第130話 獣

 異世界転移だの、神魔大戦だの、冥府だのと世界観がひっくり返るような出来事は何度も遭遇してきた。


 だから大抵のことには耐性ができていると思っていたんだが、


「流石にこれは予想外だな」


 俺はいつの間にか、どことも知れぬ石造りの部屋で椅子に座っていた。


 ここはどこだ? ぱっと見城の謁見室といった様子だけど、内装はほぼ存在せず、無機質な石壁だけが俺を取り囲んでいた。


 おかしいな。さっきまでユネアの膝で寝ていたはずが、今は冷たくて硬い感触だけを感じる。


 俺は椅子から立ち上がると、周囲を見回した。さっきまで座っていた場所は玉座の位置だったようだが、装飾も何もないせいで、荘厳さなどまるでない。


 うーん、どっかで見たことがあるような気もするんだけど。


 仕方なく部屋を出て歩き始める。


 やはりここは城のようだ。それも相当大きい。


 ただ内装らしいものはなく、人影もない。まるで城という形だけを写し取ったかのような不自然な造形だった。


 そして暫く歩いていると、既視感の正体に気付いた。


「ここ、セントライズ城か‥‥?」


 そうだ、見覚えがあって当然。装飾が一切ないせいで気付けなかったが、ここは俺が召喚されたセントライズ王国の城そのものだ。


 どうしてこんなところにいるんだ?


 再びアステリスに召喚されたのかとも一瞬思ったが、ここは俺の知るセントライズ城とは似ても似つかないレプリカである。


 何よりここがアステリスでないことは、すぐに知れた。


「――あれは」


 それはテラスに出た時だった。

 抜けるような青空と降り注ぐ日光が、夜に慣れた目に突き刺さる。


 アステリスの太陽は周囲で光の円環が回っているのだが、空に浮かぶ太陽は地球のそれと同じだった。


 ではここは地球なのか。


 それも違う。


 なにせ俺の目には地球ではあり得ない光景が広がっていたからだ。

 天に届かんばかりの巨大な樹が、空を支えるように枝葉を広げていた。


 現実ではあり得ない大きさだ。こうして遠い位置から眺めているから全容が分かるが、近づけば壁にしか見えないだろう。


 あまりに幻想的なその存在は地球にもアステリスにも存在しない。世界樹とでも呼ぶべき威容だ。


 しかしその樹を見た瞬間、俺はここがどこなのか理解した。


 何故ならたった一度だけ、俺はこの樹を見たことがあったのだ。それは魔王との戦いの最中、己の魔術を見つめ直した時だ。


 恐らくここは沁霊の住まう心象領域しんしょうりょういき。魔術の本質に最も近い場所。


 今までこれほど確かなイメージをもってここに来れたことはない。


 確かに改めて自分を見つめ直そうとは思ったが、だからってこんな簡単に来れるとは。


 いや、多分簡単にじゃないな。


『最後にもう一つだけ、手伝ってあげましょう』


 意識を失う寸前に聞こえたあの声。声そのものはユネアのものだったけど、まるで別人が話しているかのような雰囲気があった。


 何者かが俺をこの世界に連れてきてくれたのか?


 だとしたら一体誰が‥‥。それともユネアには何か特別な能力があったのか。


 うーん、考えても分からん。


 とりあえず確かなことは、俺が望んでいた場所に来れたということだ。理由こそ不明だが結果は最上と言っていい。


 しかし来れただけでは意味がない。俺はここで真摯に向き合わなければいけないことがある。


 さて、向かうべきはやっぱりあそこだよな。


 俺は城を出るために再び歩き始めた。


 城の外には深い森が広がっていた。基本的にはアステリスの植生がそのまま再現されているようだが、中には地球で見る植物もちらほら見かけられた。現実では決してあり得ない世界。


