第24話 火吹き悪魔

 バッ! と蜥蜴人の背から上空へと飛び立ったのは、二頭の翼を持った何か。


「まさか、竜!?」


 綾香はその正体に目を見張った。


 細長い身体に大きな翼。全体的なシルエットはさほど巨大ではないものの、その姿は紛れもなく空想上の生物、竜だった。


 竜は大鷲よりも緩やかな速度で飛ぶと、綾香たちの頭上を陣取る。


「ッ!!」


 何人かの対魔官たちが弾丸を放つが、竜は大きな翼を巧みに使って易々と銃弾を避けた。


 掠りもしないその様子を見た月子は声を漏らす。


「大鷲よりも知性が高い‥‥」

「ゆっくり飛んでいるように見えて、想像以上に速いわよ、あれ」


 綾香も忌々しそうに言った。目の前には突撃してくる蜥蜴人。上空には二頭の竜。


「飛雷針」


 月子も雷を纏った針を竜へと放つ。大鬼の腕すら貫いた針は、銃弾を置き去りにして竜へと到達する。


 当たるかと思われたその瞬間、二頭の竜は顎を開いた。竜が口を開く姿を見た対魔官たちは、全員が同様の考えに至り、誰ともなく叫んだ。それは竜となれば象徴とも言える攻撃の予備動作、実際に見たことはなくとも、ほとんどの人間が知っている一撃。


「ブレスだ!!」


 瞬間、空が赤く染まった。


 竜たちが吹き出したブレスは、飛雷針を消し飛ばし、綾香たちを飲み込まんと地上を覆い尽くした。


 アステリスにおいて、『火吹き悪魔』と呼ばれた亜竜がいる。


 身体の大きさも、魔力も、本物の竜に比べれば圧倒的に脆弱な亜竜。しかし人々はその姿を見た時、あまりの恐怖に言葉を失ったという。 


 何故ならその『火吹き悪魔』はたった一息で森を焼き尽くしたという伝承すら持つ魔物だ。


 ブレスと高い飛翔能力以外にはこれといって目立った力はないが、その力だけで人々に恐怖を植え付けた。たった一頭の通りがかった『火吹き悪魔』に村が一晩にして焼かれ、『火吹き悪魔』の子どもを攫って群れを怒らせた町は、火の海に沈んだ。


 真の名を、『カリュルーネ』。魔術に頼らない大弩おおゆみ、火に強い金属素材の矢が普及するまでの間、多くの人間を灰燼にしてきた魔物である。


「っぶなぁぁあああああああああ!!」


 熱い空気を一杯に吸い込んだ綾香は、それ全てを吐き出す勢いで叫んだ。


 周囲には、同じように安堵の息を漏らす対魔官たちが膝をついている。寸前のところで、予め待機していたメンバーが魔術を発動したのだ。『雨格子ノ結界』の元でもある、防御用の結界である。


