第321話 男なら自分で守れ

 今まさに発射されんとする矢が、正確に自分の額を狙っているのが分かる。しかしどうにもならない。今の紗姫は動けない。


 その瞬間は、不思議とスローモーションで見えた。


 レッドキャップのすぐ横に、誰かが現れた。それは凄まじい速度で肉薄しながら、レッドキャップの首を何かで一閃する。


 クルクルと飛ぶ赤い頭と、れて頬をかすめる矢。


 直後、全ての時間が正常に戻った。


「紗姫‼」


 屋根の上で叫んだのは、動けないはずの真理だった。彼はラフな服を着替えることもせず、片手に小太刀を握って、紗姫を見る。


「逃げろ‼」


 その言葉が何を意味しているのか、視線を下に落とした紗姫はすぐに分かった。


「ゲギャギャギャッ‼」


 レッドキャップが斧を振り上げながら飛びかかって来ていた。


 紗姫が放った言霊は、厳密には『千首神楽』ではない。魔力でぶん殴る原始的な技。故に、全員を倒しきるには至らなかったのだ。


「――‼」


 すぐ目の前に迫る脅威を前に、紗姫さきは退くのではなく、踏み込んだ。あのいけすかない伊澄月子を超えるために、彼女は近接戦闘の訓練も欠かさなかった。


 レッドキャップの腕を取り、その枯れ枝のような身体を投げ飛ばす。


「ギィ!」


 しかしそこまでだった。生き物は、即死でもしないかぎり、動く。そして紗姫には、投げた後に追撃するほどの経験はなかった。


 床に寝転がったまま、レッドキャップが斧を振り回そうとした。


「っらぁ‼」


 上から真理が飛び込んだ。斧に斬られるかもしれないというリスクを度外視して、一直線に飛来し、そのまま小太刀をレッドキャップの喉へ突き立てる。


 レッドキャップのHPバーが消し飛び、その身体は光となって消えていった。


「はぁ、はぁ‥‥」


 地面に小太刀を刺したまま、真理は荒い息を吐く。


 そして紗姫の方を見た。


「その傷、大丈夫か?」

「だ、大丈夫よこれくらい。あんたこそ、身体平気なわけ?」

「平気じゃねーよ‥‥」


 真理はそう言いながら、仰向けに倒れた。今ので間違いなくいくつかの傷が開いた。


 それでも明らかな異常事態。紗姫を一人で行かせるわけにはいかなかった。


 紗姫はそんな真理の様子を見ながら、口をもごもごとさせる。


「そ、その、あ、あり――」

「にしても、なんだんったんだ、あいつらは」

「‥‥」

「ん、悪い。なんか言いかけたか?」

「うっさいわね、なんも言ってないわよ!」


 何をそんなに怒ってんだよ‥‥と真理はため息をいた。


「今東京全域であの手の怪異が現れまくってるらしい。ニュースもSNSも大変なことになってるぞ」

「は、マジ⁉ 大変じゃない!」

「大変なんてレベルじゃねーよ。対魔特戦部始まって以来の大規模霊災だ。下手すりゃ、ここで歴史が大きく変わることになる」


 これまで怪異や魔術は、オカルトの範囲に収まっていた。実在するかどうかが重要なのではない。認知されているかどうかが重要なのだ。


 対魔特戦部は一般市民の安全を確保するのと同じくらい、怪異や魔術の隠蔽いんぺいに努めていた。


 それは混乱が起きるから、というだけではない。知られた結果、本来起こるはずのなかった災害や事件が起きる可能性があるからだ。


 しかしこうなれば、隠蔽は不可能だ。


「とにかく、それに関しては俺たちが考えても仕方ない。支部に戻って、治療を受けるぞ」

「そうね、とりあえずあんたをベッドにぶち込まなきゃいけないし」

「その前に腕の矢抜くのが先だろ」


 そう言いながら、真理は立ち上がろうとし、そこに紗姫が肩を貸した。


 珍しいこともあるものだと思いながら、真理は細い肩を借りて立った。


 二人はなんとか店から出て、支部に向かって歩き始める。その背後から、重い足音が聞こえたのは、すぐのことだった。


「‥‥冗談だろ」

「最悪」


 二人は同時に呟き、振り向いた。


 商店街の奥から、のっそりと巨大な影が歩いてくる。でっぷりと突き出た腹に、丸太のように太い腕。顔は牙の長い豚だ。手に握った棍棒が、殺意をありありと伝えてくる。


「ゴブリンの次は、オークってわけ? マジで趣味悪いわね」

「言ってる場合かよ。紗姫、俺は置いて支部に戻れ」

「は? 何馬鹿なこと言ってんの?」

隠形おんぎょうなら俺の方が得意だ。俺なら一人でも隠れ切れる」

「つまんない冗談は顔だけにしなさい」


 紗姫は真理の身体を掴みなおすと、引きずるようにして歩みを速める。


 オークたちは既に二人を補足しているのか、笑いながら歩いてくる。それは次第にスピードを上げ、確実に距離を潰してくる。


 それはもはや大型車に追われているようなものだった。


 ダンッ! と踏み込みの音が地面を鳴らした。


 その一歩で、彼我ひがの距離は一切消え、オークの棍棒の間合いとなった。


「こんのっ――‼」


 汚い笑みに覗く歯まで見える近さ。紗姫は再び言霊の大砲をぶっ放そうと魔力を喉に込めた。


 それで倒せるかは分からない。それでも何もしないまま殺されるなんて、認められない。


「ブォォォオオオオオ‼」


 空気を爆散させる、衝撃。


 叫びと共に、振り下ろされた棍棒は確実に頭を砕いた。その中身と共に赤をぶちまけ、HPバーを一瞬にして吹き飛ばした。


 そうして、オークは棍棒を振り上げたまま、光と消えた。


「‥‥な」


 紗姫が見つめる先で、広がっていた黒い毛皮のコートが重力を思い出したかのように落ちていく。


 突如として空から落ち来た男が、そのままオークを一撃でほふったのだ。


 浅黒い肌の中で、肉食獣のような瞳が紗姫たちを見つめていた。


 正確には、真理の方を見ていた。


「男なら自分の手で守ってみせろ」


 男はそれだけを言った。その目は、あの山の中で真理たちを助けた大学生、山本勇輔のものとよく似ていた。


 次の瞬間、男はその場から消えていた。あるいは、真理が見ていたものは既にその影だったのかもしれない。


「っ‥‥!」


 真理は歯を食いしばって足に力を入れ、自分の身体を支える。


「紗姫、帰るぞ」

「わ、分かってるわよ。何だったのかしら、今の」


 そんなこと知るわけがない。


 ただ分かるのは、自分がこの大波から幼馴染を守るためには、隠れているだけでは駄目だということだ。


 あの時は感じなかった悔しさを噛み締めながら、真理は歩き続けた。

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