第322話 もしも世界がゲームになったら

     ◇   ◇   ◇




 俺たちがその異変に気付いたのは、午前中の訓練をしているところだった。


「『ん?』」


 月子と模擬戦闘をしていた俺は、微かな違和感に月子の突きを指で挟んで止めた。


「‥‥な、何‥‥?」


 息も絶え絶えな月子が、状況が分からず槍を振り払おうとする。


「『すまない。何か違和感を感じた』」

「違和感‥‥? また魔力操作が崩れていたかしら」

「『いや、いい突きだ』」

「指で止められているのに、説得力ないわ」


 そりゃ申し訳ない。突然のことに驚いて思わず全力を出してしまった。


 でも前までは鎧なしでも十分相手できていたのに、今は鎧を着ないと十分な訓練にならないのだから、月子の成長スピードはすさまじい。


 本当、世の中天才っているもんだ。


「ユースケさん、どうかしたのですか?」

「違和感ってなんですか? ノワも似たようなこと言ってますけど」


 リーシャと陽向が聞いてくる。


 ノワも同じことを思っているってことは、間違いではなさそうだ。


「『とりあえず、何が起きてもいいように一回上に――』」


 言葉は最後まで言えなかった。


 何かが来る。


 俺は魔力を一気に回し、あらゆる襲撃に対応できるように構えた。


 しかし訪れたのは、想定していたものとは違っていた。


 部屋全体を覆う異質な空気。いや、部屋だけではない。おそらく家も含めて周辺一帯が魔術に飲み込まれる。


 これは、魔術領域まじゅつりょういきか。


 それもただの魔術領域ではない。この規模で、生物のように複雑に流動する魔力操作が維持されている。結界という言葉を超え、もはや異界を創造したかのような魔術。


「『沁霊術式による魔術領域の展開』」


 おそらくそれで間違いない。


 どこの誰だかは知らないが、随分無茶苦茶なことをする。


「『リーシャ、月子、陽向、大丈夫‥‥か‥‥?』」


 はい?


 え、なにそれ。


 俺は月子たちの頭の上に浮かんでいるものを見て、言葉を無くした。


「私は大丈夫だけれど、あなた、頭の上のそれは何?」

「‥‥先輩、なんですかそれ。私のことからかってるんですか?」


 二人の反応を見て、俺も自分の頭を見上げる。そこには月子たちと同じものが浮かんでいた。


 緑色のバーだ。


 言ってしまえばただそれだけのシンプルなものだが、それを見た多くの人は、あるものがイメージされるだろう。


「『HPバー‥‥か?』」


 それは誰がどう見てもゲームに出てくるHPバーだった。余計な装飾はない、非常にシンプルな代物である。触れるのかと手を伸ばしてみたが、実体はなくすり抜けるだけだった。


「『これが術式の効果なのか?』」


 これだけのために魔術領域が展開されたとは考えにくい。とりあえずHPバーに害はなさそうなので、俺は魔術を解除してから言った。


「とにかく一回上に上がろう。これがなんなのか調べなきゃいけないし」

「ええ、そうね」

「本当になんなんですかね、これ」


 ぴょんぴょんとジャンプしてHPバーが動くか確認している陽向を眺めながら、俺たちは家に上がった。


 リビングにはすでにカナミ、シャーラ、そしていつもはいないコウガルゥが集まっていた。


 そして全員の頭の上に、もれなくHPバーが浮かんでいる。なんというか、現実味がない光景だ。


「みんな、無事か」

「問題ない」

「ええ、特に問題はありませんわね」


 シャーラとカナミが答えてくれる。一方でコウは難しい顔をしていた。


「コウ、どう思う?」

「沁霊術式だろ。この頭の上のやつに何の意味があるのかはさっぱり分からねーけどな。新手の帽子か?」

「いや、帽子じゃなくてHPバーだろ」

「えいちぴーばー、ですか?」


 リーシャがひらがなで言う。なんなんだよその言い方‥‥と思ったが、よく考えたらこの異世界人たちがHPバーなんて知っているはずがない。


 つってもなんて説明したらいいんだろうな。


「多分だけど、自分の体力‥‥命の総量をこのゲージで表してるんだよ。ゲームとか創作の世界でよく使われるんだ」

「はーん、これが命の総量ね」


 コウはそう呟くと、座ったままの姿勢でこんを突いてきた。


 俺は周りにぶつからないように、棍を掴んで止めた。


 いったぁ。掌の皮やぶけたんじゃねーの。


「てめえ、いきなり何しやがる」

「いや、命の総量なんだろ。実際攻撃を受けたら減るか確認しといた方がいいじゃねーか」

「だったら自分の頭でも殴って確かめろよ」

「何馬鹿な事言ってんだ?」

「よしそこに座っとけ。今すぐその頭叩き割ってやる」


 俺たちがバチバチとやり合っていると、言い辛そうにカナミが言った。


「ユースケ様、実際に今のでユースケ様のHPバーですか? がわずかに減っていますわ」

「え、マジ?」

「はい、本当に微かではございますが」


 全然気付かなかった。改めて見上げても減っているのかどうか分からない。


 けれど『シャイカの眼』を持つカナミが言うなら、事実なんだろう。


 不本意ながら、この緑色のゲージがHPバーだということが裏付けられてしまった。


「だとしたら本当に意味が分からないな。こんなもの付けたところで、何も変わらないし」


 そう呟いていると、ソファに寝そべっていたシャーラがおもむろにテレビをつけた。


 なんで今テレビなんて見るんだよ、と思っていられたのは一瞬だった。


 ちょうどニュースのチャンネルだったらしく、スタジオでアナウンサーが血相を変えて喋っていた。


『現在街の中に突如として怪物たちが現れ、暴れているとの連絡が入りました。市民の方々は家、あるいは近隣の建物に入り施錠をして、救助を待ちましょう。現在各機関が連携の上、事態の鎮圧に当たるとのこと――』