 周囲には火と水が衝突したことで水蒸気が立ち込め、一メートル先すらまともに見通せない状況になっている。


「あの程度で終わるとは思ってなかったけど、まさか竜が出てくるなんて‥‥。そういうのはおとぎ話かアニメだけにしときなさいっての」


「文句言っても仕方ねーだろ。どうすんだよ、あの竜。ここからじゃ姫さんの槍くらいでしか落とせないぞ」


「というか、その前にこの火を消さないと、俺たちはこのままこんがり肉になる未来だ」


「上手に焼けましたってか? ゲームで竜を虐殺しまくった報いかよ」


「それは竜玉を落さないあいつらが悪い」


「‥‥意外と余裕あるね、皆」


 髪が燃えてないかを触りながら確認しつつ、毛先が焦げているのに気づいて月子は顔をしかめた。


 そうしている間にも、全員が油断なく気配を探り、水蒸気の向こう側を見つめていた。


 その中でも即座に探知魔術を発動していた中年の男が叫んだ。


「来る!」


 水蒸気を吹き飛ばして飛びだしてきたのは、山刀を構えた蜥蜴人。ブレスを防いで弱っていた結界は簡単に破られる。


 対して退魔官の中から一早く飛びだしたのは、金の光を携えた小柄な影だ。


「ハァッ!」


 金雷槍が蜥蜴人の山刀を受ける。


 月子の動きはそれだけでは終わらない。下から受けた槍は、脱力して山刀を下に受け流すと、月子の手の中で槍はバトンのように回転し、上段からの斬り降ろしに変化する。


 落雷と化した槍の一閃は、蜥蜴人の盾によって防がれたが、その勢いを完全に殺すことは出来ず、蜥蜴人はアスファルトを溶かしながら後退した。


 そこに、対魔官たちはすかさず弾丸を叩き込む。


「チッ! これでも倒れねーのか!」


 誰かが吐いた悪態の通り、それを受けて尚蜥蜴人は健在だった。


 前回の大鬼であれば既に倒せていただろうが、蜥蜴人は堅実に銃弾を盾で防いでいる。それが倒し切れない大きな理由だった。山刀の一振りで弾丸を切り払うと、蜥蜴人は再び月子へと躍りかかる。


 蜥蜴人の猛攻を月子は凌ぎながら、隙を見て鋭いカウンターを狙う。つい先程フレイムに言われた「臆病風に吹かれた」という発言が余程気に障ったのか、その刺突は普段以上に苛烈だ。


 綾香は水蒸気の晴れていく空を見上げた。


 幸いにも二頭の竜は、再び攻撃をしかけてくる様子はなく頭上を旋回している。


 一回一回のブレスのためには溜めが必要なのかもしれないと、綾香は予想した。


「ねえ、あれ持ってきてくれる?」


 銃を下ろすと、綾香は近くで待機していた後輩に声をかけた。実直そうな顔つきの青年は、その言葉に目を丸くする。


「‥‥えっと、やっぱり本気でやるんですか、あれ」


「あの竜は銃じゃ落とせないし、月子は蜥蜴で手が埋まってるんだから、私たちがやるしかないでしょ」


「それはそうかもしれませんが‥‥。分かりました、周りにも声をかけておきます」


 後輩の男はそう言うと後ろに下がり、すぐに綾香の元に戻ってきた。その手には、黒光りするアタッシュケースが握られている。


「綾香さん、これ」


「ありがと、じゃあよろしくね」


「御武運を」


 綾香はアタッシュケースを受け取り、「それは全員そうでしょ」と笑う。

 そしてロックを外すと、中に入っていた物を丁寧に取り出した。


「‥‥これを私が使う日が来るとは思わなかったわ」


 アタッシュケースの中に入っていた物は、夜の中でも金属特融の輝きを放つ、二本の鎖だった。


 綾香が生まれた加賀見家も、月子の実家である伊澄家に負けず劣らず歴史の長い陰陽一族だ。決して政治や戦には関わらず、表舞台に出ることなく、フリーに日本各地を回り、怪異と戦い続けた一族である。


 現代においては国の機関に属することが最も人のためになるという考えの元、優秀な対魔官を多く輩出している。陰陽術、魔術は怪しき力なれば、怪しきを滅し、平穏を保つためにこそ使われるべきであると綾香は幼い頃から教わってきた。


 そして、そんな加賀見家には古くからいくつかの魔道具が継承されてきた。


 その内の一つが、今目の前にある『浸千しんせん』だ。


 綾香は『浸千』の端についている腕輪を二つ、手首に取り付けた。金属独特の冷たさでありながら、生き物のように肌になじむ感触。


 本来この魔道具は加賀見家が厳重に保管しているものであり、加賀見家の頭首が認めた者にしか使うことが出来ない。そして綾香は未だ頭首である父に認められていなかった。


 今回そんな綾香が『浸千』を持ち出せたのは、こっそり実家の金庫から取り出そうとしていたところを父に見咎められ、激しい口喧嘩からプロレス技の応酬にまでなった結果、ある条件付きで許可が出たからである。


「それじゃ、始めますよ」


 アタッシュケースを持ってきた男は、そう言って周囲の魔術師と目配せをした。この後輩も、その周囲の魔術師たちも、実は加賀見家に連なる家の出だ。故に、『浸千』の存在も、それがどういった魔道具なのかもよく知っている。


 同時に、それをサポートするための魔術も使うことが出来た。


 綾香に言い渡された条件とは、決して一人では使わないこと。『浸千』は金雷槍のように使用者を守る安全装置は付いていない。未熟者が持てば、その力を制御出来ずに自滅することになる。