 俺の記憶を基に作られているから、こんなチグハグな光景が生まれる。


 しかし不思議なことに、ここには動物の姿は見られない。植物も生きていると思うんだけど、どうして動物は存在しないんだろう。そこの違いはよく分からん。


 どうやらこの世界では魔術は使えない──というか魔力そのものがなく、身体強化すらできなかった。


 本当の身体は今もユネアの膝の上で寝ているだろうから、それも当然といえば当然か。


 どうにも最近は森の中ばかり歩いている気がする。そのうちの一つは夢だったけれども。いや、今もそう大差ないわ。


 心の中くらいもう少し文明的でいいと思うんだけど、どんだけ自然が好きなんだ俺は。野生児かよ。


 ひたすら歩きづらい自分の心に悪態を吐きつつ、どれ程歩いただろうか。


 もうかれこれ丸一日は歩いたような気がするが、時計もなければ太陽すら動かないこの世界で時間を測る術はない。あるいはもっと長い間歩いているのかもしれない。


 そうして心が折れそうになる程歩き続け、ふと視界が開けた。


 森を抜けたそこは広大な平野だった。


 いや、これは平野というべきか。


 俺の眼前には拓けた大地と、壁と見紛う程に大きな世界樹があった。


 ようやくここまで辿り着いた。

 俺の心象風景の中核を担う場所。


 改めて見るとでかいな‥‥。真下から見上げると高すぎて全体像がさっぱり分からない。


 ただどういう仕組みなのか、空を覆わんばかりに枝葉が茂っているはずなのに陽光はここまで燦々と降り注いでいた。


 不思議世界に論理的な解を求める方が間違っているよな。


 長いことかけてここまで辿り着いたわけだが、生憎俺の目的は世界樹じゃない。


 ここに来ればいるだろうという予感のようなものに従ってここまで来たのだ。そして、その判断は正しかったらしい。




『──――』




 鳴き声とも泣き声ともつかない音が聞こえた。


 意味なんて何一つ分からないのに、聞いているだけで胸を締め付けられるような悲痛な叫び。


 それは世界樹の方から聞こえた。




『────────』




 鳴いているのは一頭の獣だった。


 世界樹にしがみ付き、爪と牙を樹皮に突き立てる四足の巨獣。


 果たしてそれは獣と言っていいものか。身体の構造こそ狼のようなものだが、あれを見てそうだと断言できる人間はそういまい。


 何故ならその皮膚は毛の代わりに数多の剣で覆われ、目も鼻もないのだ。


 まるで世界の全てを傷つけるような姿。


 まるで世界の全てを呪うような声。


 こいつを見るのは俺も初めてだったが、その存在も姿も何の抵抗もなく腑に落ちた。

 やっぱりいるよな。ここにいてくれると思っていた。


 この世界で唯一動く存在。だがこいつは俺の沁霊じゃない、それだけは確かだ。


 俺が一歩踏み出すと、獣が世界樹を削るのをやめ、首を曲げて俺を向いた。刹那、全身を駆け抜ける悪寒。


 獣はギシギシと音を立てて、跳んだ。


 ドッ! とその跳躍だけで俺の前に着地する。


 大地が波打ち、空気が爆ぜた。身じろぎ一つで全身の剣が空気を切り裂き、刃音が耳に突き刺さる。


 大きいな。


 世界樹にしがみついていると把握しづらかったが、こうして目の前に来るとその大きさがよく分かる。顎は俺よりも高い位置にあり、全長は恐らく十メートル以上はあるだろう。


 ただ、大きいことは不思議じゃない。


『────────』


 獣が鳴いた。

 その叫びは、容易く俺を吹き飛ばさんとする。


「っ!」


 なんとか膝を曲げて踏ん張り、耐える。

 ここまで来たんだ、ここで引き下がるわけにはいかない。


 そうだ、ずっと会いたかったんだろう。俺を闇に引き摺り込もうとしていた幾つもの手。それの正体がお前だったんだよな。


 この獣は俺の中で溜まり続けた憎しみだ。これまで俺のために死に、俺の手で殺されてきた者達の怨嗟。


 魔王を倒すという絶対の目的の陰に隠れ、今までは気付くこともなかった。


 しかし改めて戦場に戻り、ラルカンと再会した俺はこいつを意識することになった。ずっと心の奥深くに刺さったままの棘。


「正しいかどうかじゃない、正しくあろうとするかどうか‥‥か」


 いい言葉だ。

 だとしたらやっぱり、俺の正しさはこの先にある。


「今まで待たせて悪かった、ごめん。気づかなかったのも、見ようとしなかったのも、全て俺の罪だ」


 獣は何も答えず、刃を打ち鳴らす。


「だから聞かせてくれ。君たちが何に怒り、悲しみ、何を望むのか」


 俺に何ができるのかは分からない。

 それでも聞くことぐらいはできる。


 獣が後ろ脚だけで立ち上がり、天高く咆哮する。この時を待ちわびたといわんばかりに。


 そして次の瞬間、その真っ暗な口が俺を飲み込んだ。

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