 普段は言葉を乱すことのないアナウンサーが、声を震わせて喋っている。


 次に動画が映し出された。


 誰かがスマホで撮影したものらしく、手振れがひどい。


 それでも、そこに映っているものはよく見えた。


「どういうこと‥‥」

「なんだよ、これ‥‥。ゴブリンか?」

「魔物みたいだな。こっちの世界にも現れるのか?」


 コウが軽い口調で言うが、そんなことあるはずがない。実際、対魔官の月子が目を見開いて固まっている。


 地球にも怪異は存在している。しかしそれは基本的に人の目には映らない。存在していても、一般人には認識ができないのだ。


 それが今人目に触れ、さらにはメディアにも取り上げられている。それは明確な異常事態だった。


「せ、先輩‥‥、SNSもすごいことになってます‥‥」


 スマホを操作していた陽向が震える声で言った。


 そうか。魔術師だけでなく、この領域にいる人間全員を対象に魔術を発動したのか。


 なんてふざけたことしやがる。


 俺は陽向のスマホを借りて、氾濫する情報に目を通す。


 これで、この魔術領域の本質が分かった。ゴブリンだけでなく、オークや他の怪物たちも目撃されているらしい。そしてこいつらは、ゲームでは当たり前に登場するモンスターたちだ。


 HPバーと合わせて考えれば、おのずと結論が出る。


「この魔術、ゲームの世界を領域の中で再現しようとしてやがる」


 おそらくはそういう仕組みだろう。


 無茶苦茶だ。一般人を何の躊躇ためらいもなく巻き込んでいる点も含めて、頭のねじが何本か飛んでいる。


 俺たちが固まっていると、部屋の通信機が鳴った。


 近くにいた月子が通信を取る。


「――ええ。分かっているわ。こちらでも確認した。――そう。分かったすぐに伝えるわ」


 通信の相手は聞かなくても分かった。


「加賀見さん、なんだって?」

「今東京の各地でさっきみたいなモンスターたちが大量に発生しているみたい。対魔官たちが対応しているけど、まったく手が足りていないらしいわ」

「そうか、分かった」

「だから、申し訳ないけれど、勇輔たちにも助力を頼めないかって」


 そんなもの、答えは決まり切っている。


 俺が振り返ると、部屋にいた全員がこちらを見ていた。


「そういうわけだ。このHPバーが完全に消えると何が起こるのかは分からないけど、あまり愉快なことにはならないはずだ。今からモンスターたちを殲滅しながら、術師を探しに行く」

「わ、分かりました」

「分かりましたわ」


 このタイミングで、これほどの規模の魔術。今回の件は新世界トライオーダーが関わっているとみて間違いない。


 まずは一般人の救助。その上で術師を叩く。そうしなければ、この異変は解決されない。


「ただし、リーシャとカナミ、シャーラ、陽向はこの家にいてくれ」

「どうしてですか? 私たちも一緒に行きます」

「リーシャ、今回の騒動は目くらましの可能性もある。その場合、一番危険なのは君だ。この家にいてくれれば、何かあった時にすぐに助けにこれる」

「それは、そうかもしれませんが」

「それに今回一番必要なのは、機動力だ。リーシャたちを抱えて移動するわけにもいかないだろ」


 この魔術領域は相当広範囲に広がっている。そこにいる全ての人を助けるためには、機動力が必要不可欠だ。そして残念だがリーシャたちにはそれが足りない。


「だからリーシャは家に聖域を張り続けてくれ。カナミ、眼を使って情報を集めて、何か分かったらすぐに連絡をくれ」

「‥‥分かりました」

「分かりましたわ」


 二人が頷く。


 俺はソファに寝転がるシャーラを見た。


「シャーラ、何かあったら頼むぞ」

「んー」


 気のない返事だが、シャーラなら大丈夫だろう。魔術が使えなくても、そこらの魔術師よりよほど強い。


 問題は、


「月子、君は」

「私は救助に行くわ。大丈夫、足手まといにはならない」


 月子は間髪入れずに答えた。それはまあそうだよな。他の対魔官たちも対応に当たっているそうだし、月子が行かないなんてことはないだろう。


 本音を言えば家にいて欲しい思いもあるが、それは俺の気持ちの押し付けだ。月子は強くなっている。そうそう遅れは取らないはずだ。


「分かった。手に余る相手がいたら、すぐに連絡してくれ」

「ええ、分かったわ。ありがとう」

「そんでもって、コウ」

「んだよ」


 我関せずといった様子のコウだが、今回はこいつが鍵になる。


「頼む、とにかく一人でも助けてきてくれ」


 細かいことは言わない。言う必要がない。


 コウは面倒くさそうに立ち上がると、言った。


「てめーは術師を探せ。それ以外はこっちでなんとかする」

「ああ、分かった」


 コウはこれまで出会ってきたあらゆる魔術師の中で、最速を誇る。広範囲を守るというのなら、俺よりも遥かに適任だ。


 俺たちは自分のやるべきことを確認すると、家を出た。


 さて、何を目的にこんなことをしたのかは知らないが、何の罪もない人間たちを巻き込んだことは、高くつくぞ。

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