 だからこそ、絶対に周囲のサポートがある時だけという条件でこの浸千を使うことを許された。


 後輩を筆頭に、複数の魔術師たちが広がって魔術を組み始める。


 作り出すのは、綾香を中心にした魔術領域だ。


 綾香一人ではどうやっても浸千を使いこなすことは出来ないため、魔術領域を介して浸千の魔力操作は複数人で行うのだ。


 綾香たちが浸千を使う準備をしている間にも、蜥蜴人と月子たちの戦いは佳境にさしかかっていた。


 フレイムから魔力を供給されている蜥蜴人の強さは本物だが、金雷槍の制限を外している月子と、更に魔道銃の支援が重なった今、勝負の天秤は月子たちへと傾こうとしていた。


 しかし、それを黙って見逃す程フレイムも甘くない。


 ついに上空で羽ばたいていた二頭のカリュルーネが新たな動きを見せた。


 今、再びあのブレスをされれば、状況は絶望だ。いくら月子でも、蜥蜴人を抑え込みながらカリュルーネのブレスまで対応することは難しい。


 カリュルーネの胸が膨らみ、魔力が一気に高まる。


 その瞬間、蜥蜴人が強引に月子の金雷槍を抑え込みにかかった。退魔官たちが弾丸を撃ち込むが、一切怯むことなく月子へと食らい付く。


「姫さん、早くそいつから離れろ!」


「こいつッ――!」


 当然、月子たちも上のカリュルーネの動きには気づいていた。だが、その動きに反応して動く月子たちよりも、フレイムにより統括されている蜥蜴人の方が動き出しが早いのは自明の理。


 月子は金雷を至近距離から放ち、蜥蜴人を振り払おうとするが、蜥蜴人は一歩も退かない。


 そして、空から感じる魔力の高まりが最高潮に達した。


 月子が視線を上げれば、今まさにカリュルーネが口を開こうとしている。


 自分の身体も顧みずに金雷槍を使えば、あるいは蜥蜴人ことカリュルーネも吹き飛ばすことが出来るかもしれない。


 ただそれは場合によっては自分だけでなく、周囲の人さえ巻き込みかねない力。


 リスクを取ってでも、力を解放すべきか否か。この時、月子がそれを判断する必要はなくなった。


 何故なら、彼女の信頼する人が後ろにいてくれるからだ。


 轟ッ!! と魔力が音を鳴らしたと錯覚する程に勢いよく渦を巻いた。


 月子たちの発動している魔術すら巻き込みそうな程の魔術領域が、背後から生まれたのだ。


 水の流れを強引に変えるのではない、高所から低所へと、ことわりに沿って流れを変える渦の結界。


(‥‥これが加賀見家の『逆水分さかさみくまりの陣』)


 月子は名前だけは聞いていた結界を思い出した。


 本来、魔術領域とは結界魔術の一種で、内と外を区切ることで限定的に特異な空間を作り出す魔術を指す。つまり結界とは盾ではなく、空間そのものに魔術的な付与を為すものなのだ。


 そして今加賀見家の魔術師たちによって行使された魔術、『逆水分ノ陣』は、周囲から隔絶した空間を作り出すのではなく、周りから水の気とエーテルを引き込む魔術領域を作る魔術だ。


 絶え間なく流れ込む不可思議な力は、ともすれば怪異を生み出しかねない程に危険な密度となる。


 だが、そんな幻想世界であるからこそ使える物もある。


「起きなさい、浸千」


 月子の背後から、小さな声が聞こえた。聞き慣れた、けれど聞いたことがないような、厳かな綾香の声。


 直後、引きずり込まれて泥のような重さで渦を巻いていた魔力が、そのまま持ち上がるような気配がした。


 それはさながら大蛇がゆっくりと鎌首を持ち上げるように悠然とした気配だった。


 カリュルーネがブレスを吹いたのは、ほぼ同時。


 二頭の口から吐き出された火焔は夜を真昼の如く照らし、大気を飲み込んで対魔官たちへと襲い掛かる。


 それに対し、地上から現れたのは二本の巨大なうねりだった。


 その正体は、とぐろを巻きながら天へと昇っていく鎖、そしてその鎖を覆い尽くす水の激流だ。嘘か真か、海底に千年沈んでいた幻想金属が大災害によって地上に持ち上げられ、魔道具へと姿を変えたという。


