まれた怪異かは分からないが、ゴブリンといえば、その生態は相場が決まっている。女を
普通の少女であれば、その下卑た視線を向けられただけで、生理的恐怖に固まってしまうだろう。
だが軋条紗姫は、生憎と普通の少女ではなかった。
両手に握った指向性スピーカーから、大音量の音楽が流れ始めた。重低音が腹の底を殴りつけるような、ヘヴィメタル。
紗姫は向けられた視線を殴り返すような勢いで、喉を震わせた。
「『くせぇ! 汚ぇ! キメぇ! 3Kクソゴブリン‼』」
絶叫に呼応するように、黒い
音と魔力の圧が、走り出そうとするゴブリンたちを押し潰す。
「『てめーらには高嶺の花だ、
軋条紗姫が使う魔術は、『
本来は朗々と雅楽に乗せて歌い上げる術式だが、紗姫は、その天才的なセンスによって、あらゆる楽曲に自分の思いを乗せることができる。
激烈な思いが込められた
「ギャギャッ⁉」
「ィギャッ‼」
ゴブリンたちは何とか逃げようとするが、声が聞こえる範囲では、『千首神楽』から逃れる術はない。
そうして倒れていくゴブリンたちを見ながら、紗姫はあることに気付いた。貫かれたゴブリンたちのHPバーが、一気に減っていったのだ。
それがゼロになると、ゴブリンは光の粒子となって消えていった。
全てのゴブリンが消えるまで、一分もかからなかった。
「何よ、今の‥‥」
紗姫は今見た光景を処理しようと頭を働かせた。けれどいくら考えようが結論は一つだった。
この頭に浮かんでいるHPバーは、本当にその生物の命を表しているということだ。
ゴブリンたちは『千首神楽』によってHP――体力を消し飛ばされたから消えた。
「‥‥」
紗姫は思わず自分のHPバーを見上げた。
ダメージを受ければ、傷を負えばいずれ死ぬ。そんなことは、当たり前のことだ。今までと何か変わったわけではない。
しかし命という最も重いものが、ゲームのようなゲージに、軽く、無機質に表されているというその事実に、寒気がする。
どこの誰がやったのか知らないが、ひどく悪趣味だ。
とにかくここの怪異は祓った。次の指示をもらおうと通信機を使おうとした時、紗姫は風切り音を聞いた。
「っ⁉」
身体を捻ることができたのは、幸運だった。
ドッ! と鈍い音が全身を走り、腕に痛みと熱が広がる。
「いった‼」
思わず叫びながら、それでも止まることなく地面を転がる。横からガガガッ‼ と連続して硬い物がぶつかる音が響いた。
紗姫はそれが何か確認する暇もなく、どこかの店に転がり込んだ。
「‥‥何よ、いきなりぃ」
ジンジンと痛む左腕を見ると、そこには短い矢が突き刺さっていた。傷から血が滲み、ぽたぽたと指先を伝って落ちていく。
狙撃されたのだ。
「この、マジ最悪‥‥!」
紗姫が周囲を見ると、この店は古着屋らしかった。適当に目に入ったシャツを取り、傷口より上を手と口で強く縛り上げる。
本当なら矢を抜いて、止血シートを使いたいところだが、おそらく矢じりには返しがついている。無理に抜けば傷口が広がるし、そもそも紗姫の力では激痛に耐えながら抜くのは無理だ。
ちらりと上を見ると、案の定HPバーが十分の一近く減っていた。それもじりじりと減り続けている。
出血による減少だろう。
「こんなところばっか、現実に準拠すんじゃないっての」
紗姫は毒づきながら店の入り口に近寄り、ポケットからスマホを取り出し、カメラモードで店の外を映す。
「‥‥あいつか」
向かいの屋根の上。何かが座っている。ズーム機能を使って拡大すると、より詳細な姿が見られた。
大まかな見た目は先ほどのゴブリンと同じだ。しかしその頭には、サンタクロースのような真っ赤な帽子を被っている。
ゴブリン同様、西洋ではメジャーな
鉄の
それがボウガンのようなものを持って、紗姫を狙っている。
「ムカつくわね‥‥」
転がる中で、スピーカーも落としてしまった。
携帯でも音楽は流せるから、魔術自体は発動できるが、『千首神楽』はその性質上、発動までにラグがある。
攻撃するまでに、詰められてボウガンを撃たれると、相当辛い。
どうするか、とそう悩んでいる時間もなかった。
ガガンッ! と硬い音が響き、カメラに三体の影が映った。
三体のレッドキャップが、屋根から飛び降りてきたのだ。その手には、手斧が握られている。
ボウガンを持ったレッドキャップも変わらず屋根の上でこちらを狙っている。
「四対一って、卑怯すぎるでしょ‥‥」
ドッと汗が吹き出し、脚が震える。
ゲームなら、HPバーが全損しても、
このゲームと現実が混じり合った世界では、どうなるのだろうか。
じりじりと減っていくHPバーと、カツンカツン、と響く鉄の
「ぁ‥‥は‥‥」
相手に聞こえないよう、小さく息を吐き、吸う。
やれることは一つだ。あとはそれをするだけの覚悟だけが必要だった。
紗姫は身体の震えを腕で押さえながら、その時が来るのを待つ。
魔力がマグマのようにたぎり、心臓から熱が駆け巡る。
――カツンッ。
長靴の音が、すぐ近くで響いた。
そうだ、店の入り口は狭い。当たり前に入ろうと思ったら、重ならざるを得ない。
紗姫は隠れていた古着を払いのけ、全魔力を喉からほとばしらせる。
「『軋め‼』」
鋭い一声と共に放たれた黒い
余波で店の壁が吹き飛び、服がバタバタと宙を舞った。
その中で、紗姫は自分の失敗を知った。
(しまっ――)
威力を重視しすぎるあまり、その後のことを考えていなかった。前面が吹き飛んだ店は、外から丸見えだ。
つまり、屋根の上のレッドキャップがボウガンを構えていた。
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