 ――『浸千』。


 出自の真偽はされど、その名が持つ重みと力は紛れもない本物である。


 浸千を持つ綾香は、魔術領域の中心でゆっくりと動く。全身全霊の集中力を浸千に注ぎ込み、迫るブレスにさえ一切の動揺を見せない。


 ほんの少しの動揺、気の緩みがあれば、一瞬のうちにこの武器は綾香どころかこの周辺全てを水へと沈めるだろう。


 激流を纏った二本の浸千は、大鬼すら丸呑みにする大蛇となってブレスへと向かって行く。

 亜竜と蛇の戦いは、世界が揺れたかと思う程の衝撃を起こした。


「ッ――!?」


 月子は身体を吹き飛ばそうとする衝撃に対し、槍を地面に突き立てて身体を伏せる。その上から、数人の対魔官たちが覆いかぶさった。


 蜥蜴人はあまりの衝撃に吹き飛ばされ、道路が地震でも起きたかのように波打った気さえする。


 それでもなんとか顔を持ち上げれば、そこでは今まさにブレスを打ち破った浸千がカリュルーネに牙を立て、その細い身体を噛み砕いているとこだった。


「‥‥すごい」


 あの飛雷針さえ避けてみせた竜が、まるで為す術もなく激流の中に飲み込まれる。


 自分の持つ金雷槍も魔道具としての格は浸千に劣るものではないが、その力を使えるかどうかは全くの別。


 月子たった一人しか扱えない金雷槍と、長い年月をかけて複数人で運用するシステムが確立された浸千とでは、扱える出力に大きな差がある。


 カリュルーネを飲み込んだ浸千はそのまま滝の如く落ちて来る。


 目標は無論、体勢を立て直そうとしていた蜥蜴人だ。


 もはやそれは戦いではない。盾を構えた蜥蜴人は、災害と化した浸千を前にあまりに無力だった。盾ごと左腕を一頭が抉り、よろめいた瞬間に胴に食らい付いたもう一頭が、炎の身体を上下に噛み千切った。


 月子はすぐ近くを通って下がっていく浸千の気配に、思わず身震いする。数人がかりで、しかも長い時間は維持できないとはいえ、間違いなく破格の性能。


 そして、その脅威を正しく認識したのは、その場にいた対魔官たちだけではなかった。


「‥‥それは、この世界のアーティファクトかね」


 カリュルーネも蜥蜴人も失い、裸同然となったフレイムが、月子たちへと問いかけてきた。


 その服は砂ぼこりに汚れ、頬には血が滲んでいるが、それでも尚泰然とした態度は崩れていない。

 答えたのは、綾香だった。


「あんたの言うアーティファクトって物と同一かは分からないけど、まあ遺物って意味なら似たようなものじゃないかしら」

「そうか。どうやらこの世界にも、正しき時代はあったようだ」

「正しき時代? ‥‥どうでもいいけど、その物言いだと、まるであんたは別の世界から来たみたいだけど?」


 荒れ狂う浸千を操作しながら、若干ランナーズハイに近い状態になっている綾香は笑いながら言った。


 それに対し、フレイムは鼻を鳴らすに留めた。


 そんなフレイムに、綾香は一度深呼吸をすると、表情を真剣な物に変える。密度の高いエーテル、身体の中で荒れ狂う魔力は劇薬に近い。意識をしっかり持たなければ、この魔力を思うままに振るいたいという欲求に憑りつかれる。


 だから、これは最終通告だ。


「投降しなさい。これ以上は本当にこちらも加減が効かないわ」


 フレイムは既に相当な規模の魔術を連続して使っている。それに対し綾香たちは浸千がまだ使え、月子も余力を残している。


 決着はついたようなものだ。これ以上の戦いは被害を膨らませるだけでしかない。


 殺さないで済むのであれば、そうするべきなのだ。


 綾香の言葉は、間違いなくその一心から出たものだった。


 しかし、だからこそ。


「く‥‥」


 フレイムの身体が、浅く曲がる。

 綾香たちの見えないところで、義眼が高速で動き続ける。


「く‥‥くく」


 無知は罪だという。それは知識こそが力であり財産であると考える魔術師にとっては、当然の考え方だった。


 ならばやはり魔族という存在を知らない綾香たちは、大罪人なのかもしれない。 


 けれど、今のフレイムにとって彼女たちが罪人とは思えなかった。


 ただその胸中を占める思いは一つ。




 ――あまりにも、滑稽。

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